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自分は自分で救うしかない

最近生活を通して色々と参ってしまうことがあり、その時に考えていたことの記録です。(参ってはいるけど全然なんとかやっていっています、こういうの結構得意なので)

結論を言うと、何を悩んでも結局救われるためには自分で自分を救うしかないなと思ったという話です。

どうしたら自分は救われるのか

救われないとは

人生を通して、「救われないな…」みたいなタイミングが誰しもあると思うのですが、特に自分に関してはあまり人に相談しないタイプで自己解決のみで二十数年間を乗り切ってきました。
その時々で人間関係やら自分ができないこと、逆にできてしまう嫌なことなど、寝て忘れたり考えないようにしたり、時には色々やってみたりで自分の精神をうまくコントロールしてやってきた感があります。(解決しているのかはさておき)
まあでも結局は根本解決はしていなものが多いのであって、あるトリガーがあるとフラッシュバックのような感じで嫌な気持ちが蘇ってきたり、色々忘れていた問題を自分の中で掘り起こしたりで、結局は救われていないという現実に直面して救われない気持ちになるわけです。

例をとって言うと、個人的にはあまり大人数での集会が得意ではなくうまく人と話せなかったりその場の空気を悪くしたり(直接的には悪くすることはないと思うが人に気を遣わせる可能性があったり「この場にいるべきでない感」がある)などがあったりします。これは自分が微妙な気持ちになるだけだしいいやという問題ではない(自己解決(自己解釈)で解決できない)と思っています。

できないことはあるわけで、実際できないわけなのでおそらくこの先同じようなことは起こりうるのですが、これを起こり得ないようにすることが救われることなのであってこれは自分のアクションでしか解決し得ないことだと思っています。

悩むことについて

悩むという行為は自分の中で収まる行為で、外に出ない限りそれは存在しないことであると思います。つまり、自分の中の解釈や考え方を外に出さなければいい意味でも悪い意味でも対外的にそれは存在しない。なので悩むことは常に自己解決(自己解釈)にしか有効でなく、対人関係/物理的な現象として起こる辛いことを解決するには必ずアクションが絡んできます。
このアクションは「他の人に話す」であったり「努力する」であったり色々な形を持ちますが常に悩んでいても始まらない。色々なトレードオフをぶち破ってアクションを起こした際に初めて救われる可能性が現れます。(可能性が現れるというだけなので救われないこともある。もっと言えば悪化するもし得る)

自分を救う

つまり、色々考えても結局はアクションが伴った瞬間にしか救われる可能性は変化しないのであって、最終的な救いのトリガーは自分にある。
このトリガーを引くことができるのはもちろん自分自身しかいません。なので自己解決(自己解釈)以外に対して何をどう悩もうが悩んでいること自体は救いにならず、常に自分がトリガーを引くことが自分を救うことに繋がるなとか考えていました。

救われるには複雑性にダイブして暗い場所でトリガーを自分で引くしかない。おわり。

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