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大晦日

 鳥の鳴き声があまり聞こえなくなってきた。日が暮れかけている。朝から何もなく、静かに時間が過ぎていった。たぶん静かなまま今年最後の日が終わっていくのだろうと思っていた。
 佐和子はまだ、帰らない。
 大晦日の新聞はやけにぶあつく、台所のカウンターに置きっぱなしになっている。手にとり、なにげなくテーブルの上で一枚ずつゆっくりとめくってみる。ふだんは新聞など読まないのに。大晦日ぐらい新聞でもゆっくり読もうかという気分になっているのかもしれない。
 目につく記事をゆっくりていねいに読んだつもりだったが、最後の記事まで読み終えるのに十分ぐらいしか、かからなかった。ついでに学習塾とか建て売り住宅とかのチラシ広告まで目を通す。やはり特に気になるものはなかったので、全部ひとまとめにして、押入れの中にある古新聞用の袋に入れた。
 台所のテーブルに戻り、こんどはカフカの短編集を読むことにした。時間があまったとき読むことにしている文庫本である。どれもとても短い話で、だいたい十分か十五分あれば、話をひとつ読める。
 昼は、醤油で味つけをした焼きそばを食べた。そのあと佐和子は、買い物に行ってくる、と言った。夜はやっぱりお蕎麦で、明日はやっぱり雑煮と刺身。呟くようにそう言って、買う材料をメモに書きとめていた。
 今日はきっと、人でごった返してるよ、たぶん。
 でも、たった二人ぶんだけだもの。
 佐和子は茶色いスエードのコートに、マフラーを巻いて出かけた。
 一つめの短編を読み終えたあと、壁にかけてある時計を見た。読み始めてから十分ほど経っている。ひとまずテーブルの上に文庫本を伏せ、煙草を一本吸うことにした。
 カフカの小説を読むと、なぜかわずかな空腹感にとらわれることになる。といっても食欲が湧いてくるというわけではない。ただ、自分の中で何かが足りていないということにふと気づかされることがある。どこかの部分で何かが足りないなと気づき、胃の中で足りないのかなと気づきはじめる。気づいたからといって、特にどうすることもない。とにかくすこし変な感じにしばらくなるのである。
 三つめの話を読み終えたところで、やはりすこし変な感じになった。どこかで何かが足りていないことに、ふと気づいた。窓の外を眺めてみた。まだ暗くはないが、さっきより日が落ちている。こんどは完全に文庫本を閉じ、また煙草に火をつける。煙をゆっくりと肺に吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
 自分の携帯電話を引きよせて、佐和子の携帯電話を呼びだしてみた。
 呼び出し音は鳴らない。電波が届かないという声が聞こえる。
 佐和子がよく行く店は大型店舗で、食料品売り場は地下にある。そのせいで電話がつながらないことが何回かあった。佐和子が家を出たのは一時ぐらいである。もう四時を過ぎている。豆腐やごぼうを選ぶのにそんなに時間がかかるものだろうか。
 押入れを開けて、さっき新聞紙と一緒に放りこんだチラシの束を取り出す。そして、佐和子がよく行く店のチラシがあったかどうかを確かめてみる。どうしてそんなことをするのか、買い悩むようなごぼうがあるのかを調べるつもりなのか、自分でもすこし可笑しくなりながら、チラシを一枚ずつ確かめてみる。変な感じのせいかもしれない。
 結局チラシはなかった。近所の他の店のチラシはほとんど入っているのに、佐和子がよく行く店のチラシだけはなぜか入っていない。しかたないのでチラシを元どおりに整理して、ごみ袋の中に戻し、押入れの戸を閉める。
 しばらく他人の部屋にいるような気分になった。

