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語って学び直す、マーケティング

この危機を機会に変え、なにかを学び自分を高めようと考えているひとたちも多いと思う。

マーケティングの基本的なことがらをまとめ直して発信していきます。
ゼロから知りたいという方をイメージして、書いていきます。

興味があるという方がもしいたら、ぜひコメントください。
それからつづきもご期待いただけたら、めっちゃうれしいです。

やむなく閉じこもり環境がつづく。
いつ終わるのかは、とんとみえない。
気の滅入るこの状況に、ささやかでも希望やうるおいを、私にできることをみつけて発信していこうという動きをあちこち、みかける。

じぶんは(詳しくは別のかたちで別のところに吐露しようかとも思うが)、いまそれどころではない身分だ。ひとのことを気遣っているような立場ではない、とても。
この世界的病禍とはまったく別次元で、極めて個人的に「追い込まれた」境遇に足をつっこんでしまっているという現実。

客観的にはそんな場合ではないのだが、ひとの役に立つなにかがじぶんにはないのか?という思いがわき、それなりに長いこと関わってきたマーケティングについて、じぶんの経験からひも解き直してあるだけ吐き出してみようと思い立った。
どれだけ有用なものが絞り出せるか、すっきりわかりやすくまとめられるか心許ないが精一杯、やっていく。

マーケティングが浮かび上がるとき

〈マーケティングを支援する〉という立ち位置で、いろいろな企業・業界と接点を持ってきた。おおむね15年。
わたしがマーケ界隈に足を踏み入れたはじめの頃は、顧客(マーケティングに積極的な企業)は消費財メーカーが多かった。B to B企業や流通小売業、サービス業などは、接点が少なかった。すくなくとも予算や人的リソースをマーケティングに割くという感覚は相対的に薄く、組織面でも「マーケティング部門」が存在しない企業はとても多かった。

そのうち、IT企業・SIerといった企業で「最近社内で、もっとマーケティングしなくては/ウチはマーケティングができていないからだめ、と上がうるさくなって弱っている」というような話をあちこちで耳にするようになった。
よくよく話を聞くと、その少し前まではITバブルで業界全体が活況、市場が飛ぶ鳥を落とす勢いだから、その追い風にのって会社も当たり前のように成長を続けてきた ── そんなときには「マーケティング!」なんて誰も言わない。(すくなくとも当時は、言わなかった)

そしてバブルが終わり、自社の成長も止まる。

マーケティングが叫ばれだすのは、そんなときだ。
事業拡大が頭打ちになったり、踊り場にさしかかるとマーケティングの存在感が上がり、社内で号令がかかったり部門が新設されたりしだす。
近年でこそマーケティングはもっと恒常的な機能・スキルセットとして重視して当然という流れになってきているが、すくなくとも当時はそこまで一般に浸透しているという感じではなかったように思う。

そんな感じでマーケティングが叫ばれだすとき、それはビジネス成長の打ち出の小槌かのような観られかたをして、言われていると思う。もちろん、企業ならば成長を目指すのは当然だ。マーケティング自体も強いビジネスを築くための知恵として、編み出されてきたものなのは間違いないだろう。

ただここで問題にしているのは、結果としての成長(売上なり、利益なり)をもたらしてくれる(はず)という点にあまりに関心が向くと、以前の記事でも触れたように〈マーケ=広告〉とか〈マーケ=集客〉みたいなイメージが不当にに助長されてしまう気がしてならないということ。

顧客/ユーザー中心・教

わたしは──そしてそれは本来的だと信じたいのだが──マーケティングの根本発想は顧客中心主義だと思う。
上述のように企業やビジネスの知恵としてのマーケティングは(も)、最終的に成長や利益の最大化をめざすことにはなるのだが、ただその大前提として、もしくはそのためにも、まずは顧客起点に立つ。だからマーケティングにフォーカスが向くということはすなわち、顧客を中心にすえなければビジネスが強くなれない環境に足を踏み入れたことのあらわれになる。

でもしかし、だ。
これは教条主義なのか?──顧客中心にあらずばマーケにあらず...

“顧客起点”をふりかざしてそこに執着し、それだけが正義であり前提条件のように物語るのはたんなる思考停止ではないのか…?という疑問も、ときおりじぶんにも降りかかってくる。
この疑問視はどこかで忘れないようにしておきたいとも思うが、わき道のはなしが長くなりそうなので、ここでは問題意識にとどめて別の機会に考えなおしてみることにしたい。

あらかた満足

考えてみてほしい。たとえばあなたがいま切実に欲しいと思うもの(こと)はなにがあるだろう。たまたま目下まさに世界的大病禍の只中でこそ、マスクが手に入らないとか、品物が店頭から消え失せたとか、どのぐらい備えておけばいいのだろうとかの不安が起こっているが、もうすこし前、ほんの3ヶ月ほど記憶を巻き戻せば、多くの人にとっての生活──すくなくとも消費生活としては〈あらかた満足〉なものではないだろうか。

多くのばあい、欲しいと思うものはお金ではどうにもならなかったり、商品としては売っていないもの/ことではないかなと思う。
友だちだったり、恋人だったり、経験だったり、能力だったり、信頼だったり、評価だったり、思い出だったり、未来だったり、、、
すくなくとも、そうしたものはお金で買う対象として想定していないのがふつうで、それでさきほどの消費生活では現状満足(欲しいものはとくにない)という状況になる。

こうした状態で、世の中の多数派に向けて認識済みの利便性や品質をかかげて、いかに知名度をあげ訴求をかけても、人々は見向きもしてくれないのは当然だ。
この状態が、さきほど出した「踊り場にさしかかった」段階、そしてマーケティングが取り沙汰されだすときだ。
(ただはるか大昔、「作れば売れる」という時代もたしかに、あったのだ)

万人の心をワシづかみにすることはもはやできない。
その前提に立って、マーケティングは顧客中心で探る。なにを?
ひとの心の中、行動の裏側、背景など。
そして、探索の相手(顧客・ユーザー:特定の対象というところがミソなのだが)が〈まだ認識していない/が実はとても価値が高いもの(こと)〉をなんとか見つけ出そうと奮闘努力する。

マーケの立ち位置

顧客中心のその先として、マーケティングでは次の2つがとても重要になる。
・顧客の認識、とらえかた(パーセプション)
・顧客を絞り込む、特定する

一般に、マーケティングというとなぜか4Pというワードが連想されることが多いイメージがあるが、わたしの理解はごく一部、一側面という印象がつよい。
それよりは、より根幹にあるフレームはSTPだろうと思う(市場をセグメントに切るというのは今日びあまりにざっくりではないか、という話はまたこんどにして)。それは、上の〈顧客を絞り込み特定する〉という要素を担っているからだ。

万人を満たすことはできない。だから、絞り込まれた特定のひとたちが諸手を挙げて喜んでくれるもの/ことをみつけ、実現する。

そのためにマーケティングは顧客中心に立つ。

これがマーケティングを学び、実践していくさいの立脚点になると考える。
話をはじめるのにやたら長くなってしまったが、今後もあらためて、マーケティングってなんだっけ?ということを、すこしずつ区切りながら続けていこうと思う。

で、次はさきほど大事だと言った、〈顧客を絞り込み特定する〉という話:STP(セグメンテーション - ターゲティング - ポジショニング)のことを再整理してみたいと思う。(たぶん3つを一度には無理なので、一つひとつやっていく予定...)


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