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ぐさっと斜めにスプーンを突き立てて─コロナのある世界を生きる②

COVID-19のある真新しい世界で暮らし始めて、およそ2ヶ月。ウイルスに揺さぶられ続けた日々だった。

当初の「感染するかも」という不安は、すぐに「感染させるかも」という思いにつながり、結果「人と会う」という生活の基本が揺らいだ。さらに経済の本格的な停滞で、事業のあり方も現在進行系で揺らいでいる。

ウイルスが(結果的に)揺さぶっているのは、もっと深いレイヤー(階層)だと感じている。背景のように存在しているため通常は意識されることのない深層レイヤーだ。そことの対峙がこの事態に自分らしく対処するための鍵ではないか。

コロナ以前に戻りたい? それとも変わりたい?

リアルで会う換わりにオンラインでつながるとか、レストランで食事する換わりにテイクアウトをするとか、いまさかんに行われているのは「置き換え」だ。大きな変化のように見えて、表層レイヤー上での置き換えに終始している。置き換えレベルで解決するなら置き換えればいい。でも、仮にそれが可能だとしても、僕はそれを望むのだろうか? あなたは?

場づくりクラスの卒業生たちとZOOMで話していたときに「ウイルスが収束したら、元の暮らしに戻りたいか、それとも変えたいか?」という話題になった。都心でフルタイムで働いていた人が「リモートワークも大変なことは色々あるが、もう元の暮らしには戻りたくない」と言った。
夏休みボケとかハワイかぶれとか言われる話と同類のようにも見えるが、いままでとは違うフィーリングや世界の見方が獲得されつつあるようにも思えた。

日常生活が展開されている表層レイヤーではなく、普段は意識されない深層レイヤーが揺らいでいるのだ。
深層レイヤーとは、アスファルトの道路に対する土の地面、電灯のスイッチに対するダイナモ、配偶者に対する家族制度など、通常は意識されない前提条件のことだ。目に見えない、または見えていてもあまりに当然過ぎて意識されないという点において共通している。ただ揺さぶられているだけではつらいので、相対化する必要がある。

土台の正体は薄いレイヤーに過ぎない

僕が深層レイヤーの存在を意識するようになったきっかけは、1995年1月の神戸の震災だ。

空撮された神戸の街では高架の高速道路が橋脚ごと崩れて横倒しになり、あちこちから炎と煙が上がっている。空襲で破壊された街のようだ。NHKのブルーの画面には、白いカタカナ表記の氏名と年齢が延々とスクロールしていた。死亡が確認された人たちの名前だ。

知らない名前ばかりだけど、僕は心を揺さぶられ大声で泣いた。特に子どもや若者など、自分と同じかずっと年下の人たちが大勢亡くなったことに衝撃を受けた。見知らぬ彼らの存在はなぜかとてもリアルで、自分と似ていたり似ていなかったりする日常生活が想起され、言葉にならない感情が涙になった。自分と同年代の若い人たちが大勢一斉に命を落とすことがあるなんて、それまでの僕は考えもしなかった。
何気ない日常だと思っていた土台の正体は、じつは一枚の薄い表層レイヤーに過ぎずない──この思いは、わずか2ヶ月後に東京都心で発生した地下鉄サリン事件によって確信に変わる(翌年の夏、僕は仲間とれんげ舎をつくった)。

剥き出しの大地は怖くない

発災後まもなく、現地で被災した津村喬さんから「生きています。」と始まるFAXを受け取った。

賢治の学校という運動体に携わる関係者(僕もその一人だった)に一斉配信・転送されたものだ。

“みんな家族や友人を亡くしている。悲しい知らせに泣く一方で、住民どうしで助け合い炊き出しなどをしていると、深い悲しみと同時に腹の底から生きる喜びが湧き上がってくるのを感じる”──四半世紀前にへなへなの感熱紙に出力されたFAXだから、現物はもう残っていない。内容だってかなり違うかも。でも、炊き出しの様子は僕の脳内で映像化され記憶に焼き付いている。

深い悲しみと共にありながら、地震によって剥き出しになった大地の上で感じられるリアルな生。これは知らぬ間に、僕の一連の活動のモチーフとなっている。そしてそのモチーフが、コロナのある世界を生きるのにまた力を持ち始めている。

何が自分を励ますのか?