 小学校の生徒から、電話がよくかかってくることがあった。
「さわこせんせい、いますか」
 電話をかけてきた子どもの顔を思い浮かべるように、佐和子はいつもすこし微笑んで受話器を受け取った。それから長い時間をかけて、ゆっくり子どもと話し続けた。何でもないような話のようだったが、笑ったり、頷いたり、真剣な表情になったりしながら、佐和子はいくらでも話していた。
 やっと受話器を置くと、電話で話したことをこんどは私に話し始めた。子どもが家族と行った動物園でサイの親子を見たことや、テレビに出ている若い女性歌手の新曲がクラスで話題になっていることや、スイミングスクールでタイムを更新したこと。佐和子は片付けをしながら、洗濯物にアイロンをかけながら、子どもと話していたときと同じトーンで私に話した。そしてときどき、子どもが笑うように笑ったりした。
 佐和子の話を聞いて、サイの親子や、クラスで話題になっている歌手のことや、子どもたちがばしゃばしゃと泳ぐスイミングスクールのことを私は思いうかべた。そして、佐和子にむかって熱心に話し続ける子どもたちと、うんうんと微笑みながら頷く佐和子の姿を思いうかべた。いろいろと思いうかべていると、私も誰かにむかって、サイの親子について話をしてみたくなった。
 あるとき、電話のことが小学校でちょっとした問題になった。生徒が先生の家にひんぱんに電話をかけるということは、他にないことらしい。学校からおふれのようなものが出て、先生の家に電話をかけたりするのはやめましょうということになった。佐和子の名前は出なかったが、それから子どもたちから家に電話がかかってくることは、ぷつんとなくなった。
 静かだね、佐和子は洗濯物をたたみながら、そう言った。
 たとえ学校で話せるとしても、長い時間をかけて子どもと個人的に話すことがなくなったのは、佐和子には淋しいことのようだった。世間っていうのはそういうものだよ、というようなことを私が話してみても、佐和子はただ静かに洗濯物をたたんでいた。世間のしくみの話なんかより、子どもたちが話す子どもたちの世界の話のほうが、佐和子ははるかに好きだった。

 携帯電話の着信音が鳴る。テーブルの上に置いたまま、ディスプレイを見てみる。
 佐和子ではない。田島さんからである。
「ひとりですか」と田島さんは電話の向こうで訊ねた。「息子とぶらぶら歩いてて、たまたま近くまで通ったもんで。大晦日だしね、これからちょっとお邪魔していいかなと思って、あと三十分ぐらいしたら伺えそうなんだけど」
 ときおり雑音が混じって、声が聞きとりにくい。大きな国道のそばを歩いているのかもしれない。その音に負けまいと、はっきりと大きな声を田島さんは出している。
 いいですよ、と私も大きな声を出してみた。田島さんの短い返事が聞こえて、電話が切れた。
 田島さんはフリーのカメラマンで、仕事の関係で知り合った。五十歳をすぎて初めて結婚して、今は小学校低学年の男の子がいる。偶然にもわりと近かいところに住んでいたが、年齢が三十歳以上離れているということもあってか、普段個人的に会うようなことはまったくなかった。
 田島さんが来る三十分のあいだには、佐和子は帰ってくるかもしれないな、と思った。それならば田島さんが来ることを先に言っておいたほうがいいだろう。佐和子は田島さんに会ったことがない。
 もう一度、佐和子の携帯電話を呼びだしてみる。
 呼び出し音が鳴った。
 何回も鳴る。
 何回鳴っても、佐和子の声はしない。
 電話を切り、とりあえずお茶の支度をする。乾かしていた食器を食器棚にしまい、テーブルの上を拭き、コンピュータがある机の上を片付ける。ついでに寝室に行ってベッドのシーツの皺まで伸ばした。そこまでしてみると、やっぱり他人の部屋みたいに感じられる。
 居間の窓を開けてみる。待ちかまえていたように、ベランダから冷たい空気が入ってくる。もともとここは他人の部屋なんだから、というように。
 すでに空は赤い。
 近くの寺から細い煙がのぼっている。木材の焦げる匂いがする。
 川沿いの道で、ジョギングをしている人が一人いた。
 日が静かに暮れていくのをみていると、佐和子と子どもたちがサイの親子について長く話している姿が思いうかんだ。それは温かな姿だった。佐和子の温かさであり、子どもたちの温かさであり、サイの親子の温かさだった。なぜそんなふうに感じるのか。私も同じ温かさになっているのか。田島さんが急にうちに来ようとしたのも、息子と歩いているうちに何かに温められたからかもしれない。
 ベランダの柵のあいだから、猫がこちらを見ている。一階の部屋なので、たまに猫が通るのを見かける。見たことのある白い猫だ。猫はいつもどこからかやってきて、並んだ部屋をちらちら覗きながら、どこかに去っていく。猫は温かいのか。それとも冷たいのか。猫は足りているのか、足りていないのか。猫をためしに抱きよせてみたい気持ちで見つめていた。しばらくすると、そんな気持ちからふわりとすり抜けるように、猫はたやすく去っていった。
 田島さんが来るまで、もう一度カフカの小説の続きを読むことにする。居間の窓を開けたまま、敷居に腰を下ろし、ベランダに足を出して、文庫本のページをめくる。だんだんと体ぜんたいが冷たくなり、部屋ぜんたいが冷たくなる。佐和子や子どもたちやサイの親子も冷たくなって、たやすく消えさる。ただ身を硬くして、微小な虫のような活字を追いかけていく。足りていないことを、やっぱり気付いていたいのだろうか。
 小説を読んでいると、フランツ・カフカにとって小説を書くことは、ただひたすら待ち続けることのように思えた。仕事を終え、毎晩プラハにある古びた小屋の中で誰に読まれるあてもない小説を夜明け近くまでただ書き続けた。そして夜空を眺めては待つともなく待ち続けた。たやすく消えさるものを待ち続けていたかもしれない。そして、ときどきふっと温められていたかもしれない。

