見出し画像

周囲とつながる前にまず自分自身とつながろう

東日本大震災以降、日本社会には「つながろう」というメッセージが溢れるようになりました。

良いつながりもあれば悪いつながりもあり、本来はニュートラルな意味合いだった「つながり」という言葉が、肯定的な意味合いだけに偏って使われるようになり、さらには正義の衣をまとうようにさえなりました。

そのなかで静かに失われているのが、自分自身とのつながりではないでしょうか。

「つながる」こと自体に価値はない

僕は「つながろう」というメッセージに、飽き飽きしています。つながることの必要性を認めている人でも、スローガン化されたそれに食傷気味の人も多いはず。

「つながること」そのものに、価値はありません。良いつながりもあれば、悪いつながりもあります。「そのつながりがあったからこそ、孤立せずに救われた」ということもあれば、「そのつながりがあったからこそ、心身を痛めつけられることになった」ということだってあります。

そのため、つながりというのは、低解像度でざっくりとらえて「良いことだ!」と考えても意味はないし、下手をすると人を追い詰めることにだってなります。

ところで、自分自身とのつながりは大丈夫?

他者とつながるために、代償を払っている人が大勢います。職場、学校、家庭、地域コミュニティなど、様々な場で他者とつながりうまくやるために、空気を読み、求められたふるまいに終始し、本当の自分を抑圧している人たちです。

他者とつながるために、嘘の自分を演じる。

自分が本当に思っていることを表現せずに生きていると、本当の自分自身とのつながりが切れていきます。本当の自分を抑圧することと引き換えにするほど価値のある「つながり」なんて、あるのでしょうか?

他者とつながるなら、同時に自分自身ともつながっていなくては意味がありません。横へ横へ拡散していくSNSみたいなつながりではなく、縦に掘り下げて自分とつながる。表面的なつながりも悪くないけれど、通底し合うような深いつながりを育むには、自分自身と深くつながる必要があるはずです。

声のメディアVoicyでは、同じテーマを音声でお楽しみいただけます。この内容が気に入ったら、ぜひこちらをどうぞ。無料メルマガ『冒険と灯台』もおすすめいたします。


コンテンツが役立った!共感した!という方は、よろしければサポートをお願いします。大変励みになります。noteでの情報発信のために、大切に使わせていただきます。ありがとうございます。