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どこでも寝られる女、敗北。夜行フェリー・さるびあ丸にて震える。

屈辱だ。未だに信じられない。
旅の間は、「眠れない夢を見ていた」設定で過ごしていたが、確かに寝られなかった。これは紛うことなき敗北だ──

さて、何の戯れ言かというと、先日乗船した夜行フェリーについて。どこでも寝られることを自身の長所として誇らしく思っていたわたしだったが、あろうことか微塵も寝られなかったのである。

ああ、悔しい。負けてたまるものか。ここまで寝られなかったことは、今までにあるまい。一体何が悪かったというのだ。
今日は当日の記録、そして敗因を徹底分析する。そして次回の夜行フェリーで爆睡を決めてやるゥ……!!!!

この記事は世の中の何の役にも立たない。
それでもなお、わたし一個人の未来を切り拓かんことを祈って。

22:00 竹芝桟橋発、大島行さるびあ丸

首都圏近郊に住む放浪癖のある人間なら、東海汽船さるびあ丸をご存知のことだろう。下り便は毎日22時に竹芝桟橋を出航し、翌6時には伊豆大島に着港する夜行フェリーで、金曜夜に出て日曜昼便で戻る旅程が都内で働く人間にとっての鉄板だと言われている。

わたしもこれまで何度も乗船しては安眠を手にしてきた船舶だったために、睡眠に関しては全く心配していなかった。むしろ「オラオラ今日も寝てやるぞ」と爆睡ヤクザと化し息巻いていたものだった。

乗船後は毎度おなじみ、二等和室に大荷物を降ろす。二等には椅子席と和室があり、若干和室の方がリーズナブルな価格設定になっている。だがわたしは価格ではなく、完全フラットになって寝られるという点と、どうしても万歳をして寝たいという習性の2点より和室を常に選択しているのである。

もちろん椅子席にもメリットがあって、必ず電源口を確保できる点や、心地良くリクライニングできる点など挙げればキリがない。どちらにするかは個人的好みで決めて良かろう。なお、新造船の椅子席はかなり良さそうだった。チェアのマットレスも柔らかそうで、旧船舶の椅子席しか知らないわたしはなんとなく羨ましい感情を抱いてチラチラ横目で眺めていた。(次回は椅子席にしてみよっと)

さて、荷物を下ろしたら甲板に出てまずは一杯プシュッとやる。

これがなければ旅は始まらない

黒ラベルをゴクゴク飲めば、汽笛がこだまし、大都会の摩天楼が離れていく。じっとりとした潮風を浴びながら、こりゃいいかんじよと頷くのであった。

24:00 就寝

今回は自転車仲間との旅だったため、会話に次々と花が咲く。最近走った場所、撮った写真、機材、人、エトセトラ。羽田空港や横浜の夜景を眺めながら、我々はよく話した。

誰かの酒が尽きたころ、明日も早いと誰かが促し、なんとなく解散の運びに。さあ就寝だ。

自身の和室に戻ると、既に寝付いている人々が多かった。この時点で既にスマホの電波が入りづらくなっていたため、機内モードに設定しさっさとしまう。

9月とはいえ甲板はまだまだ暑く湿度も高かった。そのため船内の温度になにも感じることなく、ごろんとスペースに横たわったのである。

2:00 寒くて寒くて震える

しばらくぼーっと目を瞑っていても睡魔が襲いにこない。あれ、うとうとしていたのにおかしいぞ。睡眠導入の呼吸法などを試したものの、眠気が一線を越えてくれないのである。

なんせ、寒い。

最初は気付かなかったが、船内の温度設定がかなり低い。周りを見渡すと皆有料毛布に包まっている。そうか毛布は有料販売か。昔乗った夜行フェリーはどこも無料で毛布を使えなかったか? そういう時代なのか、有料か……。

少々悔しくなったわたしは、手荷物の中から防寒用に持っていたインナーダウンとウィンドブレーカーを取りだし上肢にかけた。これで眠れるだろうか。

一時はカクンと眠りに落ちそうになったが、なんせ大腿部が底冷えする。でっかい筋肉が冷えたらそりゃ眠れんよ。諦めて財布を取り出し毛布を借りに行ったのが午前二時頃の出来事。この時はまだ毛布さえ借りれば、すぐに寝られると信じていたのである……。

4:00 腹減り腹減り震える

海苔巻きのように毛布に包まりながら、爛々と冴えていく自身の眼に恐怖していた。なぜ、なぜ眠れんのじゃ!!

