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アスリートに品格を求めるならご自分からどうぞ

冬季五輪の終盤、羽生結弦選手が競技中につまずいたリンクの穴を見に行ったことに対して、「潔くない」的な批判が一部でありました。でも、普通つまづいたらその穴を見ませんかね?僕は見ますけどね。そういう人たちは、一体アスリートに何を求めているのでしょう?

アスリートに品格を求めるのはおかしい

羽生結弦選手は、世界的なトップアスリートです。叶いませんでしたが、オリンピックでの連覇を目指していました。オリンピックなんて「出場する」ことを夢に持つことすら難しいアスリートがほとんどです。その中で「連覇」を目指すというのはもう途方もないことです。

そんな超絶トップアスリートに、「それ以外」の何を求めるというのでしょう?

もちろん羽生選手は人柄も魅力なのかもしれません。影響力だって大きいのかもしれません。でも、アスリートに競技以外の様々なことを求めるのは、基本的におかしいと思うのです。

横綱の品格よりも相撲協会の品格

アスリートに品格を求める態度で思い出されるのが、「横綱の品格」という言葉です。大横綱だった当時の白鵬に対して、相撲協会が繰り返し求めていました。

あの繰り返された騒動を見ていて思ったのは、まず品格を備えるべきは、相撲協会ではないかということでした。そしてさらに言えば、そういうのを見てああだこうだと言っている僕みたいなのも含めて、アスリートに品格を求める暇があったら、自分が身に付けるべきだと思いました。

もしアスリートに輝かしい競技成績とは別に、さらに品格までも求めるのであれば、それが他の職業にも適用されなければおかしいですよね。区役所職員の品格、保険外交員の品格、コンビニ店主の品格、教員の品格、父親の品格──そうした延々の続く列挙のなかに、フィギュアスケート選手の品格や横綱の品格があるのなら、その通りだと思います。

影響力が大きいから品格が必要は誤り

もちろん、たくさんの報道機関に注目されるトップアスリートは、大きな影響力を持っています。腰パンで「反省してま〜す」とかやっただけで、炎上するのはそのためでしょう。

でも、一般の人が「自分は影響力が小さいから、品格なんて身に付けなくていいんだ」と考えるとしたら、それはあまりにも非論理的です。

たとえ羽生選手のような絶大な影響力はなくても、誰でも自分の身の周りには影響力を持っています。自分の影響力に対する責任は、等しく誰にでもあるはずです。

余談ですが、僕が心配しているのは、米国大リーグで活躍している大谷選手です。競技成績が抜群なだけでなく、何でも人格的にも優れているとか…。確かに、良い人そうです。でも、勝手に期待して時期が来たらこき下ろすことで稼ぐお決まりコースがあるので、溢れる才能をそっとしておいてほしいなと思います。

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