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家事が苦手ならアウトソーシングしよう

あなたは家事が得意ですか?
料理、掃除、洗濯──どれも毎日の生活に欠かせないものですが、家事だろうと何だろうと得意な人もいれば苦手な人もいるはず。それなのに、日本社会には「家事はできて当然」「家事ができるのは人間としての基本」という考えがいまだに残っています。


「できる」のはすごいけど「できない」のが何?

家事というと、僕は料理は得意ですが、掃除と洗濯は不得意です。残りものがあればささっと何品かつくれますし、つくりながら洗い物もしてしまいます。小さな自慢です(笑)。

でも、掃除は下手で、片方の部屋が片付くともう片方の部屋が散らかるというありさま。洗濯はほぼ洗濯機がしますが、好きになれません。面倒くさいんですよね。アイロンのかかったシャツは着たいけど、アイロンかけるのは嫌いです。だるくて。

こんなことをいうと、たまに「家事は基本だよ」みたいなことを言う人がいるのですが、正直、知ったことかと思います。

みんな「できること」だけで生きている

「私はトランペットが上手に吹けます」という人がいたら、僕は「すごいね!」と言います。難しそうだし、上手に吹けるなんてすごいと思うからです。でも、「私はトランペットを演奏できません」という人がいても、何とも思いません。

世の中、そういうことだと思うんです。人には「できること」と「できないこと」があり、この社会は、人々の「できること」をつなぎ合わせて、なんとかまわっています。

家事労働は、あるデータによると年額438万円〜657万円に匹敵すると言われています。誰にでもできることではない証拠です。

「家父長制家族モデル」のなごり

ちなみに、日本社会で「家事はできて当然」みたいな空気があるのは、歴史的な説明がつきます。近年の空気感で表立って言われることは減りませんが、しばしば「女は」という主語が隠れています。女は家事ができて当然、というわけです。古いですねぇ…。

戦後の高度経済成長期、日本では「家父長制家族モデル」が普及しました。夫が外で働き家計を支える「稼ぎ手」、妻が家で家事と育児を担当する「専業主婦」という役割分担を前提としたモデルです。これが「良妻賢母」という概念として結実したのが、1960年代から1970年代にかけてです。

メディアもこぞって専業主婦を理想とした家族像が推奨さし、家事を上手にこなすことが「女性の基本的な能力」として捉えられてきました。当時とは何もかもが違います。

アウトソーシングという選択肢

先ほど書いた通し、僕は洗濯が苦手なので、「洗濯して畳む」という作業をアウトソーシングしていました。新宿という土地柄もあり、依頼するとすぐに回収してくれて、洗濯して、さらにきれいに畳んで戻してくれるのです。本当に便利で、美しく畳まれた衣類にテンションが上がりました!

乾燥機を使われてしまうので、繊細な衣類には向きませんが、本当に便利でした。この話をすると「下着も?」と些末な質問をよくされるのですが、衣類なら何でも洗ってくれます。ちなみに、洗濯ネットに入れたまま出すと、洗濯・乾燥だけで、ネットに入れたまま戻ってきます。

家事代行サービスは、毎日のように利用すればかなり高額ですが、例えば2週間に1回くらいならそれほどかかりません。忙しくて掃除が苦手、でも部屋は片付けたい…という人は、検討してみてはいかがでしょうか。

できないままでも工夫と協力で自分らしく

できないことを「できるようになりたい」とチャレンジするのは楽しいもの。でも、やりたくないなら、じゃないほうの選択肢を検討してもいいはずです。

「料理」が得意な人が料理をつくり、「掃除」が得意な人が掃除をする。「家族」という単位では難しくても、もう少し拡張されたコミュニティなら、そういうことも可能です。「お金を稼ぐ」ということだって、得意な人が担当してもいいはず。

誰だってできることは限られています。できないままでも、工夫と協力で、みんなが自分らしく暮らせたら──僕は本気でそう考えています。

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