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わしの人生経験による物の見かた①


はじめまして😊

やたにと申します
最初なんて書いていきゃいいのかわからないんですけどとりあえず自己紹介から始めます!
【注意事項】
基本話口調?なのですいません
これが僕なんでよろしくです🙇‍♂️

今、webサイト制作会社を立ち上げようとしてる者です

会社のコンセプトとして結果人が楽しめるような物を作りあらゆる人に豊かさを提供できればなと思っております。

簡単に言いますと
webサイト×独創的
と言ったコンセプトでやらせていただいてます😊

さて、なぜ私がこのような独創的なwebサイト(ホームページ等)を人に提供しようと思ったのか、いろいろと知っていただきやたにという人間を知ってもらえたらなと思っております🙇‍♂️

私は京都府京丹後市に1998年9月17日に生まれました。
ずっと京都に住んでます!


幼少期は、警察官の父親と医療事務の母親の元で適当に生きてました。笑
田舎だったので虫を捕まえては虫かごパンパン状態でよろこんでました

【幼稚園の時期3〜5歳】
おばあちゃんの家(母方)がとなりだったので仕事の忙しい両親に変わって面倒をみてもらってたんすよね笑
早速私の壮絶期な人生の第一歩をお話していきます
ある日、怒鳴り声が聞こえてきたので両親の元へと行くと父親が母親に怒鳴り散らかしてました。
理由もわからない僕は"大丈夫か"と聞くと2階へ上がってなさいと母親は泣きながら言って僕は2階に避難しました。
それが一番覚えてる中で古い恐ろしい記憶です
幼稚園はこれだけなんです、、
許してください、、、

小学校とかもっと面白い話がいっぱいありますので話していきますね


警察官の父親が転勤で京都市内に引っ越し
ちょうど小学一年生が始まりました

私は動くのが好きだったのでとりあえず走り回り友達と遊びブランコをしてこけて怪我をして泣いて帰ってまた遊ぶいたって"普通"の子供だと思ってました。

父親が警察官ということもありこの時点での将来の夢は警察官でした👮‍♀️

小学1年生の頃はモテていて一日中女の子と手を繋いで(授業中も)いた時もありました

異変?人生の面白いイベント?が始まったのは小学2〜3年生の頃でした

夜中寝ていると母親が急にてをつぶれるほど握りそれで起きたわしは母親をみて驚愕しました
過呼吸になり顔はこわばって唸ってるじゃありませんか!
咄嗟に父親の元に行きそれを知らせると
父親「水のんでこい!」
といわれ寝ぼけながらキッチンで急いで水を飲み父親に
水飲んできたよ!というと
父親「あほか!水野(1つ下の階に住んでいる父親の知人)呼んでこい!」と怒鳴られました
(そうですよね...)

そして展開は次から次へと進み救急車が来てその日は終わりました。
次の日に病院に行くと母親は無事でした
その時何を思っていたのかはいまいち思い出せないんですが
数ヶ月が経ち母親から父親がいなくなると言われました

離婚です!
母親が好きだったわしは特になんとも思いませんでした
また会えるやろ的なスタンスだったと思います

そしてまた時期が経ち
ついに義理の父親の登場です。




ここまで呼んでくれてありがとうございます😊
次は義理の父親登場からの話をしていきますのでよろしくお願いします

【まとめ】
・両親が喧嘩した時はとりあえず話しかける
・どこまで行っても自分と他人なので他人を無理に変えようとしない
・両親離婚するときゃする



私の人生の軸は日本の自殺者を少しでも減らすという信念のもと動いております。
なので今辛い(死ぬほどでなくても大丈夫です!年配のかたでも大丈夫です!)方はついったのDMに気軽に一言ください!

それでは!

つづく

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