【日記】 「共感」について
はじめに
私はよく、人からこう言われる。
「変わった考え方だね」
「なんか他の人と違うよね」
「こんなこと考えてる人なかなか見たことないよ」
と。
そんなに私は異質なのだろうか。
繊細だった青春時代には悩んだこともあった。
そこまで自覚していなかったが、周りの人たちが気にしていないようなことを、よく考えているらしいのだ。
「人間って何なんだろう」
「生き物は死んだ後にどこに行くんだろう」
「なぜ生命には生死という概念があるのだろう」
「宇宙規模で考えたらちっぽけなことに、私たちはなぜ日々悩まされながら生活しているのだろう」
「社会を形作るものは何なんだ、なぜ溶け込まなければいけないのか」
「家族とは、友人とは、どういう存在なのか」
んー、書きながら自分でも「変わった奴だな」と思った(笑)
まぁ、なかなか共感は得られないわけです。
誰かにわかってほしい…!という強い思いが現時点であるわけではないけれど、自分の考えていることって自己紹介として使えそうだな、とか共感されたくなったときに読んでもらいたいな、というメモ書き。
メモのくせに毎度毎度、長ったらしい。
さきほどあげた思考テーマについては、また別に書こうと思う。
「共感する」こと
全てのものに対する考え方が一致する第三者は、まず存在しない。しかし、ある意見を目にして「この人の言ってることめっちゃわかる!!」ってなったり、友人の相談に乗って「そういう時ある!辛いよね〜」ってなったりすることは多々あるだろう。
もちろん私もある。
映画や小説、漫画ではボロ泣きするし、Twitterの恋愛論はすかさずリツイートしてしまう。
しかし、「共感できない。私は違う考え方だな」となることも多い。
「共感力が高い」なんていう言葉も聞いたことはあるけれど、それが果たしていいのか悪いのかはよく分からない。
共感すること自体は別に才能でも努力でもなんでもないんじゃないか、と思う。それぞれの人間に、それぞれの物事に対して、それぞれの考え方がある。だからそれが偶然どこか一致するのかどうか、というそれだけでは無いのか。私は「共感」という言葉を「響き合うこと」だと捉えている。たまたま多様な人混みの中で、自分のナニカと他人のナニカが交差して、響き合う。それが「めっちゃわかる〜〜」っていうことなのだろう、きっと。
「共感力が高い」というのは「他人の話を理解してあげられる」かどうか、ということなのか。
「他人の話を理解する」ことにも種類は沢山あるだろう。何を言っているかを理解すること、その中で何を伝えたいかを理解すること、相手の気持ちに共感すること、更には同じ気持ちだと伝えること、までも? これは「理解」という言葉の解釈の問題でもあるかもしれない。
ややこしくなってきたのでこれ以上はとりあえずやめておくが、私の見解では「他人の話を理解する」ということは、「話を聞き、聞いた言葉を咀嚼し、相手の主張や言わんとしていることの概要を捉える」ところまで。
「共感される」こと
前述の通り、多種多様な第三者と響き合うのはなかなか困難なことなので、自分が思ったことが他の人に共感されるかどうか、というのもまた難しいことである。共感されたい人もいれば、別に共感を求めない人もいるだろう。
私の場合、共感されなくてもいいが聞いてほしい、理解してもらいたい、という思いがある。
そういう考え方をする人がいるんだなぁ、くらいに。
私と同じようなテーマについて考えている人は、周りに少ないと感じる。今まであまりこういった議論をする友には出会えなかった。共感は求めないが、他の考えを聞きたい、他の意見も聞いてみたいのだ。
そういう訳で、私のnoteたちは、語り合うときが来たときのためのメモ書きとしてこれからも増やしていこうと思う。
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