Vol.2 子育て・仕事・大学院、すべてを諦めないナガサワさんの今
このプロジェクトを開始してすぐに、かつての教え子であるナガサワさんから連絡がきた。
「今、大学のキャンパスに来ています」
なんと、高校2年生の息子さんと一緒にオープンキャンパスに来ているというのだ。「親子二代に教える」、その可能性があることに驚いた。ナガサワさんは、私が大学教員になってまもなく受け持った生徒で、つまり20年ほど前のゼミ生ということになる。しかも、彼女は大学4年生の時に結婚・妊娠し、卒業後すぐに第一子を出産したので、こういうことが起きうる。大学に長年勤務していても、なかなか起こらない事態ではないだろうか。
いつもニコニコとしていて、誰とでも話ができる明るい人柄。彼女のことで印象に残っているのは、やはり4年生での結婚と妊娠である。
結婚はまだしも、妊娠は就職にも差し支えるだろうし、ましてや彼女が希望していた大学院での勉強や国際協力の仕事にもハンディを負うことになるはずだ。そう話をした覚えがある。当時、国際協力を学ぶ女子学生が直面する課題のひとつが、「恋愛(家庭)を取るか、国際協力の仕事を取るか」という選択肢だと感じていたし、実際に「彼が反対したので、青年海外協力隊を諦めた」という話を聞いたこともあった。だから、ナガサワさんは、国際協力の道に進むのは諦めるのかなと思ったのを覚えている。しかし、彼女は「両方ともやるのだ」と言ったように思う。そんなことが可能なのか、と正直疑問だった。
ナガサワさんが連絡をくれた時のオープンキャンパスで顔を合わせることは叶わなかったが、改めて彼女とのやりとりを思い返すこととなった。ひとつ前のメッセージは5年ほど前の冬で、「大学院の修士課程が第3子を出産するために1年遅れそうだ」というものであった。そう、彼女は3人の子を持つ母であると同時に、仕事をし、いつか国際協力の仕事をするために大学院にも通っていた。
彼女の仕事は、当時も今も私立大学の事務職である。3人の子育てと仕事の両立でさえ困難なはずなのに、さらに通信制の大学院に進学して修士を取る。そんなことが現実にできるのだろうか。「両方やる」と言った彼女が今、何をして、どこへ向かっているのか。今回、インタビューで話を聞いてみたいと思った理由である。
教育をテーマに積んできたキャリア
——この前は連絡ありがとう。お子さんが今、高校生?
一番上の長男が今、高2。次男が小4、長女が年長です。
——学生の間に結婚と妊娠があったけれど、卒業後は就職していたよね。
そうですね。最初は日産の子会社に就職して、部品などを調達する部署で3年くらい働きました。子どもが保育園に入れなかったので、母や妹たちにサポートしてもらいながら。アフリカにもつながりがある企業で、国際協力に携われるんじゃないかと期待して入ったんですけど、私が配属された部署では難しくて。人間関係などで悩んだりして、最終的には体調を崩して辞めました。
——そうだったんだ。
当時まだ20代前半で、それなりに打ちのめされてた部分があってすぐに再就職はできず。私自身ずっと大学院に行きたかったこともあり、そのうち「教育」をキーワードにいろいろ探して、英語教育の資格を取ってインターナショナルスクールでバイトをするようになりました。その後は、東京工業大学の事務として就職したんです。
——東工大で働こうと思ったのはどういう理由なんですか?
一番の理由は、家が近かったからなんですけど。教育に携わるうちに大学の運営にも興味が湧いたのが、もうひとつの理由です。国際連携室というところで留学関係の業務を担当して、3年ほど勤めました。タイやマレーシアに出張したりもしましたね。
——そして、立教大学で働いた後、今は明治学院大学の国際学部の事務室。
そうです。当時、立教大学は文部科学省の政策でスーパーグローバル大学として国際化を推進していた関係で募集していたので5年働いて、そのあとが今の仕事ですね。明学も最後の年なので、今後はどうしようかなと考え中です。
身近な国際協力への思い
——数年前に大学院で修士を取ったと連絡くれたよね。たしか「ちょうど3人目を妊娠中」と言っていた気がするんだけど、仕事、子育て、妊娠、そして大学院まで?って驚いたんだよ。
そうでしたね!通信教育だったから妊娠はそこまで支障がなかったんですけど、卒業要件として産後にインドとフィリピンに行く必要があったので、それは家族にお願いしました。私は修士論文で「身近な人材を活用した開発教育」を研究して、実際に自分の子どもの学校で実践もしました。コロナ禍もあって、結局4年かかっちゃいましたけど。
——すごいね。
やりたいことやってるだけですよ。
——在学中から「大学院に行きたい」と言ってたけれど、その思いをずっと持っていたの?それとも就職の選択肢を増やすことを見据えて?
