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LGBT法はおかしいと思う僕の論理。

 僕にはレズビアンの親友がいます。ゲイの友達もいます。生まれつき性不一致の友達もいます。その人たちを僕は、一度も差別したことはありません。
 ただ、地下鉄の中でけばけばしい化粧をした年取ったおかまに、「お前気持ち悪いわ」と言ったことが一度あります。が、この時彼は、むちゃくちゃ怒って、「バカにするな!」みたいなことを言われた覚えがあります。差別はしていませんが、ホントに気持ちが悪いお化粧だったのです。彼の個性を認められなかったわけで、申し訳ないことをしたと感じました。ごめんなさい。

 さて、LGBT法みたいなものに対して、僕がなぜ反対するのかというと、それは、「差別を助長する」からです。
 人間はみんな平等であり、思想も好みも個人の自由です。これが原則なのだから、これ以上の法律は必要ないと僕は思います。
 男子便所と女子便所以外にバイセクシャルな便所を作らないのは憲法違反だというのは、可笑しいですね。憲法は「個人の人格はみんな等しい」と認めているのですから。
 LもGもBもTも、普通なんですよ。ノーマルと一緒なんですよ。
 僕なんか、人と違う考え方をしただけで差別されることはしょっちゅうありますし、性癖はひょっとしたら変態かもしれない(知らんけど)。

 イタリア映画で「ライフ・イズ・ビューティフル」という作品がありました。ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演の感動作。ナチの収容所に連れて行かれるユダヤ人家族の物語なのですが、市中でユダヤ人狩りが始まって、「ユダヤはお断り」みたいなことを家の玄関に落書きされて、子供が傷ついた時、主人公が言うんですよね。「うちはもともと西トーゴ人は出入り禁止なんだよ〜」(はっきり覚えていませんが)みたいなことを。西トーゴ人なんてその時代のイタリアにいるはずもなのですが、この作品のすばらしいところは、差別を視点を変えて茶化しているところだと思います。
 
 僕は、LGBT法案がそれなりの形で法律になったのは、ひょっとするとこの映画のように、喜劇ではないか? と思うのです。こんな法律が通るなら、レズビアンオンリーの電車とか、スモーカーオンリーのパブとか、バイセクシャルオンリーのパーティーとか、お金持ち以外利用できないトイレとか、白人至上主義のアメリカみたいな、差別を助長するシステムがいろいろ出てくるかもしれないですね。

 日本人がおかしくなったのかな? 
 マーケティング的に分析すると、たいして重要でもないこの法律が成立した背景には、LでもGでもBでもTでもない人たち(多数派)が、LやGやBやTの人たち(少数派)の考えを何も考えずに(他人事として)受け入れた、という流れがあります。「他動的順応圧力(または無責任)」と言いますが、「自分にとって不利益がなく、他人が幸福になるのであれば善行為(全て許してしまう)」という傾向が世間では強くなっているような気がしています。

「自分のことは自分で決める」ことは正しい。
「自分のことを社会が決める」ことは正しくない。
 これが原理・原則であるはずなのですが。
 


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