自分という連続性を保てていますか?
去年と今年、先月と今月、昨日と今日、あなたは「自分」という連続性をちゃんと保てていますか? 先月は「こうしたい!だからこうする!」と言っていたのに、今月はそれとは別のことを「したい!」と言っていたりしませんか?
もちろん、そうした変化があるのは自然なことですし、連続性というのは変化がないことを意味していません。むしろ、その変化に対して自覚的で、ちゃんとそれを説明出来るのかどうかということです。
連続性がない人は信用できない?
仕事や肩書きがコロコロと変わる人のことを「信用できない」という人がいますよね。多様で変化の激しい令和の時代ですし、ちょっと昭和っぽい価値観だなと思いますが、例えばその人と一緒に大きなプロジェクトをやろうとすると、「ちゃんと続くのかな…?」と不安を覚えるのも分かります。
こうした不安の本質、不信感の根っこというのは、つまるところ「約束を守らないかもしれない」ということだと思うのです。
あの時は「こうします」と言っていたのに、いつの間にか別のことを言っていて、まるでかつで「こうする」と言っていたことなどなかったかのような態度でふるまう──ということに対して、「信用出来ないな…」となるのでしょう。
連続性が保てなくなる原因とは?
ある時点で「こうしたい!だからこうする!」と言っていた人が、いつの間にか別のことを「したい!」と言っていて、前に言ったことなどなかったような態度を取る。そんな態度を取れば信用を失いかねないのにもかかわらず、人がこうした態度を取るのはなぜでしょうか?
例えば、「こうしたい!」の内容が、「人生における目標」や「志」や「成し遂げたい変化」だったとします。どれも大切なことです。
それが保てないのは、日常生活のなかで削られたり、挫かれたりしたからだと思うのです。そして、ここがとても大事なポイントなのですが、その小さな挫折自体をなかったことにしているのです。
経緯を認めると本当の自分に出会える
大事なのは、ちゃんと経緯を説明できるようになることです。
大切な思いが日常のなかで削られるのは、不安にかられたり、苦手な状況でやっつけられたりといったことがあるからですが、その時にそれをスルーしてしまうと、人は混乱して自信を失います。不安に負けたから自信を失うのではなく、不安に負けたことをスルーしたから自信を失うのです。
「こうしたい!」の内容が大切なものであればあるほど、それは簡単ではないことかもしれません。ある夜は勇気に包まれて「自分はやれる!」と思っていたのに、無慈悲な朝の光のなかで「自分なんかにやれるわけない…」と苦しむことになる。困難なプロセスですが、そこにあるドラマ=連続性をキープすることが、強さにつながります。
何食わぬ顔でスカした態度を取るのではなく、そうした葛藤や浮き沈みを認めつつ進むことが、自分に自信を持ち、他者からの信頼を得ることにもつながるはずです。
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