たしか先生が助手を探していたときに修士が必要だと聞いて、学歴が必要になる場面もあるかなとは思ってましたね。でも、大学時代に考えていたものの延長というよりは、暮らしのなかで新たな問題意識が見えてきた感じです。今回はもう少し社会開発的なことを勉強したいと思っていたので、大学院に行くという結果は一緒ですけど、動機は全然違うかな。
——実際、大学院はどうでした?
楽しかったですよ!修論を書かなきゃという理由がない限り、なかなか授業を実践することもできなかったでしょうし。改めて私は、国内でできる国際協力というか、身近なところに問題意識が向いているんだと思いました。
——国内でできる国際協力?
大学生の頃から「海外に行くだけが国際協力ではない」と思ってたんですよね。そもそも国際協力に興味を持ったのは、家でホストファミリーをしていたのがきっかけなんです。イスラム教徒のインドネシアの子を受け入れて、1年間一緒に暮らしてました。その彼女がアメリカの大学に留学したタイミングで9.11が起きたんですね。当時、イスラム教徒に対する偏見などでつらい思いをしたことを聞いて、すごく考えさせられて。宗教ってなんだとか、国際交流ってなんだとか。友人が苦しんでいるのを目の当たりにして、国際協力が身近で、日常のなかで起こりうることなんだと気づきました。今でも、日本国内にもまだまだ問題があるし、目の前にやらなきゃいけないこともあると感じてます。
——国際協力を学んで、日々の生活に生かされてると思うことはある?
ありますよ!生活のなかでは、ありとあらゆる人と同じ時間を過ごす必要が出てきますよね。その中で自分と相手は違う人間で、主張が違うのは当たり前だという前提でコミュニケーションを取るようにしてて。そういう感覚がないと戦争やジェンダー格差などの問題もなくならないよね、と思うんです。だから私の場合、いわゆる“国際協力”の現場ではないかもしれないけど、価値観の違う相手を理解しようとする人が増えていけば、平和につながっていくんじゃないかと考えてます。
先生のゼミには、いろんなバックグラウンドの子がいましたよね。難民や在日韓国人の子もいたし、タイに住んでいた子とか。国際協力を外から学ぶのではなく、自分ごととして捉えている子が普通にいて、すごく学びが深まったんです。時には当事者とそうじゃない私たちで意見が違うこともあったけど、諦めずに理解し合おうとする時間が、本当に大好きだった。あの環境も、今の価値観につながっているのかもしれないですね。なんであんなにおもしろい子ばかり集まるんでしょうね。
——わからないなあ。でも、私もそっちのほうがおもしろかったんだよね。いろんな子がいてさ。できるだけ偏見や先入観は持ちたくないし、なによりもみんなが自由であることがすごく大切だと思う。例えば、学生が「私が世界を変える!」と言ったとき、無理だっていう人もいるかもしれない。でも私は否定しない、というかできないんだよね。もちろん若くて無謀な夢もあるけれど、それを無理だと言ったら終わりでしょ。本当に無理なら自分で気付ける。こっちが決めることじゃないんです。
恋もキャリアも夢も、諦めない理由は
——ナガサワさんに特に聞いてみたかったのは、やっぱり欲張りな人生のバイタリティなんだよね。仕事もして、家事・育児して、大学院の勉強をして……と全部やってるわけじゃないですか。普通は2つでも大変なんじゃないかと思うんですよ。
それはやっぱり周りの協力が大きいですね。実家や妹家族と助け合いながら暮らしてます。あとは、のろけるわけじゃないんですけど(笑)結婚相手がよかったのかもしれない。高校生の時に知り合っているので、私が国際協力に興味があることも知っていたし。私という人間を知っている彼からしたら、結婚しても子どもができてもずっと変わらない状態なのかも。もちろん、ちゃんとコミュニケーションを取りながら、ですけどね。
——「学生結婚する」と聞いたときは、本当にびっくりして。彼氏や夫に言われて国際協力の道を諦める女性たちも見てきたから、ナガサワさんもそうなるんじゃないかと、正直思ってたんだよね。でも、全然そうじゃなかった。恋愛も貫いたし、しっかりとキャリアを積んで、勉強もしてる。将来的に本当に、いわゆる“国際協力”の仕事に就く可能性だってあるよね。そういう人生の歩み方、すごい面白いなと。
