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優しさを持ち寄って

2024年2月28日〜3月6日、石川県・富山県へ行った。北陸へ行くのは、能登半島地震以降2度目。
要件としては、前回と同様に地震保険関係の仕事で。どんな仕事かはこちらの記事をお読みいただければ。

今回は、富山県高岡市を拠点とし、日中は石川県の能登町や穴水町といった“奥能登”と言われる能登半島の奥の方で業務にあたった。
地震による被害が甚大な地域で、前回1月中旬に来た時はまだ我々の業種では入れなかった地域だ。現地の職員の話によると、私が行った2週前から入り始めたとのこと。

高岡に入った初日は、翌日からの住宅調査の準備と現地の職員からの説明を受けた。
高岡から能登町へは車で片道3時間強の時間がかかること、途中の道路状況は決して良くないこと、能登町やその通り道である七尾、穴水町は断水が続いておりトイレを使える場所も限られていること、簡易トイレを準備しているのでそれを持参して向かうこと、などの説明がされた。
その時のトイレ事情の説明では、七尾は比較的水道の復旧が進んでいるが、穴水町は1ヶ所、能登町は2ヶ所のみ使えるトイレを確認できているとのことだった(実際に行くと、もう何ヶ所か仮設トイレなどがあった)。

初日の夜は、高岡市内で30分ほどのジョグをした。高岡市は藤子・F・不二雄先生の出身地らしい。ドラえもんの空き地が再現された公園(おとぎの森公園)があると事前に調べていたので、そこへ向かった。
ランニングを趣味にしていると、2kmくらい離れた場所に目的地があると「ちょうどいいな」と思うようになる。

コラ、もう暗いから早く帰りなさい。

翌日から6日間、いよいよ奥能登へ。高岡から氷見、七尾、穴水、能登町へといった順番に通っていく。
七尾市内でも少し完全に倒壊してしまっている家屋を見たが、特に穴水町に入ってからその数が増えてきた。
2階が1階を完全に潰している家、“く”の字に曲がっている家、壁が完全に落ちて柱が剥き出しになっている家。
それが何軒も並んでいること、そんな場所がいくつもあること。
道路も崖崩れのような崩落や、地割れの箇所が多々あること。
そして、あの地震の瞬間までそこに当たり前に人々の生活があったこと。
あまりの光景に、ため息しか出なかった。少しずつ血の気が引き、クラっとした。

基本的には七尾以降は一般道を走ったのだが、一度だけ自動車専用道路の「のと里山海道」を走らせてもらった。
元々は片側1車線の交互通行のエリアが、途中から一方通行になっていた。一方通行に入ってすぐ、その理由は分かった。
道路が完全に崖崩れを起こし“なくなっている”。崖側の反対車線が、突然落ちてなくなっている。そして、そんな状態の場所が数キロにわたり何ヶ所もある。

左奥から元々の車道が続いていたが、
ブルーシートがかかっている箇所から崩れ落ちている

そして、この崩れた道路の下に自動車が落ちているのを見かけた。おそらく、発災当時そこを通っていたのだろう。
今、ここを走っている時にこの道が崩れたら。そんなことは今まで考えたことがなかった。ただ、この時ばかりは鮮明にその想像が働いて、指先から体温がなくなっていった。
私が見かけた車は、まだ車を降りて上がってこられるくらいの場所に留まっていたので、乗っていた方々が無事であることを願う。

穴水町以降の断水エリアでは、ところどころで仮設トイレがあった。
いろいろな自治体などが設置したのだろう、とてもありがたい。
仮設なので、どうしたって普通のトイレより汚い。流れる水は茶色く濁っている。においもする。でも、鍵のかかるトイレがあるという安心感はとても大きい。
ただ、私は日中だけだから良いが、こういったトイレしか使えない状態が数ヶ月続くのは相当苦しいだろう。

福岡県うきは市が提供した?仮設トイレ

現地では、今も様々な業種の方々が復旧・復興に向けて駆けつけていた。自治体や水道局、警察、通信関係の車両など、本当に全国各地から集まっていた。
各々が、技術や知識と優しさを持ち寄って、各々のできることをやっている。それが凝縮して可視化された様子を見られた。

トイレでいうと、能登町にある「イカの駅 つくモール」にも立ち寄った。海のすぐ目の前にある、道の駅である。もちろん、地震の被害が大きかった地域にある。

タイルが剥がれてしまっている

「イカの駅」という名前の通り、このあたりはイカが有名。目の前の海にはイカ釣り漁船が何隻もあった。

イカキング。全長13メートル。重さ5トン。

ここの名物、巨大なスルメイカのモニュメント「イカキング」だ。この地震でも、イカキングは無事だった。
イカキング、良かったね。会えて嬉しい。

住宅の調査に行った際に、住民の方とのお話の中でこんなことを言っていただいた。
「トイレもないし飲食店もやってないし、大変ね。でもこのあたりね、今はこんな状態だけど、本当は観光客の人が結構来るのよ。海のものは美味しいし、温泉も近くにあるし。だから、落ち着いたらぜひ遊びに来てください。うちももう子どもが上京して部屋が空いてるから、よかったら泊まりに来てね。」
そんな言葉をかけていただいた。お優しい。
こちらがなんとか被災した方々のために、お役に立てるように、と意気込んでいるところに、ふと優しくされて染みるように心が温まった。
もちろん、必ずまた来る。ちょっと泊まるのは気が引けるが。笑

町では、近所の住民の方同士で声をかけ合っている姿、近くの飲食店の方による炊き出しなどを見かけた。
1月1日に起きた地震は、あまりに目を背けたくなる、悲しい災害だった。
それでも、町の外から来る人も、町の中にいる人も、それぞれが優しさを持ち寄って、町の時間は流れている。

私にできることは、とても少ない。何もできない。そんな悩みは、前回から何も変わらなかった。
むしろ、現地の方に優しさをいただいた。
多分、これからも何もできない。でも、できそうなことがあれば少しずつやりたい。
とりあえず、今度は和倉温泉にでも泊まって、能登でイカをたらふく食べに行こう。

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