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声の墓碑。

 目が覚める。
 見慣れない部屋。
 差し込む光は明るかった。
 無意識に昨夜の記憶を辿り、現在地を思い出す。
 それから身体を起こして、傍に置いていたリュックサックからアナログラジオを取り出した。リュックの中で空のペットボトルがぐしゃりと音を立てる。そういえば酷く喉が渇いている。
 「カチッ」とラジオの小さな電源を入れれば、遅れて

 ザーーーーッ……

 というノイズが聴こえた。
 ずっと使ってきた、お気に入りのラジオ受信機。バンドはAM。周波数のダイヤルを一番下へ。そして耳を澄ませながら慎重に、ダイヤルを少しずつ上へ回す。
 東京までそう遠くないところまで来ているのに、東京からの声が無い。東京以外の局も同様。第一多くの地方局は、2週間前に早々と放送を諦めていた。東京の各局だけがなんとか放送を続けようとしていたが、僕が最後に放送を耳にしたのはもう8日前のこと。予備電源温存のため、放送時間を短縮し、電波の出力も大幅に弱める、とのアナウンスがなされたきりだった。

 ザーーーーッ……

 ノイズを長時間聴き続けていると時折人の声のように聞こえたり、音楽のように聞こえることがある。感度が良いラジオゆえ、外国からの微かな電波を拾っている可能性もなくはなかった。けれど海を越えるほどの大出力を維持しているラジオ局が残っているとは、考えにくかった。
 それからもともと音の記憶が強かった僕は、心の中で思い浮かべた誰かの声と、現実に聞こえる声とが区別出来なくなってしまうことがよくあった。「居ないはずの人の声を聞いてしまう」というとオカルトになってしまうけど、僕は無意識的に浮かんだ声を「耳で聞いた」ように感じてしまうことがよくあった。
 頭では分かっていても。
 遠い何処かではまだ電気が生きているのかもしれない、この先歩き通せば、何処かに、という思いを捨てきれるはずはなかった。
 この2週間、僕は受信出来た周波数を日ごとに書き留めていた。数日前までは「気のせい」のような微かな局さえ書き留めた。けれどいずれも再び受信出来たことがなかったのでやめた。

 今や世界は静寂に包まれている。
 車が走らなくなって世界は静かになった。人も減った。全ての人が死に絶えたわけではないにしろ、全ての人が死に絶えるか出て行くかしたらしい街もあった。

 今朝もAMは全滅だった。
 FMも同様。
 東京が街として残っているかだけでも確かめたかった。

 ザーーーーッ……

 しばらくして、僕はラジオを「SW」、短波放送に切り替えた。短波ならアジア・アメリカを中心に、少なくとも1日3〜4局が拾えた。AMやFMをやめ、比較的少ない電力で広範囲に放送を届けられる短波放送に重点を置くのは理にかなっている。
 ただそれも、いつまでもつだろう。

 この場に居ない人の声を届けられる、という技術は、人類の発明の最も偉大なものだったと僕は思う。
 ここ2〜3日、僕はもう、声を聴ければ誰でも良いと思うようになっていた。
 僕は英語も解さないけど、外国語の放送でも良かった。
 人の声が聴きたかった。
 無論、もし相手を選べるなら、家族の声が一番聴きたかったけれど。
 僕は、頭の中では、薄々気付いていた。東京からの最後のアナウンス。その尋常ならざる慌てた声の調子。「放送時間を短縮する、出力を下げる」と一聴事務的なアナウンスを述べるだけでも、人の声には深く感情が刻まれる。あんなにも恐怖を帯びた声音のアナウンスを、僕は初めて聴いた。
 きっと二度と聴くこともないのだろうが。

 「おはようはん」

 関西訛りの青年が、歯ブラシをくわえて部屋に入って来た。
 おはようございます、と挨拶を返す。

 「あれ、そのコップの水は?」

 青年は歯ブラシのせいで喋りにくそうだったが、ゆっくり「ふいろー」と発音した。

 「えっ、水道!?水道ですか!?」

 はは、ウホや!うーそ!と言いながら青年は軽く泡を噴き出した。青年は部屋を一旦出て、口をすすいで戻って来た。

 「ここんちの人、水のペットボトルかなり備蓄しとったみたいでな。昨夜見つけた5本と別に10本以上あってん」
 「わぁー、ありがたいですね。もらいましょうか」
 「……なんや『ここんちの人が帰ってきたらどないしましょう』とか言わんの?」
 「それは、もう、思わないことにしました」

 躊躇っていたのは3日前のこと。
 徒歩行もひとりきりではなにかと頼りないし心細い、と感じていた時、たまたま同じ東京を目指していた彼と合流した。その日の夜、鍵の開いていた他人の家に初めて無断で泊まった。台所にあったタマネギやジャガイモ等の野菜が、幸いなことにネズミや犬猫に食われることなく残っていた。それを彼は、遠慮なくカバンに詰めた。僕は手をつけなかった。無人の店から盗むことに抵抗は覚えなくとも、なんとなく、人の家の物に手をつけることは出来なかった。