自分が死ぬときに、高校生からの夢だった国際協力を、ある程度はやり切ったと言える状態で死にたいと思っているんですよね。まだまだ、それが言える感じじゃない。いろいろと制約があるので、難しい部分はあるんですけどね。
——今ね、学生のボランティア先にカンボジアの孤児院があるんです。そこを仕切っている日本人の女性も、高校時代に国際協力をやりたかったけれど一度は諦めて就職や結婚されたと。50代後半になってお子さんが独立したあとに一念発起して、カンボジアで10年以上孤児院を運営してるんです。彼女が学生に「今、自分の前にあるやるべきことを全部やってからでも、国際協力はできるよ」って言うんですけど、これはいいなと思って。学生たちは卒業したらすぐに国際協力の仕事をしたいと考えるけど、長い人生のなかで“いつか”国際協力の仕事を実現することはできるんだって。
そうですよね。私も国際協力をやりたいという想いや人生計画に重荷になるのであれば、結婚や子どもを持つことを切り捨てる選択肢もあったんだと思います。でも、やっぱり結婚や子育て、仕事をする経験も、全部自分がほしかったもの。同時に、国際協力がそれで終わる夢じゃないという変な自信みたいなものがあったんです。だから「自分がやりたいと決めた以上は努力はしなさいよ」って、自分に対する厳しめな言い聞かせはしているような気がします。
——ナガサワさんは一見普通に暮らしながら尖ってるから(笑)、なんか真似できそうで、でも実際はできないっていう感じ。海外に住んだり、国際機関やNGOで働いたりするわかりやすい国際協力の形ではなくて、日々のなかで戦っているというかね。ナガサワさんみたいな人が出てくると、世の中がよくなっていくんだと思いますよ。
インタビューを終えて
3人の子育て、家事、フルタイムの仕事、さらに大学院の勉強を同時進行でやるのは、並大抵のことではないと思う。それが可能だったのはナガサワさん自身が言うようにご家族の助けなどが非常に大きかったのだろう。しかしそれも、本人の強い意思と努力がなければ始まらないし、周囲が協力を惜しまなかったのは彼女のやる気とやり抜く意思の強さを感じたからだと思う。
聞けば、職場では何度も挫折を経験してきたようだったし、学生時代に考えていたほど社会を変えることは容易ではないと痛切に感じる瞬間も多かったのだろうと思った。しかし、そこは柔軟に考え、自分にできることをやりながら、うまく社会と折り合いをつけることを身につけていた。その上で諦めず、しぶとく続けてきたのが今の彼女だ。会話のなかで、彼女が自身を「雑草」だと言っていたのが印象的である。社会に踏みつけられても、生き残る「雑草」という意味なのだろう。
ナガサワさんから、帰国子女や難民、在日韓国朝鮮人などマイノリティの同級生がゼミにいたことが、本当の意味でマイノリティについて学ぶ経験だったと聞き、自分では意識していなかったが、言われてみればたしかに多様性に富んだゼミ生たちだったと思い返した。この独特な集団での学生生活が国際協力を学ぶゼミの特徴だろうし、ゼミ生たちからも仲間との時間が楽しかったという声は非常に多い。
逆に、自分の存在意義は何なんだろうと思うこともあるが、優しい学生たちは「先生だからこそ集まるんですよ」と言ってくれる。先生だからこそって何だろう、と考える。国際協力の現場で、さまざまな国の人たちと仕事をしてきた経験が、自分でも気づかないうちに役立っているのかもしれない。
「国際協力を学んだせいで、日本におけるマイノリティの悲哀を感じたことはないか」と聞いたとき、「国際協力は世界標準なのだから、そこから見ると日本がマイノリティですよね」というナガサワさんの言葉には、まさにその通りと感じた。卒業生たちには誇り高いマイノリティでいてほしいと願っていたが、彼女の折れない心を感じて、勇気づけられた思いがした。
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