【oshio日記】多趣味に生きる①導入
久しぶりにnoteを開いたら一年以上前の駄文が散乱していて、恥ずかしいやら懐かしいやら、不思議な気持ちになってしまった。
確かに自分が書いていたとおり、「ああ、あの頃はこんなことを考えていたんだなあ」と感傷に浸る材料としては申し分なかった。しかしこっ恥ずかしかったな。こうして自分という樹は年輪を重ねていくわけだよ。恥ずかしいけれど、くすぐったいけれど、なんだか温かい気持ちにもなる。歳を重ねるごとに自分という人間がどのように変化をしているのか、どのような成長を遂げているのか、