 佐和子が帰ってこないまま、田島さんと田島さんの息子が来た。
「寒いね」
 田島さんはいつもの丸い眼鏡をかけ、山で遭難していたみたいに髭をたっぷり生やした顔で微笑んだ。そして、来る途中に買ったらしい箱入りのシュークリームをくれた。親子二人ともニットキャップを被り、手袋をはめ、同じデザインのダウンジャケットを着ている。田島さんのうしろに張りつくように田島さんの息子はいた。彼はきょろきょろと玄関を見回したり、私のことを見たりしている。手には紙製の小さな鯉のぼりを持っていた。
 田島さんはすこし酔っているようだった。お茶をたくさん飲んだり、シュークリームを食べたり、お茶をこぼしたりしながら、よく喋った。何でもないような話だ。銀座まで知り合いの写真展に行ったのにひどくつまらなかったことや、事務所を海の近くに移転したいことや、自宅の庭でつくった野菜を明日の雑煮にいれることなんかだ。そんなによく話す田島さんを見るのは初めてだった。これまで田島さんと二人で仕事をしたことが何度かあるが、仕事中でも移動中でも必要なこと以外はほとんど喋らない人だった。
「そろそろ海の近くに住みたいよ」と田島さんは軽く笑って、またお茶をすすった。
 田島さんの息子は、田島さんの横で退屈そうにシュークリームを食べている。そしてときどき思い出したように鯉のぼりをいじって、ひらひらと動かしている。ちょうど佐和子が教えている子どもたちと同じ学年ぐらいだろう。髪が短く揃えられて、とんがった大きな耳が印象的だった。
「物書きになりたいんだって、こいつ」、田島さんは息子を見て微笑む。
 私はさっきまで読んでいたカフカの小説を、田島さんの息子に差しだしてみた。彼は黙ってそれを手に取り、興味深そうに何回かひっくりかえして観察した。そしてぱらぱらと遊ぶようにページをめくったあと、最初のページに戻って、文字をゆっくりと追いはじめた。
 彼の不自然に大きい耳は、どこか不思議なものにみえた。それはただ肉体の一部として引っついているだけというより、彼とは別に独立した一つの小さな動物のように思えた。何かの拍子につるりと外れしまいそうだが、とりあえず今は彼に音を伝える役割をまっとうしている。空気の震えを感知し、判断し、精査し、その音に意味を与えて彼の中に伝えている。それによって彼の心は動かされている。物書きになりたいというのも、彼の耳がそうさせているかのように思える。
 酔いがさめてきたのか、田島さんの口数がだんだん少なくなってきた。ただ窓の外や息子のほうを見つめたりしていた。大晦日なのに申しわけなかったね、と田島さんは言ってニットキャップを被りはじめた。
 じゃあそろそろ、あ、そうだ、最後に、
 田島さんは思いだしたようにズボンのポケットに手を突っこんだ。そして、ていねいに折り畳まれた黄色いハンカチを取りだし、テーブルの上に広げた。艶のある人工的な黄色で、蛍光灯の光にぴかぴか反射していた。
「どうしたんですか」、私は訊ねたが、田島さんは何も答えず、微笑んでいた。
 田島さんは息子が持っていたカフカの文庫本を手に取り、広げたハンカチの真ん中に静かに置いた。そして神妙な手つきでハンカチの角を一つずつゆっくりと文庫本の上に折り重ねていった。まるで新しく中学生になる子への入学プレゼントのように、カフカの文庫本は鮮やかな黄色のハンカチに包まれた。田島さんは両手に何も持っていないことを示したあと、右手をゆっくりとハンカチの上に置き、左手をハンカチの底に慎重にすべりこませた。ハンカチに包まれた文庫本をしっかり挟んだまま、両手を自分の胸のあたりに持ってきて拝むような格好をした。そして深呼吸を一度すると、両手を前後に揺らしはじめた。
 消えるのか、と私は思った。たぶん消えるのだ。
