雑記 2023.05.23
世界に本当に自分が1人きりでぽつんと立たされているのだと初めて知らされた夜の苛立ち。
生きていくこと全般の虚しさにぶつかって、その夜空の化けの皮を全部切り刻んで、闇が円い空の底からとめどなくぼどぼどぼどと漏れ出てこの街を満たして全部終わりにしてしまえばいいんだというような気持ち。
そういうのが、ぼくの「さみしい」の定義です。
これは持っていると、とても冷たいものです。
でも、あの人にとっての「さみしい」はなんだか熱いものなのだと後から分かりました。
涙の温度です。
熱く燃える星に届かなくても届きたいというような渇望。
人と繋がりたいときのシグナルとしての「さみしい」。
心に誰かの声が響き続けていて、この銀河に自分が1人きりだとは到底信じていない、反抗的でエネルギーに満ちた主張。
その「さみしい」の温度で、あの人はぼくを暖めようとしたのでしょうか。それでぼくの「さみしい」の温度で、かえって冷え固まってしまったのではないでしょうか。
もしそうなら、ぼくは罰されるべきだと強く思いました。
今月は4日ほど旅行をしてきて、随分僕は汽車でいろいろな街を歩いて、ようやく分かりました。
出発前のぼくは、もうまるで、さみしいとかなしいの感情しかなかったのです。
不思議なもので、今は少しだけ「愉しい」があります。ただその裏付けがありません。きっと「さみしい」を受容する器の底が抜けて、「愉しい」の器にちょっと入り込んでしまったのではないかと思います。質量と温度の違う感情が混ざり合ってバグっています。
いまのぼくには、さみしいとかなしいと愉しいがあります。
その状態は結局、さみしいのでしょう。
体温計は35度台を指し続け、覚えてきた地図が役に立ちません。
ぼくの心はいま、どこにあるのでしょう。