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あれから10年。

こんにちは!

表参道のLaleiでdirectorしています、ささきです☺︎

かなり久々の更新になるので美容のことを書こうかと思っていましたが

今日は3.11ということもあり、ちょっとそのことについて書きたいと思います。

3.11

あれから10年。今日は東日本大地震についてニュースなどでよく流れていました。

最初の自己紹介でも書きましたが、僕の地元は岩手県です。内陸にあり、しかも山の中にあるような田舎町なので津波の被害などはなく、地盤が強いということもあり、ほとんど被害がない地域でした。

それでも親に聞いた話だと1週間近くは停電し、3月とはいえまだまだ寒い時期で、暗い中みんなで一つの部屋に集まり、寄り添いながら暖をとっていたと聞きました。

田舎なので、灯油のストーブやガスボンベなどがあり、農家をしている家庭も多いので食料なども大丈夫だったけど、いつまでこれが続くのかわからない不安と毎日闘っていたそうです。

僕はその時は東京で働いていたので、実家の両親や兄弟、仙台や福島の友人とも連絡が取れず、毎日心配で。

ようやく連絡が取れみんなが無事と知った時の気持ちは今も忘れずに覚えています。

地震があった次の日からいつものように仕事をしていた僕は少し苛立ちを感じながら働いていたと思います。

なんで自分はこんな時に働いているのか?

なんでこんな時にたくさん電気を使い、たくさんの水を使い、仕事をしているのか?

なんで、こんな時に昨日の地震のことを普通の話題として話すお客様、スタッフがいるのか?

当時のお店は商店街にあり、そこでで流れている音楽や無駄についている電気にも苛立ちを感じ、商店街の偉い人?に

『この無駄な音楽や電気を消して東北の為に少しは節約して下さい』

と言いに行ったのも覚えています。もちろん、東京の電気や水道を節約したところで東北の助けにならないのはわかっていたけど、何かをせずにはいられない気持ちでいっぱいでした。

それぐらいその時の僕は苛立ちや不安があったんだと思います。

毎年この時期になると東日本大地震の話題がお店でも出ます。

『あの時は電車が止まり歩いて帰るのが大変だった』

『あの時は食料がスーパーとかからなくなって大変だった』

いろんな方がその当時のことを、その当時の大変だったことを話します。

もちろん、お客様から出たその話題に関しては僕も話題の一つとして応えます。

でも、なるべくなら話さないようにしたいという気持ちもあり、なぜなら

本当に辛い思いを、本当に辛い経験をしている人は僕なんかよりもたくさんいるから。

簡単な気持ちで、気軽な気持ちであの時大変だったよねって言葉にしたくないという思いがあります。

震災があった次の日から普通に働けていて、電車も車も走っていて、コンビニやスーパーに物はたくさんはないけど普通にやっている状況の何が大変なのか?

もちろん、東京にいながらも被害や大変な思いをした方などもいっぱいいらっしゃると思うので不快な思いになられた方、申し訳ございません!

忘れちゃいけないことだし、伝えていかなければならないことだけど、簡単な言葉で言えるものではない。気軽に大変だったと言えるものではない。

東京にいた僕なんかが、直接被害がなかった僕なんかがこんな偉そうなことを言っていることすらおかしなことかもしれないけど。

あの時も、今も僕はそんな気持ちでいっぱいです。

職場から家に帰り、テレビでみた津波の映像、いつも家族や友人と遊びに行っていた場所の変わり果てた姿、そして直接それを見た時の気持ち。

あれは今でも忘れません。 

あの時から10年。

今でも震災と向き合い、頑張っている人がいる。

今でもあの時の辛さと戦っている人がいる。

たくさんの場所がそんな人たちのおかけで復興していっている姿がある。

そこからたくさんの笑顔が生まれてくる。

ニュースで見るたびに込み上げてくる感情があり、涙がでます。

それに比べたら今の僕の大変は大変なんかじゃない。今の僕が辛いと思っていることは大したことがない。

だってそれは自分自身で変えていけるものだから。

僕の頑張りは自己評価の中での頑張りであって、もっと自分は頑張れるよね?っていうことが今日改めて再確認できました。

帰る場所がある。

好きなことで仕事をしている。

大切な人たちが元気にしている。

そして毎日が当たり前のようにあるということ。

今もこれからもその大切さを、幸せさを心にとどめてまた明日から頑張っていこうと思います☺︎

長い文章を読んで頂きありがとうございました!

僕自身の想いになりますので、もし少しでも不快に思われた方は申し訳ございません。軽くスルーして頂けたら幸いです!









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