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サウナはどうも整いきれない

『世はまさに空前のサウナブーム』

おそらく5年前あたりからだろうか、何度目かのサウナブームが訪れた。ドラマやSNSではサウナという言葉が溢れ、身の回りのサウナーたちはまるでサウナの布教師だ。
日本サウナ教会から密かに報酬でも得ているのか?と思わず勘ぐってしまうほど、彼らは狂ったようにその熱を語る。

僕も、そんなサウナーの友人に連れられてサウナに足を運ぶが、不思議なことに、どうしても「整う」という感覚に辿り着けない。
実は、僕の中にはサウナに対する一種の苦手意識が存在している。その理由は、大きく2つある。

まず、閉所恐怖症であること。
サウナ室という場所は、窓もなく、息苦しいほど狭い密室だ。そんな空間に足を踏み入れた途端、僕の心は不安に支配され、胸が早鐘を打つように高鳴ってしまう。
サウナの魅力を味わう前に、僕の心は既に出口を求め始めてしまう。外界の空気が恋しくて、ただただ逃げ出したいという衝動が胸の内で膨らんでいく。熱と静寂に包まれたあの空間に長く留まるほど、僕の思考は外の世界へと駆け出してしまうのだ。

次に、暑さと水風呂に弱いということ。
『なんだお前、それこそがサウナの真髄だろ!』と至極真っ当な喝を入れられても仕方がない。
サウナハットをほっかむりのようにし、その場をやり過ごそう。
本来、サウナは8分から12分が理想とされているらしい。だが、僕はその3分さえも、まるで灼熱の中で迷子になったように息が詰まり、意識がぼんやりと霞み始めるのだ。
『この程度でダメになるなんて...』と自分にがっかりしながらも、結局そのまま退出してしまうことが多い。

そして、次に待っているのはあの水風呂。
理屈では理解している。『あの冷たさが、サウナの熱で火照った体をリセットしてくれるんだ』と。だが、実際に目の前にするとどうにも足がすくんでしまう。
試しに片足だけでもと入れてみるものの、足先が触れた瞬間に心臓が縮こまるような感覚に襲われ、結局また避けてしまう。
全身を水風呂に沈めて「整う」境地に達し、サウナ沼に両足がハマる日はまだ遠い先の話かもしれない。



余談。
サウナーの間では大粒の汗を「シャンパン」と呼ぶそうだ。確かに、綺麗なお姉さんの額を伝う汗は泡立つシャンパンのように見えるかもしれない。でも、隣のおじさんの汗となると...どう見てもそれはふっくらとした豆大福そのものだ。

一見すると、ただネガティブに書き連ねただけのように思われるかもしれない。でも実のところ、苦手だと感じているだけで、サウナには確かな魅力があると信じているし、むしろ少しずつ惹かれている自分もいるのだ。

僕は温泉や岩盤浴が大好きだ。だからこそ、銭湯で働いている。営業終了後、静かな浴場に浸かる温泉の時間は、まさに至福のひととき。無料で手に入るこの贅沢は、日々の疲れをそっと溶かしてくれる。

昔、付き合っていた人とよく近所の岩盤浴に足を運んだ。彼女はその度に笑顔で『私、熱波師になる!』と言っていた。僕は『いいね~、タオル1枚で生きていけるね』なんて軽い調子で返していたけれど、今ではもう連絡先も何もかも消したので、彼女の行方は知らない。
だけど、もしかしたら今頃、フィンランドのサウナの聖地で、本当に熱波を振るっているのかもしれないと思うと、不思議と温かな風を感じた、気がした。

ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうね。

いい一日になりますように!

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