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多分初恋の話

 私は自分に自信がない。部分的に違うとも言えるが、基本的に自信がない。あるフリはいくらでも出来るが、根本的なところに問題がある。だから私はついつい人のために生きてしまう。これは偉いことでもなんでもなく、世のため人のために頑張っている方々と比べることすら恥ずかしい。どちらかというと、人のせいにして生きているという方が正しいかもしれない。
 そしてその悪い癖は恋愛において顕著にあらわれる。私は相手を尊重しすぎるし、その瞬間の生活における恋愛の比重が大きすぎる。その結果これまで様々な失敗をしてきたが、それはいつか書くことにする。今回は私の人生にとって大きな意味を持つ恋愛の、一番初めの話を書きたい。
 幼稚園の頃、両親が共働きだった私は祖父の家に近い場所の幼稚園に通っていた。そして幼稚園の後や夏休みなど、多くの時間を祖父の家で過ごした。これは小学生になって自宅の鍵を持たせてもらうようになるまで続いた。そして、祖父の家の近所には、同じように預けられている女の子がいた。その子が多分、初恋の相手だった
 その子は幼稚園は違ったものの同い年だったこともあり、休みの日や幼稚園の後によく遊んでいた。今となっては何をして遊んでいたかあまり覚えていないし、正直顔もうっすらとしか思い出せない。しかし、同じ幼稚園の子ではない特別感が2人の秘密になり、私は恋をしたのだと思う。その頃には恋というものに気づいていなかったが、今振り返ると多分そうだった。
 小学校にあがると祖父の家に行くことが減り、その子と全く会わなくなってしまった。そこで私は相手のことを何も知らなかったことに気づいた。どこに家があってどの小学校にいくかすら知らなかった。少しショックを受けたが、小学校の刺激的な毎日は、私の初恋をあっという間に過去にしてしまった。
 初恋のことなどすっかり忘れ私は中学生になった。少し遠い中学を選んだため自転車通学になり、その途中には祖父の家があった。中学1年のある日の学校帰り、祖父の家近くの交差点で信号待ちをしていると、斜向かいで同じく自転車に乗って信号待ちをしている女の子がいた。どこかで見覚えるのある顔だと一瞬考えてハッとした。間違いなく初恋の女の子だった。視線を動かせずにいたため相手と目が合った。そして私の顔や表情を見て、相手も驚いた表情になった。それは6年越しの再会だった。
 恋愛映画ならここから2人の物語が始まるのだろう。しかし、これから思春期を迎えようとする私は勇気や経験など、色んなものが足りていなかった。またきっと相手もそうだった。声を発することもできず永遠のような数秒が経過し、目の前の信号が青になった時、私は目を逸らした。相手もそうしたような気がする。2人がまた友達になるには大人になりすぎていたし、友達として再会するには子供すぎた。
 そして目の前の信号だけを見て、振り返ることなく自転車を漕いで帰った。その後会うことはなかった。いや、会っていたけど気づいていなかったのかもしれない。多分中学1年のあの時がラストチャンスだった。でも後悔はない。中1の時すでに初恋のことなんてすっかり忘れていたのだから当たり前だ。
 ただ人生では時折過去の記憶が蘇ることがある。それは水底から上がってくる泡のようなもので、一瞬で消えてしまう。しかしやわらかな痛みはしばらく残っている。そしてそれもいつか消える。再会から10年経ち、いよいよ全てが消えようとしていたが、ネタ探しをしていて偶然思い出すことになった。こうやって過去は美化されていくに違いない。記憶というものは面白い。痛みもいつかは思い出になる。

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