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散歩記録 心霊スポット?「江北橋」

タイトルにもある通り心霊周りの話題です。
苦手な方はブラウザバックか、見出し「どうして心霊スポットになったのか」の手前までお楽しみください。


まず先に江北橋と言う橋がどのような橋なのか、その周辺地域の歴史などとともに軽く紹介していきます。

江北橋概要

「江北橋」は、足立区宮城~足立区扇、江北間の荒川上に架かる橋。

江北橋の北端、足立区扇の土手から撮った写真。

手前に見える薄緑色の橋が「江北橋」、奥に見える白い大きい橋が上流にある「五色桜大橋」(歩道無し)。

2本のアーチ橋が近い距離に並んでいるため、眺める場所によってアーチの重なり方が変わり写真撮影が楽しい。

また、かつて「荒川の五色桜」として知られた景勝地「荒川堤」がこの近辺にあったことを示すかのように欄干や歩道部にはさまざまな種類の桜のレリーフが飾られている。

欄干とその手すり部分に見られる桜
足元を見下ろすと「駿河台匂」
こちらは漢字表記で一瞬戸惑うが、なじみ深い「ソメイヨシノ」

渡った時には特に気にしなかったので他にもたくさんのレリーフが飾られているのかもしれない。

上流に架かる「五色桜大橋」は歩道部が無く装飾は確認できないが名前がそのままなので由来がわかりやすい。

川沿いで橋を眺めてるだけでも楽しい。

また、色々あって桜堤は一時的に衰退したものの様々な方面からの助力もあり今では「あだち五色桜の散歩みち」として復興を果たしているので、桜の季節に是非訪れてみて欲しい。

(スポット情報が無かったため大体の位置を表示しています。)

人通りはそこそこ多いはずだが、休日の昼間でも車の途切れる瞬間が度々あった。

以上、江北橋の概要でした。


ここからは心霊スポットになった経緯や調べて出てきた情報をまとめていきます。
あくまで、どうして心霊スポットと呼ばれるようになったかを調べていくだけなので直接的な心霊写真等は表示しませんが、苦手な方は閲覧注意。

緩衝材代わりの橋の由来です。




どうして心霊スポットになったのか


さて、行ってしまえばここからが本編のようなもの。

まずは手始めにGoogle検索における江北橋のサジェストから見ていきます。

一番上が「事故」なのはまあ交通状況の確認等と考えればわからなくもないですが、その下にも不穏な文字が続く有様。

念のため別の橋でも試してみましたが

不穏な結果はもちろん、無理やり理由をつけて納得した「事故」すら
表示されませんでした。

品川ふ頭橋の記事はこちらから


そこで、出てきたサジェストで色々とサイトを巡ってみるとどうやら
・事故車両を見せしめに展示していた事があった
・かつて江北橋では同じような場所で欄干に衝突する不審な事故が多発した
・事故を起こした人が「橋が急に曲がった」「人影が見えた」
 「白い服を着た髪の長い女性が手招きをした」等の発言をしていた

といった様々な情報が出て来ました(情報元となったサイトは最後に
まとめてURLを貼り付けておきます)。

諸々の説明のためにまず一つ目

事故車両の見せしめについて

昔の江北橋は現在よりも300m程北、地図で示すとちょうど
江北交番がある当たりの通りに架かっていました。

それを1960年頃に現在の位置に架け替えた際、橋と道路間に取り付け道路を繋ぐための用地買収が間に合わずしばらくの間江北橋の北詰はT字路となっていたのです。

↑丁度この正面に高架の見える方角が未開通だったよう。

直線で見通しも良い江北橋だからこそ、交通量の少なくなった夜に景色を楽しみながらスピードを出してT字路に突っ込むという想像に難くない事故が多発したそう。

そこで地元警察が、事故を起こしペシャンコに潰れた車両をT字路に見せしめとして展示したことでT字路での事故は激減。

と言うのが一つ目の事故車両の見せしめについての顛末らしいのですが
サイトによっては
「カップルがドライブをしているときに誤って河川敷に転落。彼氏は
助かったが彼女が亡くなってしまい、彼氏も後を追って自殺しようとした」
その後事故車を警察が見せしめとして展示。
という話もあったり少し経緯の違うものが見受けられたりもしました。

インターネットが無い、もしくは今ほど広まっていない時代に口伝で伝えられた話と思われるので今となっては当時の目撃者以外に真実を知る人はいないのかもしれません。



そして二つ目と三つ目を同時に

②&③

同じような場所で不審な事故が多発した
事故の当事者たちによる謎の証言
について。

これはさっきと打って変わって江北橋の南側での話。
直線である橋の途中でなぜか欄干に突っ込む単独事故が多発したのです。

運転ミスとしか形容のできない事故が同じ場所で多発する
というのも不思議な話で、しかも事故の当事者たちは
「橋(視界)が急に曲がった」
「白い服を着た髪の長い女性が手招きをした」
等々口裏を合わせたかのように、見苦しい言い訳ともとれる事を
述べたといいます。

そうして原因不明のまま事故が続いたことで
次第に「江北橋は呪われている」と噂されるように。
(これは①にて記載したT字路で事故が多発したことも原因の一つと思われます)

それからしばらくした後、地元の有志でお祓いをしてもらったり欄干に証明をつけて認性を良くすると事故はぴたりと止んだ。

と、そんな経緯があったみたいです。


実際に霊が見られたのか 事故の原因が何だったのか 真実を知ることはできませんが、実際にお祓いがされた事事故が多発した事は事実。

それらの事実が橋を通る人々の不安を煽り口伝を重ねるうちに話が盛られ恐怖が肥大化し、インターネットが一般化した現代で詳細が曖昧なまま広まっていった。
と言うのが事の顛末だと感じました。


まとめ


調べれば調べるほど心霊関係の情報が出てくる「江北橋」
自分がそのことを知ったのはこの橋を初めて渡ってからずいぶん時間が経った後のことで、渡った時に何かを感じたりはしませんでした。

しかし、普段何の気なしに通っているような場所でも先人たちの犠牲や知恵等様々な経緯があって平穏無事に通行できている。

そんな事実を知って世界が広がったような気がしました。

次に江北橋を渡る時は少し周囲を気にしながら渡ってみようと思います。


以下、参考にしたサイト様のURLです

心霊スポットでもそうでなくとも、夜道は気を付けて通行しましょう。


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