見出し画像

【諦めない】「やりたいことをやる」為の大切なポイント3点

もし、この世に地獄があるとすれば、それは納得のいかない現世を過ごすことかもしれません。

いつだって我々を苦しめるのは、理想と現実とのギャップです。
こうだったらよかったのに、全然そうならない。
そういった負の情念を抱えながら過ごした夜は、数知れずあると思います。
しかし、この「納得」というのは、世界が変わる事を期待しても得ることはできません。
変わるのはいつだって自分自身です。

そこで今回は、現代人が抱えるとある普遍的な悩みに対して記事を作成します。


Youtube動画へ👆画像をタップ👆


【やりたいことができない】

挑戦したいことがある。
これを成し遂げたい、これを作りたいという衝動が、確かに胸の内にはある。
だけど、行動ができていない。
ここにもどかしさを感じている人は、非常に多いかと思います。

「やりたいことができない」
この悩みはかなり厄介で、私自身、かなり悩まされてきました。
人によっては、やろうかやるまいか、同じことで2年とか悩んでいたりします。
行動力の大切さはあらゆるメディアを通して喧伝され、やらなきゃいけないことはよくわかっている。
でも、できない。
なぜって、仕事や人付き合い、家族とのコミュニケーションに自分の時間や気力、お金など全部もっていかれてしまうから。
朝に早起きって言うけど、それもしんどい。
やりたいことは頭の中にたくさん浮かんでいるのだけれど、まとまった時間もお金もない。
休日にでもやろうと思うけど、日々の疲れで気分が乗らない。
だから、我慢しなければならない。
日々の生活のために、やりたいことは諦めなければならない。
やりたくないことでも我慢してやらなければならない。
夢は諦めなければならない。

本当にそうか?

【「無い」ものばかりに目を向けていないか?】


確かに、まとまった時間、まとまったお金、まとまったエネルギーを、コンスタントに確保するのは難しいかもしれません。
しかしながら、無いものに目を向けても、仕方がないんですね。
無いものは、無いんです。
ここに対して、ある種の諦めが必要かもしれません。
ですが、それ即ち、夢の挫折・目標の頓挫に繋げるのは早計すぎると思うんですね。
そこで夢ごと投げ出せたのなら、所詮その程度の目標だったんです。
本当にやりたいことというのは、迂回してでも、這ってでも辿り着きたいという執念が宿るものです。
その執念とは、人によっては、朝2時間早く起きたり、夜2時間遅くまでやったりすることなのでしょうが、精神衛生や生活リズムの破壊というのは、これはこれで問題。
いらないリスクを背負うことになりかねません。

そこで私が提示する回答はー明確な10分は不明瞭な1日に勝るー
まず、やることを明確にし、10分だけ集中してやるんです。
たったの10分なら無いなんてことはないんですね。
重要なのは、無いものをねだる事ではなく、今有るものでできる事をするということ。

明確な目的のある10分の積み重ねは、なんとなく消費される不明瞭な一日よりも遥に早いスピードで目標達成を可能にすると思います。
またこのわずかな時間であれば、いったん目の前の仕事をストップしてやったとしても、取り返しがつきます。

そうだとして、たった10分?と思うかもしれませんが、そもそも丸一日あったところで、果たしてかけた時間に見合った成果というものを得られているでしょうか。

絵を描くならまずラフが、曲を作るならまずメロディが、英語学習をするならまずどの教材を使うのかのピックアップが必要になってくる。
そういった前段階を抜きにして、何となくぼんやりと「あれがしたいなぁ」と思っているだけなら、仮に1日あっても、1年あっても、一生かかっても目標に達することは、まずありません。
いきなり完成形に到達することは、ありえないんです。
必ず結果に辿り着くまでの過程が存在する。

まず、たったの10分ですが、明確な目的を持って扱うことができるのか?
試してみる価値は大いにあると思います。
やればわかります。
いかに自分が漫然と時を過ごしているか。
目的が不明瞭な内は、どれだけ時間をかけても中途半端な結果しか出ません。
10分を満足に制御できないのであれば、自由な一日があっても適当に持て余して終わるんです。

千里の道も一歩から、という諺がありますが、まさにそうで、何事も偉大な成果の根底にはバタフライエフェクトがあります。
小さなことから、あらゆる物事は動き出す。
現にうまくいっている人たちを見てみてください。
1億回再生されるようなヒットチューンも、ふとした時に歌った鼻歌からつくられていたり、ジャンプの表紙を飾る大人気漫画もささっと書き留めたアイディアノートの一行から始まっていたりする。
そこから少しずつ何日かかけて意識の神経が繋がって、内側から外側に向けて、渦を描くようにして、目を見張る成果に辿り着いている。

なんの実績もない、なんの感覚も掴んでいない素人が、最初からいきなり莫大なコストをかけて、外堀から大きな事を成そうとしても、それは無理なんです。

【無理な目標を掲げていないか?】

人間にはデフォルトで「楽観性バイアス」というものがかかっています。
予定を立てるってなったら、計画の上ではあれもこれもって、色々詰め込める。
でも、実際に行動してみると、立てた計画の半分も進まなかったりします。
我々には、上げるであろう成果を自身の実力以上に見積もってしまうという性質があるのです。
だから、望まない負け戦を好んで戦ってしまう。
この性質とは、うまく付き合っていく必要があります。

