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自分の道を貫くと天涯孤独になりますか?

こんな質問をいただきました。

Q:自分の人生は自分で決めたいと思っています。でも、自分らしく生きることを貫き続ければ、天涯孤独になることもあるのではないでしょうか。天涯孤独は嫌だなと思います。長田さんはどう思いますか?

あなたならどう答えますか?下記が、僕なりの答えです。

自分の道を貫くことが別れにつながることもある

自分の道を貫くこと、つまり自分の気持ちに正直に自分自身の人生を生きようとした選択が、離婚や退職のように、目の前の関係を壊し痛みを伴う変化に繋がることがあります。

まず、この事実を認めなくてはなりません。

この質問は、その選択の繰り返しの果てに、天涯孤独になってしまうことがあるのではないかという懸念が示されていて、その懸念に対する態度の取り方が問われています。

天涯孤独のイメージって正しいの?

大切なキーワードは、「天涯孤独」です。「絶対に避けたい悲劇的状況」みたいなイメージを持つ人も多いと思います。

でも、その悲劇的なイメージって、本当に本当でしょうか。

NHKが「無縁社会」という言葉を発信するようになり、「一人で生きる」ことに対するネガティブイメージが助長された部分はないでしょうか。ちなみに、仏教における「無縁」には、「誰をも決して分け隔てしない、純化した慈悲」という意味合いもあるそうです。

勝手なイメージに翻弄されずに、立ち止まって考えてみる必要がありそうです。

みんなといれば孤独じゃないの?

たとえ家族で暮らしていても、孤独な人は大勢います。閉塞的な家庭環境ならば尚更です。家族で暮らしているだけで幸せだと決めつけるのは、ちょっと行き過ぎです。人それぞれですからね。

家族に限らず、集団の中で自分の本心を隠し、「嘘の自分」を発揮している人がいます。「嘘の自分を演じること」と「集団に属すること」がトレードオフになっているのです。

そんな風に、自分に嘘をついて維持されている関係って、もう既に壊れているとは言えないでしょうか。それは孤独以上の悲劇かもしれません。

血縁から結縁へ

「血縁が大事」という考え方も、そろそろ相対化され、吟味にかけられる時期なのではないでしょうか。「婚姻関係にある男女と血縁の子ども」は、ただそうだというだけで、それが幸福なのかどうかは全くの別問題です。繰り返しまずが、無理に「家族」をやることで作り出される悲劇はたくさんあります。

天涯孤独とは、家族などの身寄りのない状態のこと。
でも、血縁者がいなくても、縁を結んでいくことは出来ます。

仏教で「結縁」と言えば、仏様との縁を結ぶとか、仏門に入るという意味があるそうですが、これを単に「新しい誰かや何かと縁を結ぶ」と捉えることも出来ます。

大切なのは自分自身とつながること

自分らしく生きようとした結果、天涯孤独になる可能性はあるでしょう。でも、自分に嘘をついて無理に家族などの関係性を維持しても、人は十分に孤独でしょう。

天涯孤独を、感情的反応を留保して、客観的にとらえる必要があります。それがつらい人もいるでしょうが、ほっとしてやっと自分に戻れる人だっているのです。
他者とつながることばかり考えず、まずは自分自身としっかりつながる必要があります。心の平和は、そこから始まるのではないでしょうか。

嘘の自分を演じて生きることは、自ら自分自身とのつながりを絶つことです。心が平和になれば、天涯孤独に対するネガティブなイメージからも、きっと解放されるはずです。

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