理由は、クゥ〜ンと弱々しく鳴る胃袋にあった。寒い中、体温上昇させるためにエネルギーを使った結果、すっかり腹が減ってしまったのだ。寝ているのに明らかなハンガーノック的な症状が現れている。夕飯も18時頃と少々早めに摂ったことが仇となった。さてどうするか。

船内には日清カップ麺の自販機がある。いまラーメンを食べることが手っ取り早く暖とカロリーを得る最適解に思えた。だが、面倒くささが立ちはだかる。立ち上がり、自販機コーナーへ行き、カップ麺のパッケージを開け、湯を注ぎ、3分待ち……ああ、そんなことをしている間に夜が明ける。日の出は5時半頃だと聞いた。そんなの朝が来ちまうワ。
そして体重増加するのではないかと案じる。夜中のラーメンなんて背徳の極みだ、いいのかここで食べてしまって。体重を減らすのは難しいが、増やすのは容易であるぞ。ここぞとばかりに理性の声が響く。

ふと、ポシェットの中に補給食として入れたグリコの存在を思い出し、もそもそと毛布の中で食べる。一粒で100m全力疾走できるなら、サクッと体温を上げて寝られるはずだ。グリコ、キミを信じてる。

一粒に一晩の願いを込め、もにょもにょと咀嚼したのであった。

6:00 大島到着・スーパー☆グロッキー

気付けば甲板にいた。
ゆっくりと赤く染まる海を、柔らかな潮風に包まれて眺めていた。

──寝られなかった。

絶望はここに尽きる。一睡もできなかった。
グリコはやっぱりおいしいなぁ、としみじみ食べ尽くすと確かに腹の音は消えた。しかしそれだけだった。この時点でエンジンを給油しても、時既に遅し。入眠まで至らず、下船を迎えたのである。

一体なぜ。どうしてだ。どこでも寝られる特異体質という自身の長所を誇りに感じていた、なのに、もうただの一般女性に成り下がったわけである。絶望だ。ああ、もう誰も愛さない……。

いつも以上に輪行した自転車が重かった。それは寝不足だからだろうか。それとも輝きを失ってしまった鉛のような心が枷のようにわたしを引き留めるからだろうか。

心模様と同じく、大島は雨模様…

敗因分析

なぜ入眠できなかったのであろう。思い当たる点はいくつかある。次回以降のために、深い自己反省として記しておきたい。

暖を取ることに対する決定力不足

かつて日本男子サッカーは決定力不足だと散々言われていた。当時は何のこっちゃと思っていたが、まさにその言葉である。わたしに欠けているのは、決定力だ。

要は、毛布を取りに行くタイミングが遅かった、そして決断できなかった。例えば寝付くタイミングで「念のために」と毛布を借りていたら、初動の睡魔でそのまま入眠できたはずである。100円くらいケチらず、少し歩くことをめんどくさがらずとっとと借りれば良かったのだ。

ここまで寒い公共交通機関に久しかったということもあってか、完全に動きが鈍っていたことも敗因として挙げられよう。国内旅であっても、アジア辺境に行くような緊張感と決断力を持って、最適解を導く姿勢が大切だ。うむ。

肥えを恐れるな、寝たいならラーメンを食え

結論から言えば、毛布を借りたタイミングでラーメンを食べちまえば良かった。暖を取る手段と体温を上げる燃料を同時に入手しておけば、最速で午前3時前には寝付けたはずである。

だが、わたしは肥えが怖かった。要は太りたくなかったのだ。

わたしは少しオーバーカロリーをするだけで「太っちゃう……」と過剰に不安に駆られるという、好ましくない習性を持っている。そのため、このラーメンは必要なラーメンだと判断できず、体重増加への恐怖に打ち勝てなかったのだ。

この際、グリコは焼け石に水だった。ここはドカンとラーメンを啜るべきだったのだ。次回、同じような場面に遭遇したら、真夜中でも迷わずにチリトマトを食してやろうと心に決めている。

悔しかったので帰りのフェリーで食べたゾ

内なる遠足前夜の小学生が蘇った

これはお可愛い話だ。単純に楽しみで楽しみでしょうがなかったワケである。小学生の遠足前夜だと思っていただきたい。
大学時代のチャリ部では自称・離島班を名乗っていた人間だ。コロナ禍を経て久しぶりの渡航であり、それが訪島したこともない場所(目的地は神津島だった)ともあれば、全身全霊で興奮してしまう。交感神経がバチバチに冴え渡っていた。

神津島、とてもとてもよい旅だった。詳細は後日の別記事にて

こればかりは、どうしようもない。楽しみで寝られない、なんて我ながら可愛いよなとも思う。だからこれは諦める。

オラ、はやくリベンジすっぞ

人生はトライ&エラーの繰り返しだ。PDCAサイクルをぶん回していこうぜ、というお話なのである。
さるびあ丸は言っているに違いない。「次は俺でちゃんと寝てみろよ」と。わたしもリベンジするぞという一心で、次なる大航海の計画を立てている。

一睡もできなかったわたしだが、グロッキーになりながらも無事目的としていた神津島のライド&トレッキングは怪我なく完遂できた。喜ばしいことだ。

たかが寝られなかっただけ、されど悔しい。どうやら東海汽船では10月末からお得キャンペーン、往復5,000円のチケットを発売するらしい。

信じられないほど安くで驚愕している。さっそく地図を広げて、次なる旅を計画しよう。

三宅島・御蔵島も行きたいなァ


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