悪者になっちゃう

これはちょっとした愚痴。自分の中で起こるグレーのもやもや。

「週刊誌撃退法」とか「週刊誌に苦言」とか、そういうニュースがここ数日目に入る。こういう記事は定期的にスマホの画面に流れてくる。なんとなく、目につく。これを週刊誌記者だった頃に目にしていたらきっとつらかっただろうな、と思った。こんなに、悪者になっちゃって。 

あの頃、わたしはたくさんのひとにたくさんのひどいことをした。離婚した著名人が、当時の浮気相手と事実婚状態だという記事を担当したときのこと。元妻、つまり浮気された妙齢の女性のところにわたしは一人で取材に行った。突然自宅を訪ね、インターホンを押すとしとやかな女性が出てきた。よし、と思った。「ひどい男ですね」と泣き落としにかかると、彼女は困ったような顔で少し悩み「わたしたちは静かにしているのに、どうして記事になるんでしょう」と尋ねてきた。笑いながら泣くような、不思議な表情だった。  「でもまあ、わたしたちの耳に入ってしまったからには、書かれちゃうんです。それならいい形で書かれたほうがいいでしょう」。わたしは答えた。 

こんなことは多くない。悪いことをしているひとが、世の中にはいっぱいいる。その男だって、悪いもんは悪い。気持ちが悪いことをしていた。 いろんなことをうやむやにしている世の中で、なにかに無理矢理白黒つけようとするのが週刊誌。もちろん白黒つけられないことの方がずっとずっと多いから、その行為は時に暴力になる。時にというか、たいてい。 

でも、意外とそれでまわっている流れも、この世にはあるのだろうと感じる。「白黒つけるの簡単じゃないのになにを!」という週刊誌への批判は、そのままみんなに返ってくる。白黒つけるのは、そう、簡単じゃないのだ。

金と時間をかけて、大きなお世話をするのが週刊誌の仕事なのだろう。ものすごい汚れ仕事。だけどあれをやらなくちゃ、わからないことがあった。だけどやっぱり人を傷つけるのはいいことだとは思わない。すべての週刊誌が廃刊になってほしい。ていうかみんなそんなに悪い悪いというなら誰も読まないで、求めないで。誰かが読むから、わたしは行かなきゃいけない。いやいやそれは違う、お前らが作るから読むんだろう。そんな風に一人問答が続いて続いて、結局わかることは簡単に白黒つけるのは難しいのだということ。

昔、ツイッターで「この記事はクソだと思うけれど、なにより可哀想なのはこの記事を取材させられている若い記者さんだと思う」というコメントに泣いたことがある。その人の持っている想像力をみんなが手に入れたら、世の中はどんなに優しくなるだろう。結局自己本位に落ち着いてしまった。なにはともあれ荒波の先でたどり着いた今の仕事が、わたしは大好きだ。世の中の誰もが、そう思って生きていけたらいいのにな、と思う。その社会にはきっと、週刊誌はいらない。白黒だなんて、言わせずに。

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