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議員をつくろう。良いことか悪いことか?

 最近「次の選挙出るの?」ってよく聞かれます。僕のことなんか何も気にすることはないのに。きっと様子見なんでしょうね。

 津市の次の市議選は2年半先(2026年1月)なので、そろそろ候補を決めておきたいという人が居られるわけです。〇〇党の方も、〇〇自治会の方も、〇〇会青年部の方も、同じように「次の候補がまだ決まってないねん」とおっしゃいます。団体を組んでいる方々は、「地域から一人は議員を出さなあかん」と考えておられるようです。「地域のことをよく知っていて、地域の信頼を得た、地域のために働いてくれる人を出したい」地元の代表ってやつです。
 それはわかりますが、それを決めるのが選挙ですよね。それを事前に自分たちで決めようとするのは、なにか、傲慢なような気がします。

 政党が支持する人を決めるのは何も問題はないと思いますが、いろんな考えの人が集まっている会社や広域の団体、老人会、青年部、特に自治会で候補者を決めるなんて、絶対あかんでしょう。
 僕の知り合いの自治会長は、周りの圧力がすごいから仕方がないと言っていましたが、それを聞いて僕は情けないと思うし、腹が立ちます。
 だいたい自治会というものは、さまざまな思想の方々が集まっていて、共通の利益のために話し合い、妥協し合い、信頼を築きあって行く共同体組織です。大事なことは、個人個人の思想信条を認め合うということであり、それなしでは信頼関係は築けません。だから、選挙は個人個人に任せる以外にないのです。
 
 しかし、美杉というところは(私が生まれた大阪の羽曳野市も同じでしたが)、いまだにボス政治が幅を利かせています。
 ここでボス政治を簡単に説明しますと、利権を分配する人がボスです。そこに群がる人が構成員で、その手下が「議員」というわけです。
 実はここには一般市民は誰もいなくて、公共の予算に群がる群衆があるだけなのですが、その人たちの操作によって、政治(本当の政治ではないですよ、利益の分配です)が行われているのが現実であるということを知ってください。
 その利益の分配を自分たちのコントロールで行いたい人が、「次の議員」を作ろうとしているのです。
 これは、老人たちがやることだと思ってはいけない。若い人も同じで、自分たちの安全と安定を求める人は全て「コントロールできる立場にいたい」と思うものです。

 僕が思うのは、「自分のことは自分で決める」という原則がないのではないかということです。
 美杉の人だけでなく、ひょっとすると今の日本の人はみんな、自分のことでも他人に決めてもらわなければ安心できないのではないでしょうか。僕はとても心配です。

 「美杉の代表を出さんなあかん」と言っている方々に言います。
 自分が何様だと思っているのですか? 自分が出ろよ。出ればいいじゃない。出る勇気もないくせに、人を手下にしようと思う、その了見が気に食わんです。

(画像は美杉町下之川の風景。この道を行くしかないワンコです)

 


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