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考えることと、話すことと

さんざん言い尽くされてきたことで、あえてここで僕がとりたてることでもないとは思うが、思考と対話には不思議な関係があると思う。

ロジックツリーで表現されるような、きれいな連鎖のかたちで考えがまとまることは、実はなかなかないものですよね。たいていは頭の中で人それぞれ、ところどころジャンプのような連想を重ねながら、なぜだかどこかで「ここだっ!」「これだっ!」と腑に落ちる。ある瞬間に、ふっと落ちる。

で、そういうことって、思索家よろしく沈思黙考しているときよりも、やっぱり人と話しているさなかにふっと「降ってくる」ことの方が、多くないですか。
思考の筋道やロジックが、よどみなくきれいにとおっているだけだと、その考えに意味や価値があるということにはなりにくくて、どこかに飛躍や意外の要素が噛み込んでこないと気づきや納得、説得につながりにくいものではないかと感じる。

立て板に水みたいなきれいな論理を提出されると、なぜだか「ほんとかぁ?」となってしまったり、しませんか。

どこかで異物、異質な要素がガツンとぶつかったりしないと、なにか核心に迫っているという手応えのある論考にはなりづらくて、その衝突発生装置みたいな役割で、対話という状況が機能するものなのかなと思う。(ここでは1対1の、2人だけの対話に限るものではなく)

それから、外からの刺激として対話の相手や仲間に価値があるだけでなく、当の自分が話していることそのものに触発されて発想、思考が活性化し、元ある以上の力を発揮するという効果も見逃せない。

人に語るとき、自分が発するコトバと相手の受け止め方の間にはどうしても落差が発生するものだが、そのことがかえって前に触れた衝突装置ともなりうる。と同時に、相手に向けてコトバを発する行為自体が自分自身の可能性を拡張してくれるという効果までついてくるのだから話がうまい。
インプットばかりしていないで、アウトプットしてなんぼだという話も、同じような観点から出てくる教訓なのではないか。

そのように考えるとき、仲間や同僚、上司部下、メンターであっても、よい対話相手を持つということが、自分の可能性をいかに広げられるかという観点でとても大切だと思う。
これを職業的に行うコンサルタントやコーチも、顧客自身には見出し得なかった答えを外部から渡すということ以上に、いかに自分(顧客)の可能性を拡張してくれるか、その力量に優れていればこそ価値があるのだと思う。

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