1990年代中頃の日本には、幸福モデルのスタンダード(勉強して良い学校に入り、良い会社に入り、結婚し子どもを育て、安定した老後を送ることが幸せ!)が幅を利かせていて、僕は自分らしく生きるためそこから意識的に離脱しようとしていた。そのためには表層レイヤーに張っている自分根を、硬いアスファルトを突き破りより深くまで下ろしていく必要があった。

否が応でも社会に飲み込まれてしまうものさ
若さにまかせ挑んでくドン・キホーテたちは
世の中のモラルをひとつ飲み込んだだけで
ひとつ崩れ ひとつ崩れ
すべて壊れてしまうものなのさ
(尾崎豊『BOW』/1985)

何か問題を抱えていて元気が出ないときに、再び元気を出すためにはその問題が解決に向かう必要がある。でも、その問題がどうにもならないときにでも、何かの拍子に目に飛び込んできた圧倒的に美しい夕焼けを見て、胸のつかえが取れて呼吸が楽になり、元気が湧いてくる──そういう類の経験をした人は多いだろう。
これはその「問題」を成立させているレイヤーよりも、より深いレイヤーにアクセスしているからではないか。しかし多くの場合、そのレイヤーとのつながりを日常生活の中ではキープ出来ない。夕焼けが闇に消えるみたいに。そして、深層レイヤーとの邂逅を「休日は山に登って自然に触れる」というような行為に矮小化され、表層レイヤーに位置づけられてしまう。

当時の僕を励ましてくれたのは、より深層のレイヤーだった。実際に夕焼けに救われた日もあった。しかし表層に留まる限りは、自分があまりにもちっぽけすぎてまったく勝負にならないのだ。
深層はぬかるんでいたり気味の悪い虫が這い出してきたりして薄気味悪くもあったが、時に官能的なまでの美しさを見せて、僕を励ましてくれた。

置き換えでなく土台から再編集する

COVID-19という新しいリスクが顕在化し、いままで大前提だと考えられていた表層レイヤーがあちこち破壊されている。破損部分を置き換えによって修復するのか、レイヤーごと考え直すのか?

レイヤーごと考え直すのなら、盲目的に前提としている日常生活を相対化することになる。会社は潰れない、家族は壊れない、日常はこのまま続いていく──いずれも身勝手で非論理的な考えであり、客観的事実に反している。いまの仕事が大好きでも続けられなくなるかもしれない。婚姻関係にある相手は自分以外のだれかを求めるかもしれない。日常が非日常に変わる。それらをリスクと呼ぶならば、これらのリスクは決してゼロにはならない。

ゼロリスク症候群とも言うべき風潮は原発事故の際にも見られたが、リスクは常にある。リスクをゼロにしたいのならば、いますぐ死ぬしかない。
生きることはリスクを伴うことであり、自分が存在しているということがだれかにとってのリスクだ。われわれはだれかの吐いた息を胸いっぱいに吸い込んで生きる存在だ。そんな生身の内側にいてゼロリスクを求めるのは、生の希求ではなく否定だ。

守るのでも変わるのでもなく信じる

だからリスクを恐れず生きよう、とは言えない。それは綺麗事だ。リスクというのはそれにフォーカスして分析しまくれば恐ろしいものだし、そうでなければリスクとは言えない。
COVID-19のある真新しく不確実な世界で、不安と付き合いながら生きるしかない。しかし、不安を成立させているレイヤーに根を張るのか、別のレイヤーに根を伸ばすのか、それは自分で決められる。

いままで「表層/深層」という言葉を使ったが、いずれも相対的な意味合いだ。現実=リアリティはラザニアみたいな多層構造を持っている。表層から深層へどこまで深くスプーンを差し入れるのか、それは食べる本人が決められる。

僕はコロナのある世界を、もっと深く味わいたいと思う。ぐさっと斜めにスプーンを突き立てて、混沌に戻った新しい現実をもう一度味わってみたい。何を守ればいいのか、どう変わればいいのか、渦中すぎてよく分からない。だから守るのでも変わるのでもなく、まずは自分を信じることにする。自分を信じるのに理由は要らない。


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