10やると決めて2しかできなかったら、実行した2よりも、当然、できなかった8の方に目がいくんですね。
これが続くと、脳には「できない」という認識が刷り込まれていって、次第に手をつける事すらしなくなります。
誰だって「できない」事なんて、わざわざやりたくないんです。

だから目標の立て方として、どんなにダラけていてサボりたくても、まぁこのくらいならやらないよりかはやった方がマシ、という分量を設定するのがポイントです。
感覚でこれといった目安がなければ、1回でいいです。
筋トレだったら腕立て一回やる、問題集をやるなら設問を1つ解く。
馬鹿らしい、それじゃ意味ないと思うかもしれませんが、重要なのは今日どれだけやったか、ではなく、継続して「できる」という認識が脳に刻めているかどうかなんです。

人間はできることをやり、やるからできるようになる。
1できたら2やってみようかなという気になり、2やれば3、3やれば5に挑戦、10はまだ難しいけど8なら大丈夫だった、とやっているうちに気づけば12やることが“普通”になっていたりするんです。

それはいますぐにはできません。
3ヶ月とかかかるかもしれません。
でも、かけるだけの価値がある。
この世には「時間をかけた方が速い」という一見矛盾した真理が存在します。
時間をかけてゆっくりと、だけど太く神経を通わせていく。
だんだんと無意識でできる領域が広がって作業がスムーズになってゆく。
そのスムーズにできる領域を拡大することが、実は最速なんです。
ゆっくりはスムーズで、スムーズは速い。

最近、効率を上げる、コスパ至上主義みたいなの流行ってますよね?
速く成果に辿り着いた方がお得、みたいな発想って確かに理解できるのですが、どれだけ分厚く塗り重ねてもメッキはメッキであって、純金には遠く及ばないんですね。
最初っから効率がいい事に頼っても、そのテクニックで実際に成果をあげた人と同じ場所にはいけないんです。
今やデジタルで絵を描くのが主流ですが、最初からデジタル上で絵を描いている人って、一生the二次元イラストみたいなガタガタな絵しか描けないんですね。
ところが、それまでアナログでやっていて、基礎が確立した人がデジタルを利用すると飛躍的に時間短縮をしつつもアナログと同等かそれ以上のクオリティを提供できたりする。
効率というのは、非効率のブレイクスルーなのであって、最初から楽な方法を選ぶことは逆に最も険しい道だったりするのです。

ここらへんのカラクリを理解しない限り、物事が前進するということはありません。
本物はベースとなる値を更新し続けることで、凡人には理解できない成果を上げます。
その人にとっての普通が、その他大勢にとっての莫大な努力と釣り合ったのなら、それは人生に王手をかけたようなものです。
そして、その境地は「できる」ことの連続によってのみ辿り着けます。

だから、できないこと、やりたくない事を我慢してやるというのは褒められたことではないのです。

【我慢していられるほど、人生は長くない。】



「自分のことは我慢して、世のため人のために働きなさい」
一見、徳の高い、もっともらしいセリフですが、世間が好んで口にする美徳は、大抵の場合、偽装した悪徳に過ぎません。
自分の本心を蔑ろにすることは、自分の人生に無責任なことと同義です。
親に言われたから、上司に言われたから、って人生の主導権を他人に委ねていると、30年経って振り返った時、絶望することになる。
その薄味すぎる人生に。
周りを見れば、同年代はおろか、自分より10も20も若い世代が、華々しく表舞台に立っていたりする。
その現実に30年経ってから打ちのめされても、もう遅いんです。
そしてその責任は、親も上司も絶対に取らないし、そもそも取れないんです。
なぜなら貴方の人生の責任は貴方にあるから。
他人の意見に従ったという選択さえ、その責任は貴方にあるんです。
言われたことをやるのと同じくらい、我々には断る権利があり、
正しいことをするのと同じくらい、我々には失敗する権利があり、
現実を受け入れて我慢するのと同じくらい、我々には物足りない現状に怒り狂う権利がある。
その選択をするかどうか、権利を行使するかどうかには、必ず責任が伴うんです。
貴方は貴方の役割を果たしていますか?
5年前、10年前の自分に胸を張って会えますか?
無いものを嘆くのは簡単。
重要なのは、今あるものでできる事をやっているのか、ということです。
長い道のりの心配ばかりしていて、足元の小石につまづいているようでは、初めの一歩すら踏み出すことはできません。

今あなたが持ち合わせているのは、自由に使える24時間や湯水の如く湧き上がる札束ではないかも知れません。
でも、合間を縫った十分そこらや、お昼ごはんを質素にして手元にある1000円なら、今自由に使う事ができる。
それをどう使うのか、一つ一つ決断が全てなんです。
そもそも小石をどかすのに、何時間も何万円もいらないんです。
今できることをやっているのかが重要。
やりたいことができない、そう悩んでいる方は、再度、やろうとしていることが今現在できることのスケールになっているかどうか、考えてみて欲しいです。

私自身、小石ごときに何回も躓いてきました。

一夜にして成功を夢見て、もう幾晩も寝過ごしてきた。

たったの10分すら集中したこともないのに、丸一日自由になることを願っていた。
大した努力もしていないのに奇跡的なインスピレーションに縋っていた。
しかし、それで人生は変わらなかった。

人生に納得するということ、この地獄を抜け出すということは、そうじゃない。
自分の決断に責任をとって行動することで、自分自身が少しずつ変化し、世界の見え方が変わるから、人生が変わるんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?