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いきものとロボットのあいだ


「動物虐待コンテンツはYouTubeのポリシー違反のため削除しました」

この通知が、自作ロボットどうしを戦わせるロボットバトルの動画をアップロードしたユーザーに届き、騒ぎになりました。

米国ではドリルやハンマーや回転ノコギリなど手段を問わず、相手を物理的に破壊する荒々しいロボットバトルが伝統的に人気で、BattleBots というテレビの競技シリーズも長く放送されています。
今回、YouTubeから自作ロボットの動画が削除されてしまったと訴えたのは、このBattleBots 参戦者でもあるJamison Go氏ら。

削除されたユーザーへのYouTubeからのメッセージには、
「YouTubeでは、動物に不必要な苦痛や危害を故意に与えるコンテンツ、動物同士の戦いをけしかけたり強制するコンテンツは禁止されています。たとえば闘犬・闘鶏など」
という内容が含まれていました。

今回の動物虐待判定は「内部的なエラー」で「モデレーションシステムの過剰反応」だったとのこと。

今回誤って削除された動画はすでに復活しているそうです。
ロボットバトルが、「動物虐待」として削除されるというところが、興味深いと思いました。

ネットでは、
AIがロボットを動物とみなしたのか?
AIが同胞を苦しめることに異を唱えたのか? 
などの言葉も見られました。

そのどちらにせよ、バトルをしているときロボットが痛い思いをしている、と人々が感じているのが、また面白いと思います。

ロボットは苦痛を感じているのでしょうか。

記事の終わりに興味深いことが書いてありました。

今回の騒ぎはあくまで誤判定で終わりそうですが、BattleBots とはまた別の方向性にロボットが進歩していった場合、いずれは「苦しんでいるようにみせる内部処理があるロボットは苦痛を感じているのか」であるとか、ロボットに対して虐待はどこから認められるのか、高度に発達した人工知能に人権あるいはロボ権は認められるのか、といった話は真面目に現実化するかもしれません。


「苦しんでいるようにみせる内部処理があるロボットは苦痛を感じているのか」 

ロボットは苦痛を訴えません。ただただ愚直に、与えられた役割を実行するために作動します。この内部処理を与えられたロボットは、苦痛を訴える手段を手にいれたと言えるのか、愚直に設計通りに苦しんでいるように見せているだけなのでしょうか。

そのどちらであるかを知る術は、今のところ私にはわかりません。

人間にとって人権が、"人間が人間らしく生きる権利"ならば、ロボ権は、"ロボットがロボットらしく生きる権利"とでも言えるのでしょうか。


ロボットらしい生き方って何だろう。
人間とは異なる時間軸を進むロボットと共存していくためには、何を考えるべきだろう。

近い将来、真剣に考える必要に迫られる日が来るかもしれません。

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