 田島さんの息子も、田島さんの動く両手をじっと見つめている。彼の二つの耳も、起ころうすることにじっと集中している。
 たぶん消えるのだ、消えるならどこへ消えさるのか。
 ほら、
 田島さんは素早くハンカチを広げた。
 カフカの文庫本が消えている。
 田島さんの息子が不思議そうに笑った。田島さんもハンカチを南国の旗のように振って、笑った。私も笑ってみた。
 女の人が消えたんだよ。
 田島さんはダウンジャケットを着ながら、そう言った。「ここへ来る途中に公園を通ったんだけど、小学生ぐらいの子どもたちが何人か集まって盛り上がってて、その真ん中で女の人がなんか話してた。もう薄暗いのに何やってんだろなと思って、近くまで寄ってみたら、手品をやってたんだ。その女の人がトランプとか小さい箱とかを使ってて、子どもたちはすごく喜んでた。女の人も嬉しくなったみたいで、いろんな手品を次々やってた。おれも手品は好きだから、息子と一緒にしばらく遠くから見てたんだけど、使ってるネタはよくあるものだよ。スーパーで売ってるような誰でもできる手品のおもちゃみたいな感じ。でもそんなおもちゃみたいなのでも、子どもたちはおもしろがって、なんで? どうしてってみんなできいてた。すごく楽しそうだった。女の人もしゃがんで、学校の先生みたいに子どもたちと笑って喋りながら手品をやってた。ちょうどあなたぐらいの歳の人かな」
 田島さんは唐突にそんな話をした。
 佐和子なのか。
 唐突にそう思った。 
 手品。
 ふだん教室でやっていたかもしれない。
 スイミングスクールを、唐突に思いだす。
 誰もいないスイミングスクール。
 しばらくすると、誰かがそこで泳いでいることに気づく。
 佐和子かもしれない。
 きっと子どもたちといっしょに泳いでいる。
「消えた?」と私は訊いた。
「最後に女の人がすべり台の裏側に隠れて、十秒数えたらこっち側をのぞいてごらんなさいって言ったんだよ。子どもたちは言われたとおり、みんなで声を揃えて十秒数えた。きっちり十秒だったよ。数え終えると、すべり台までかけ寄って裏側をのぞいてみた。すると女の人はいないみたいなんだよ。子どもたちは声を上げてびっくりしてた。そしてわいわい言いながら公園のいろんなところを探しはじめた。正直おれも驚いたよ。どうやったんだろうって。息子と首をひねりながら公園を出たけど」
 そこまで話したときには、田島さんは玄関のドアノブに手をかけていた。
「茶色のコート、着てました?」と私は思わず訊ねた。
「どうかな」、田島さんはあごの髭をさすった。「そう言われてみれば茶色だったかもしれない。暗くてよく分からなかったけど。でも着ていたのはコートだったな、たしかに」
 でもどうして? という表情で田島さんは一瞬こちらを見た。でも何も言わなかった。じゃあよいお年を、と田島さんは微笑んで帰っていった。田島さんの息子は小さな鯉のぼりをこちらに向けてひらひらと揺らしていた。

 いつのまにか、テーブルの上にカフカの文庫本が置かれてある。
 手に取って、ページをめくってみる。どこにも変わったところはない。はじめからテーブルの上に置かれてあったかのように。
 窓の外を見た。暗い町なみに、車のヘッドライトが一瞬よぎる。
 もうすぐ一年が終わろうとしていた。大きなハンカチに包まれて、一年はどこかに消えさろうとしていた。どこへ消えさるのか。でもテーブルの上には、すぐに新しい一年が置かれる。なんにもなかったかのように。
 部屋が他人のように冷たい。
 私はコートを着て、夜の公園へ行く。
 すべり台の裏側で、佐和子が子供たちといっしょに待ち続けているかもしれない。

(2006年作)


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