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高校生が遊戯王にハマった物語 〜第五章 七武海解散〜

この話は以前の話の続きになります。第一章から読むことをオススメします。前回の話貼っておきます。



旧友との再会 高校対抗団体戦

K君との再会

 ある日のこと、とても興味深いニュースが耳に飛び込んできました。「中学時代、野球部で同じだったK君が遊戯王をやっているらしい」と。K君とは高校で離れ離れになりましたが、中学時代は家でゲームをしたり、漫画を貸し合ったりする仲でした。K君も遊戯王にハマり高校の友達とやっていると聞いたので、「今度遊ぼうや」となりました。
 するとK君が「そっちのメンバーと俺らのメンバーで勝負する?」と激アツな発言。K君よ、あまり俺たちをナメるな、俺らは環境デッキ揃えて日々精進してんねん。俺らはあのダフレと凌ぎを削ってんねん。俺らをナメるということは、ダフレをナメるということ。負けるわけにはいきません。
ということで日程を組み、

七武海から当日空いてるメンバーを集めた5人組
[ℹ︎高校]
   vs
K君率いる実力未知数の5人組
[K高校]


の高校対抗団体戦が開催されました。

[ℹ︎高校]vs[K高校]


会場に走る緊張


 私たち七武海は高校の中に敵という敵はいませんでした。最強の地位は私たちのためにありました。その理由は遊戯王に費やしてきた時間とお金にあります。第三章でも述べましたが、高校生にとってデッキを作るという行為は生半可な覚悟ではできません。それを私たちは一切妥協せずに取り組んできたのです。まさに高校を代表するに相応しい5人で挑みました。

 先鋒には切込隊長のS君を起用し、次鋒は七武海1の遊戯王愛を持つJ君を、中堅には最も安定感のある一人っ子のT君、副将では最多所持デッキ数を誇る私が登板し、大将には俺たちのNo. 1、かつて「Xセイバーデッキ」を操ったY君で締めます。穴のない布陣です。

 対する相手はK君以外は初めましてでした。実はK君の通う高校は全体の8割が男子の、工業高校です。偏差値も私たちより2ランクほど高いです。勘の良い人は気付いているかもしれませんが、もしかすると相手は私たちよりカードゲーム歴が長く、強者の可能性があります。ほぼ男子校の賢いオタクが、遊戯王弱いはずがありません。見たことありますか?工業高校でカードゲーム弱いやつ?いないでしょ。

 そんな一抹の不安を抱えながらも、先鋒から大将までの高校対抗、男の激アツ5番勝負が、ひっそりとしたカードショップで行われました。

対抗戦、結果は

 凄まじい熱気で始まった高校対抗戦。先鋒戦から、17歳の高校生10人が一つの盤面を見つめました。それぞれが自分が持つベストなデッキを選択し、ベストなプレイを心がけました。一戦終わるごとに歓声が湧き上がり、役目を終えた戦士は次の戦士へとバトンを繋ぐ。紡がれた意志はより大きな炎になり、次へと紡がれていく。無事に5戦全て終えることができました。

 結果は、なんと私たち[ℹ︎高校]の全勝で幕を閉じました。これを読んでいるみなさん、安心してください。私たちの強さは本物でした。勝因を挙げるならばデッキの質でしょう。あまりにも無駄がなく、5戦全て危なげない試合運びでした。これが漫画ならば2勝2敗で最終戦へ…というシナリオになりそうなものですが、『リングにかけろ』みたいなシナリオになってしまいました。

名作です。


数年後、[K高校]側にいたH君が関西遊戯王界を席巻するのは、また別のお話、、、

黄金期の終焉

 「ショップ大会優勝」「ダフレ撃破」を果たした私は、大きな目標を失った形にもなりました。と言いつつも、純粋に遊戯王を楽しんでいました。

 野球の試合が早く終わった日は、七武海のみんなと「今日はダブルヘッダーや」と笑いながらショップ大会に行ったり、週明けには誰かしら新しいデッキを作ってきているので、部室でデュエルをしまくったり。

 高校野球最後の夏の大会に負け、引退した日だって、「チクショー会」と言いながらみんなで集まって泊まりで遊戯王をしました。しかし、この「チクショー会」を境に、七武海は衰退の一途を辿ります。



 考えてみれば、ごく自然なことです。
 野球部を引退した私たちには、新しいデッキを披露する「部室」はもうありません。「試合帰りのデュエル」の機会も失いました。追い討ちをかけるように、夏休み、大学受験シーズンが到来します。仲間の受験勉強を邪魔してまで「遊戯王やろうぜ!」なんて言う人はいませんでした。

 練習が長い時には愚痴を言い合い、怒られた時には監督の不満を言い合い、面倒くさいと嘆いていた部活動。そんな部活動が持つ強制力が、実は私たちを七武海にしてくれていたのです。

遊戯王と大学受験の両立

 七武海が衰退の一途を辿りながらも、私個人としては遊戯王を続けていました。部活動がなくなり、無限の時間を手に入れた私は、遊戯王の片手間に受験勉強をするというナメ腐った態度で受験シーズンを過ごしていました。

 特に警察官志望のN君が居たこともナメ腐ってしまった大きな原因です。塾にも行かず、2人で頻繁にショップ大会に行っていました。N君は受験がないためアルバイトを始め、豊富な資金力でカードのレアリティにまでこだわり始めました。

 ある夏の日には、自転車のカゴに古文助動詞表を貼り付け、「一石二鳥や」と2時間かけて難波のカードショップに行ったこともありました。
 あの頃は本気で両立できると思っていたのです。夏休みという大事な時期にこんな行動をとってしまったことによって、他の受験生と私の差がグングン開いたのは言うまでもありません。

助動詞


活動休止

 忘れもしません。10月の模試。帰りの電車で自己採点をしながら絶望したのを昨日のことのように思い出します。私は勉強で明確に挫折を感じたことはありませんでした。「なんだかんだやればできるやろ」と根拠のない自信だけはありました。しかし、あまりの正答率の低さ、手応えの無さにその自信は全て砕かれました。

「このままではいけない」

「変わらなくてはいけない」

そう思った私は家に帰るなり、部屋に広げていた遊戯王を全てまとめ、窓のそばに置き、カーテンを被せました。

「受験が終わる2月まで、遊戯王カードは触らない」と心に決め、全てを封印したのです。


 これまで一緒に戦ってきたN君を1人にするのは少し心苦しい気持ちもありましたが、私は遊戯王に少しの別れを告げます。
 それまで何度も購入していたメルカリの取引を見返しても、10月13日で取引はピタリと止まっています。

 それから、失った時間を取り戻すように必死に勉強しました。かなり遅いスタートだったし、期間は短かったかもしれません。それでも、自信を持って「努力した」と言えます。
 滑り止めで受験した大学に落ちるというハプニングがあったりしましたが、なんとか第一志望の大学に受かりました。おめでとう。

次のステージ


 全てを終わらせた2月。私はカーテンを開け、封印を解きます。

 時の流れは残酷なものです。大学受験によって七武海は解体され、高校全体に広がっていた大遊戯王時代も、もうありません。

 しかし、私が遊戯王を封印し、仲間達がみんな受験勉強に明け暮れる中、1人で戦い続けていた男がいました。

 そう、警察官志望のN君です。
 私はN君とともに、遊戯王の次のステージへ足を踏み入れます。




第六章へ続く。



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