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明るいこえを刻みたい。

 誰もが行く末のわからない不安を抱えていた。

 しかしそのことはみんなが互いにわかっていた。

 無意識に残り時間を数えながらも、ゆるゆるとこの街にとどまり続ける僕らは、互いに互いを思いやり、励ましを言い合い、新しい住所を教えあい、一番の思い出を語り合った。

 それはその声を、みんなの耳に刻むためだろう。

 みんなの声を、その耳に刻みたいからだろう。

 指定された刻限が近付くと、死にそうに淀んでいた街の空気はかえって嘘のように一掃された。

 光り輝く初夏の朝風のように、すべてはまっさらにリセットされ、ゆるやかに滅びゆく街を吹き渡る。

 見事なまでに、笑顔しかなかった。

 そのことが、この街の存在した意義を雄弁に示している。

 永遠に見納めとなるであろう家々や道、小さな花をいちいちカメラに残すことはできた。

 けどみんなの笑い合うこえは、そこで交わされた言葉は、歌われた歌は、どうせ焼き付けることしか出来ないのだ。

 だから嘘でも、明るいこえを刻みたい。

 それはまたそれぞれの方向へ、この街を覚えている人がいる限り、風となってどこまでも運ばれるものだから。

 今、ひとつの街が、ゆるやかに、滅びを迎えようとしていた。


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