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全てを変えたければ下りエスカレーターを駆け登れ

常識や社会通念、周囲の空気に抗って何かを変えようとしても、多くの場合うまくいきません。

僕は、長年こうした変化をつくり出すことを実践してきました。実践してきたからこそ、なぜそうした努力が挫折するのか、その構造を熟知しています。今回はその経験から、変化をもたらすために必要な認識について書きたいと思います。

お決まりの行動様式が自分らしさを見えなくする

自分らしく生きるということは、並大抵のことではありません。少なくとも僕はそう考えています。日本社会には、

「こういうときは、こうすべきだ」

というお決まりの考え方や行動様式がたくさんあります。それは自分でつくったものではなく、既に社会に存在していたものです。多くの人がそれを無批判に採用し、それらをパッチワークしながら生きています。

言うまでもなく、そうしたお決まりの考え方や行動様式に依存していては、自分らしく生きることなど出来ません。自分で感じ、自分で考え、自分で判断する必要があるからです。その結果が他人から見て「すごくありきたりな選択」だったとしても、そこにはその人らしさが宿っています。

決意は重要だが決意だけでは何も変わらない

「自分らしく生きよう」
「周囲に何と言われてもやりたいことやろう」
「生きたいように生きよう」

そう志す日が来たとします。なにがきっかけなのか、どうしてそう決意したのか、それは人それぞれです。

決意は必要不可欠な要素で、そういう意味では重要ですが、決意と変化は別物です。決意をしても、行動を変化させないと変化は訪れません。

目の前の空気感、いつもの感じ、「当然前と同じ行動をするよね?」という感じの周囲の人々を前にしても流されずに、新しい決断をし、新しい行動を取る──そうすることで、はじめて本当の小さな変化を実感することが出来ます。

「特に何もしていない時間」にダメになる

そうした「小さな変化」は、間違えなく自分が起こしたものだと実感されます。本当の意味での自信をつけることにつながる、尊い経験です。

それで、次の瞬間も、翌日も、1週間後も、次から次へとまるでジェットコースターみたいに次々と新しい決断を積み重ねていけるかというと、そういう人は限られています。大抵の人は、ちょっと休んだり、手を緩めます。自分の小さな達成を眺めながら、立ち止まるのです。

この種の変化を求める人に、「立ち止まる」という選択はありません。

何もしていない時間、ちょっと休憩したり、ちょっとだけ前の感じに戻ってみたり、ちょっとぼんやりして“普通”に過ごしたり──そうした時間に、自分がせっかくはじめた変化の流れをぶち壊していることに気付いていないのです。

あなたは下りのエスカレーターに乗っている

常識や社会通念とは、絶え間なく押し寄せる大きな波です。起きて活動している間も、眠っている間も、絶え間なく届いています。ものすごい力と連続性なのです。

立ち止まっているということは、削られているということ。
立ち止まっているということは、後退しているということ。

少し立ち止まって古い習慣に耽っているだけで、あっという間に、自分が起こしたかけがえのない小さな変化は、意味のないゴミくずみたいに感じられます。

一定の変化は、下りのエスカレーターを駆け登ることによって達成されます。眠っても構いませんし、楽しく食事をしても構いませんが、立ち止まってはダメなのです。

変化を求めているのに、変化を起こしたはずなのに、いつの間にか元に戻ってしまう。そういう人は、自分が下りのエスカレーターを駆け登っているということを知らないのです。地面は常に望まぬ方向に動いている──こうした認識が、変化を確かなものにするためには必要です。

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