江戸屈指の遊里!?現在の品川宿跡を訪ねる!
江戸幕府は「日光街道」「奥州街道」「中山道」「甲州街道」「東海道」の五街道を整備した。五街道は江戸の日本橋を起点とし、京や大阪をはじめ、主な城下町と江戸を結びつけた。また、街道沿いには宿駅が置かれ、やがて宿場町に発展。宿場町には旅人が泊まる旅籠や、大名や幕府の役人などが滞在する本陣が置かれ、旅人を目当てにした店も多く置かれていた。
江戸の宿場町で特に有名なのが「江戸四宿」と呼ばれる「品川宿」「内藤新宿」「板橋宿」「千住宿」の四つの宿場町だ。これらの宿場は、五街道において最初の宿場町であり、江戸の出入り口になるとともに、人や物資が往来し、産業が栄えていった。
江戸四宿は単に宿場町としての役割を果たしただけではなく、実は遊里としての存在感も放っていた。特に品川宿は「北の吉原、南の品川」と並び称されるほどの場所だった。吉原は江戸の「吉原遊廓」を起点に、時代とともに姿形を変えながら、現在も色街として存在し続けている。では、品川はどうか?ネットで検索をしても、本を読んでも今の品川宿跡には「色」を感じられる場所は、あまりないようだ。
だが、百聞は一見にしかず。行ってみてわかることもあるし、感じられるものもあるだろう。そこで、今回はそんな品川宿跡を訪ね、街の空気に触れてみようと思う。かつて遊里として栄えた品川宿の現在はどうなっているのだろうか?
品川宿跡を訪ねる!!
わずかに残る遊里の痕跡
2024年3月某日。私は品川宿跡を訪ねた。品川宿は、京急本線の北品川駅から青物横丁駅周辺の旧東海道沿いに広がっていた。現在は商店街となっているが、軒を連ねる建物の並びから、当時の風景をなんとなく想像できる。
ただ、やはりというか事前に調べてあった通りで、品川宿にはところどころ歴史を感じさせる建物があるものの、江戸有数の遊里であったことを思わせるものはほとんどなかった.まぁ、これは他の多くの色街でもそうであるから、仕方がない。多くの建物は時代とともに姿形を変えていくものだ。
そうした中でもいくつか遊里であったことを示すものがあったので紹介しておく。まずは、マンションのすぐ横にあった「土蔵相模跡」と書かれた石碑だ。
ここは『相模屋』という飯盛旅籠であった。飯盛旅籠は通常の旅籠とは違い、飯盛女という給仕をしながら、時に遊女として体を売る女性を置いた旅籠のことだ。ちなみに、土蔵相模の土蔵というのは外観が土蔵造りだったところから来ている。だが、その建物があったのは昭和の初め頃までらしく、現在はマンションの横に石碑があるのみである。
『品川区史跡散歩』(学生社)によると、『相模屋』は幕末の志士たちも利用していたそうだ。その中には、高杉晋作や伊藤博文といった倒幕運動に影響を及ぼした人物もいた。高杉も伊藤も女好きだったらしいので、ここで政治について議論をした後、女遊びをして英気を養ったのだろう。ちなみに、高杉と伊藤は長州藩士とともに、文久2年(1862)に品川の御殿山に建設中だった英国公使館を焼き討ちするのだが、その際、この相模屋から出発したそうだ。
『相模屋』の石碑が建てられたのは、品川宿でも特に大きな旅籠屋であったということもあるが、時代が大きく変わる歴史の転換点の舞台となったことも関係しているのかもしれない。当時の建物をこの目にしたかったなぁと思う。
もう一つ、遊里であったことを示すものがある。それは旧東海道沿いにある『一心寺』という寺にある。この寺に「納 品川貸座敷中」と書かれた石の門柱がある。
貸座敷とは明治以降の遊女屋のことを言う。江戸時代は妓楼と呼ばれていた場所が、明治以降なぜ貸座敷となったのか?それは日本の公娼制度に一石を投じるある事件が起きたからだ。それが「マリア・ルース号事件」である。
奴隷売買について日本はペルーと裁判をしたわけだが、その過程で「日本にの遊女について人身売買されているではないか」とツッコミが入ってしまう。日本の公娼制が問題視されたわけだ。近代国家を目指し、欧米と肩を並べたいと考えている日本でこうした制度を放置しておくわけにはいかない。
そこで1872年の10月に「芸娼妓解放令」が布告される。文字通り芸妓や娼妓が解放されるものかと思いきや、それは形だけのものに過ぎなかった。
その内容は人身売買の禁止や、前借金の無効化、年季奉公の期限を定めるといったものだった。しかし、それは、近代国家として女性たちの人権を考慮したものではなく、あくまで外面を保つといった意図だったようだ。その後、貸座敷制度が整えられ売春は引き続き行われた。貸座敷制度ではそれまでの遊女屋が「貸座敷」と名を変え、自主的に売春を行う女性たちに座敷を貸すという形になった。そうすることで、日本には人身売買で体を売る女はおらず、自らの意思で商売をする女性たちがいるとしたわけだ。まぁ、苦肉の策である。
少し遠回りしたが、こうした経緯をたどっているので、一心寺の石の門柱にある「貸座敷」という文言から、この柱がおそらく貸座敷業者たちによって明治以降に納められたものであることが推測することができる。
なぜ宿場が遊里として栄えたのか?