 そんな僕も、昨夜、この家の水を飲んだ。

 「……せやんな。生きてるか死んでるか分からん人に遠慮しとってもな。我々は、生きていかなあかんし」

 彼の何気ない一言が突き刺さる。
 今ここに見えない人は皆、"生きてるか死んでるか分からん人"でしかない。

 「ほんでキミは何してんの……ああ、ラジオね」

 彼はラジオを持たなかった。興味もないようだった。
 元々長いことひとり暮らしやったしな、と彼は語った。寂しさには慣れてんねん、と。
 なら東京を目指すのは何故ですか、家族か誰か、会いたい人が居るからではないですか、と僕は尋ねた。
 彼はこう答えた。ほんまは上京して、役者になんのが夢やってん。ほんで世界がこないなってもうたからには、決心するしかないやん。俺、東京行ったことないねん。中学の修学旅行も行かれへんかったし、それから高校も1年で辞めて働き出して、働きながら大阪で芝居勉強してな、けどやっぱり、東京、行ってみたかってん。帰りたいところに帰られへんのもつらいけど、行きたいところに行かれへんうちに死ぬんも嫌やん。そら家族は心配やけど、俺からすれば家族も今や生きてるか死んでるか分からんし、家族にも俺のことは死んだと思ててもらってええねん。そのくらい、行きたかったんよ。東京。

 ラジオから途切れ途切れに、外国の短波放送の声が流れていた。夜なら明瞭に入るが、僕はその周波数を昼もよくチェックしていた。

 「なんの放送?」
 「これは多分、宗教放送局です。キリスト教圏によくあるんです」
 「あー。この音楽、聖歌?」
 「はい、多分」

 バイオリンとハープが奏でる切なくゆったりとした旋律を流し続け、時に英語の長い話を情緒的に、時に短いことばの羅列を淡々と読み上げ続ける放送局。
 長い話はきっとキリスト教の説法か何か。主に夜、男性が行う。世界が終末の様相を帯びた今、何を呼び掛けているのかまでは分からない。短いことばの羅列の方は、主に朝から昼に行われる。

 「ラジオ好っきゃね、キミ。『歩きスマホ』て流行ってたけどキミは『歩きラジオ』しよるわ」
 スマホ、と口にして思わず笑ってしまった。
 スマホ。
 あったあった、懐かしい。
 以前、起きがけにスマートフォンを手にする習慣があった。自分が眠っている間に誰かから連絡が来ていないか気になるから、目覚めて最初にスマートフォンを手に取った。

 世界の大半が電気を失うまで、僕はあまり素直に感情を表に出せる人間ではなかった。
 声に出して話すのが得意ではなかった。だから通話は滅多にしなかった。その代わり文字をやり取りするSNSをよく使った。ネットだけで繋がっている友達も多かった。現実で素直に言えないこともよくやりとりした。それで支えられたというのもあるけれど、僕はただただ単純に『ここからは見えない人達』のことを想像するのが好きだっただけだ。
 ネットラジオのアプリもよく使った。遠く離れた、目には見えない人達の声を、ラジオを通じてよく聴いた。

 遠く離れた、目には見えない人達にも想いを伝えられるというのは、人類が生み出した発明の中で最も素晴らしいものだと僕は思う。
 でもそれはたった2週間前までの当たり前。
 今では以前の暮らし、以前の自分自身が少し思い出せなくなってきている。
 ネットで繋がっていた人達が、生きているか、死んでいるかも分からない。

 「そう、ラジオは、スマートフォンの代わりです」
 「……代わるん?」
 「代わりますよ」

 目に見えないところにも人が生きている。それを感じられる。
 こんなにも世界が変わってしまった今でさえ、ラジオは生き残っている。偶然の重なりで生き長らえてしまったわずかな人達に、別れのアナウンスを流し続ける。

 日の出ている時間帯に行われる短いことばの連続、それは。

 「……これ、人の名前を読み上げてんねんな」
 「多分、そう思います」

 たくさん、たくさんの、人の名前。

 すべてこの世界に生きていた人達の名前。

 いっぺんに死んでしまったせいで、誰からも墓標を作ってもらえなかった人達を、名前を読み上げ電波にして、遠くへと届ける放送、世界にお別れをする放送、いわば声の墓碑……ではないかと、僕は思っている。

 「こんなん、ずっと聴いとったん?」
 「ええ」

 彼は最初怪訝そうな表情を浮かべた。それを隠さなかった。けど少し考えるような表情になって、そしてこう言ってくれた。

 「ここに居てない人のことも、ちゃんと想像してんねんな。キミは」

 そんな大層なことをしているつもりはなかった。
 ただ、人の声が聴きたかっただけ。
 生きている人の声を聞きたかっただけ。
 ただこの少し死に満ち過ぎた世界で、わずかに残った話し手が、弔いの放送を続けるなら、僕はその想いに共感したい。

 共感していたいんだ。
 誰かと。
 その人は生きているか死んでいるかも分からないけど。
 共感していたいんだ。
 ずっとそれは変わらない。

 それから2人して、流れ続ける名前の主に、形式の整わないかりそめの祈りを捧げた。
 目を瞑っている間、僕の心の内には、これまでの人生で出会った様々な人達の声が強く、強く、鮮明に蘇った。まるでそこで話しているかのように響いた。

 しばらくして、彼ははにかみながら

 「お祈りって、初めてしたわ」

 と言った。
 そのあと彼は、新しい水のペットボトルを開ける時、目を瞑りながら短く「いただきます」と口にしていた。


つくみず氏原作のアニメ『少女終末旅行』のサントラを買いました。大好きなアニメだったのでずっと聴き続けています。
ラジオから終わりの音楽が流れる、というのもよくよく考えたら作中にあったモチーフでした(書き始めた時は意識してなかった)。実質二次創作になるのでしょうか。

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