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倉式珈琲店のサイフォン

カフェでお茶する、という経験を初めてしたのは、
小学生のころだったろうか。

ゲームとほぼ無縁の家庭で育った私は、
ゲーセンに行くとか、友達の家でゲームとかを殆どしてこなかった。

友達と遊ぶといえば、
雑貨屋で買いもしない商品を眺めて回ったり、
100均のレジ横に設置された200円のプリクラを撮ったりしていた。

初めて珈琲館に行った日は
飲み物一杯に500円もするのかと驚いたものだが、
高校生にもなると、テスト勉強を口実にデニブラン+コーヒーを頼めるようになった。
(コメダ珈琲が近所になかったのでシロノワールではなくデニブランだった)


昔から大勢の友達と遊ぶのが得意ではない。

特定の友達としか付き合わない訳ではないが、
一度にたくさんの人がいる場では
誰に話を合わせたら良いのか分からなくなってしまう。

5人以上で話しているといつの間にか話題が複数発生してどちらにも入っていけなくなるし、
かと言ってみんなが私の発言に耳を傾けていると申し訳なくなってくるので、
大抵にこにこしながらみんなの話を聞いている。


その点、2人でお茶する、というのは良い。

とりとめのない話をしながら
紙ナプキンにらくがきしたり、
お互いのカメラフォルダを見返したり、
というような遊びを
かれこれ十数年やっている。

つい先日も、倉式珈琲店で
サイフォンコーヒーを頼み、
これからのキャリアや結婚観について
議論を交わしてきたところである。

コーヒーの違いあんまりわからないんだよね、
という友人にマンデリンとコロンビアを飲ませ、
酸味と苦味の違いについて説明しようとしたところ
香りを嗅ごうとサイフォンに近づきすぎた友人が
「あちっ」と鼻の頭をおさえていて笑ってしまった。

カフェで話す内容がキャリアや結婚観だなんて、
私たちも大人になったものである。


最近になって、
自分の考えをうまく言葉にできるようになりたいと思うようになった。

高校のときは毎日顔を合わせているクラスメイトと遊んでいたので
話題となる人物やエピソードもほとんどが共通認識下にあったが、
今は学生時代の友人や他部署の同期など
普段は一緒に過ごしていない人との会話になる。

となると、あるエピソードを話したいがためにその前提条件となる状況を一旦説明しなくてはならない。

キャリアだの結婚だの話題も難しくなったし、状況説明も必須になった。
そのような煩雑な話をしているうちに自分でも何を話しているのか分からなくなってしまうのだ。

話の道筋を立てて
相手が簡単に理解できるような話し方ができるようになりたい。
そしてそのための第一歩としてnoteを始めたわけである。


今まで何度となくカフェでお茶をしてきたが、
先日のサイフォンはちょっと特別だった。

これからサイフォン式コーヒーを見るたびに、
私はnoteを始めた日のことを思い出すのだと思う。

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