ここでもしかしたらこんな疑問を持った方もいるかもしれない。
「そもそもなんで、宿場町が遊里として栄えたの?」
宿場町なんだから旅人向けの宿や店だけ置いておけばいいのではないか?わざわざ飯盛女を置く飯盛旅籠として営業した理由はなんなのか?
そこには、江戸時代ならではの事情がある。幕府は宿場に公用の運搬業務のために人馬を用意するように義務づけたのだ。江戸時代の陸路の移動は、主に馬と人によるものだったから、宿場ごとに人や馬を乗り継いで行った方が、効率よくスムーズに移動できたわけだ。
だが、当然のことながら馬や人を常備しておくにはお金がかかる。それは、宿場町にとって大きな負担となった。幕府もその辺りのことは考慮し、年貢が免除されたり、公用以外で人や荷物の運搬や宿泊業務を独占することができた。
しかし、それでも宿場にとって、人馬を揃えるのは負担が大きく費用が足りない。そこで、旅籠に女を置くようになったというわけだ。女を置き体を売るサービスを提供すれば、通常の宿泊費よりも金を取れる。また、女目当てに遊興目的で人も集まる。品川宿は江戸の出入り口であったから、江戸から出ていくもの、あるいは外から戻ってきたものが立ち寄ったり、体を休めるついでの利用も見込めるだろう。
明和元年(1764)には、五街道や街道の宿駅で取り締まりなどを行う道中奉行により、品川宿に飯盛女を五百人置くことが許された。ちなみに、同じ江戸四宿の板橋と千住には一五〇人だったため、いかに品川の規模が大きかったかがわかるだろう。もっと言えば、この五〇〇という数字も表向きで、天保の改革が行われた時には千三百人ほどもいたそうだ。もちろん、既定の人数を超えることは許されていないので、取り締まりを受けることになるのだが。
ここで勘違いしてはいけないのは、旅籠に飯盛女を置いて遊女のような働き方をさせることを、幕府が完全に公認していたわけではないということだ。江戸において、幕府が遊女を置くことを公認したのは『吉原遊廓』のみである。宿場の飯盛女たちはいわば準公認のような存在。宿場の経営を成り立たせるため、やむを得ず置くことが許されたわけである。そのため、吉原遊廓で遊女屋を経営するものたちからは、目の敵にされたし、飯盛女を置く数も制限され、既定の人数を超えれば取り締まりを受けることもあった。
品川宿は1872年の宿駅制の廃止によって、宿場としての役目を終えるが、飯盛旅籠から続く遊興の地としての役割は、昭和33年(1958)の売春防止法が施行されるまで続くことになる。
投込寺と呼ばれた海蔵寺を訪ねる
旧東海道沿いを中心に品川宿跡を歩いた私は、海蔵寺という寺に向かった。海蔵寺は永仁6年(1298)に建てられ、ここはかつて「投込寺」と呼ばれていた。江戸時代には獄死したもの、宿場で働いた身寄りのない者たちのような、いわゆる「無縁仏」が埋葬されている。吉原遊廓で働いた遊女たちが投げ込まれた『浄閑寺』など、各地に投込寺はある。
なぜ、私はわざわざこの場所に来たのか?それは、やはり無縁仏になった人たちを弔いたい気持ちがあるからだ。彼らだって最初から無縁だったわけではない。親がいたかもしれないし、子もいたかもしれない。親戚、兄弟、友達、恋人がいたこともあったかもしれない。でも、その縁はぷつりと切れて、最期はこの場所にたどり着いた。
彼らの最期は一体どんなものだったのだろうか?故郷のこと、家族のこと、恋人のこと。何を思いながら最期の時を迎えたのか?もちろん、彼らの気持ちがわかるはずもない。だが、中には無念のまま生を終えた者もいるだろう。不本意な人生に納得できない者もいたかもしれない。そんな事を想像したら、彼らの前で手を合わせたくなったのだ。
私は目を瞑り彼らの安らかな眠りを祈った。静かに眠る彼らの人生に思いを馳せながら。今回、他者の人生を尊重する事を、改めてこの身に刻むことができた。自己満足でしかないがとても豊かな時間だったと思う。
まとめ
今回は品川宿跡周辺を歩いた。やはり、現地に行ってみないとわからないことは多い。かつて遊里として栄えた品川宿だが、その面影はほとんどなかった。だが、所々に残る歴史の跡や、宿場周辺に数多くある寺社の存在は、歴史の一端にほんの少し触れる手助けをしてくれた。
今回行かなかったが、品川宿周辺には、まだまだ数多くの神社や寺があり、そこにはきっと、多くの歴史が刻まれているだろう。またいつか訪れることがあれば、そうした場所にも足を運べればと思う。
百聞は一見にしかず。ぜひ、今回の記事で興味を持ったなら品川宿周辺を訪れてみてほしい。きっと、あなたにはあなたの発見があるだろう。
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