見出し画像

力を抜くことを忘れます

僕は「力を抜く」のが得意です。力を入れるのが得意な人の方が世の中の役に立ちそうな感じもしますが、力を抜くこともじつはなかなか役に立ちます。

「力を抜く」のをマニアックに追求しました

僕が力を抜くこと、つまり、全身の脱力をすることに初めて取り組んだのは、まだ学生の頃でした。師である鳥山敏子さんと、先日亡くなられた見田宗介さんのリードで、指先からはじまって、全身のジョイントというジョイントを緩め、筋肉を緩め、力を抜く体験をしました。

「なんだ、この気持ちのいいせかいは…」

レッスン場の板張りの床に寝そべりながら、僕はそう感じていました。力を抜くと、身体の床への設置面積が増えていきます。重力によって、身体が下に引っ張られていることを、観念ではなく実感出来ます。

こうした世界観の広がりは、例えば、野口三千三さんの著書などからも見て取ることが出来ます。

力を抜こうとすると自分を知れる

力を抜くためには、身体の部分部分を意識する必要があります。そうすると、仰向けに寝そべって、頭では「脱力しよう」と思っているにもかかわらず、自覚なく力が入っている場所があることに気付きます。

例えば、顔の力が抜けると、上唇と下唇の間に隙間が出来ます。そして、両頬が下に引っ張られる感覚があります。でも、多くの人は唇をぴたっと閉じたままで「力を抜いています」と言います。

それでも、丁寧にその部分を感じて力を抜こうとしていくと、そこに力が入っていることを自覚出来ます。うまく抜けないこともありますが、それはそれでいいのです。力を抜こうとすることで、身体というもう一人の自分と対話が出来るからです。

ただ、身体を自由に使うためには、使わないパーツは緩んでいる必要があります。緊張している筋肉は、一度緊張を解かないと、自由に活動することが出来ないためです。無意識に力が入っている人は、不自由な状態にあるとも言えます。自分で自分を縛り、不自由にしているのです。

力を抜くことを忘れがちな昨今…

というわけで、こういうことに妙に詳しい僕なのですが、最近ちょっと忙しくして、力を抜くことを忘れがちになっていることに気付きました。

せっかく修練を積んで、ふわっと余計な力を抜ける技があるのに、力を抜くこと自体を忘れてしまうのです(ちなみに、余計な力が抜けた状態は、「最適な緊張」の状態とも言い換えられます)。トリガーになったのは、忙しさです。スケジュール的な忙しさが、心の忙しさになり、身体の慢性的な緊張状態へとつながりました(深部にはより深い原因もありそうですが…)。

「出来ること」があっても、やろうとしないと出来ないのと同じですよね。付箋に「脱力」と書いてあちこちに貼るか、大好きなリラックマグッズと大人買いしてあちこちに置くか、まだ思案中ですが、そのうちにだんだん力が抜けてきました。

力を抜くことを思い出すのは、僕にとっては「我に返ること」です。心を亡くさず、何度でも繰り返し自分に帰りたいです。

声のメディアstand.fmでは、同じテーマを音声でお楽しみいただけます。この内容が気に入ったら、ぜひこちらをどうぞ。無料メルマガもおすすめいたします。


コンテンツが役立った!共感した!という方は、よろしければサポートをお願いします。大変励みになります。noteでの情報発信のために、大切に使わせていただきます。ありがとうございます。