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人生RPG

10代のどこかで何者にもなれないと気づいた。

私には飛び抜けた才能はなく、血の滲む努力もできなかった。小さい頃は何にでもなれる気がしていた。そんな風に育てられたし、実際自分の努力次第で、ある程度の夢は叶えられるところにいたと思う。私はそれら全てを擲ってしまった。その事実に気づいたのが、10代の後半に差し掛かった頃だった。

人生は長い。10代の後半で現状を見つめ、心機一転、頑張ったとしたら、まだまだ可能性はあったかもしれない。しかし、その時の私は自分を客観視した結果、その時点で色んなことを諦めてしまった。

苦しい10代の生活で身につけたのは諦めだ。諦めが良いと本当に楽だ。自分にも他人にも過度に期待することはない。とても生きやすくなったし、つまらない人間になったと思う。

最近ふと、特別な人なんてほとんどいないのではないかと思った。本当に替えがきかない人なんて、案外いないような気がした。誰かがいなくなろうとも、その役割を果たす誰かがまた現れる。そうやって社会は回っているように思えた。

もちろん私も例外ではない。今の私の役割はきっと他の人にも果たせてしまう。しかし、誰でもできることを、私がやっているということが大事なのだと思った。RPGで勇者を操作して魔王を倒す、これは子どもでも出来ることだ。しかし、画面の前に座っている1人にとって、その時、世界で勇者は自分だけだ。

社会での役割をロールプレイしているうちも、誰だって物語の登場人物だ。特別じゃなくて良いし、替えがきく役割だっていい。今、自分がその役割を果たすことに意味がある。そんな都合の良いことを考えていた。

自分の命や人生に意味を持たせられるのは、結局自分自身だと思う。今回はそんな話だった。自分じゃなくてもいい役割に、今自分がいるのは何故だろうか。運でも偶然でも何でもいい。それを運命と思い込むのも、がめつくしがみつくのも自分次第だ。色んなものから目を逸らして諦めた10代だった。これからは沢山の大切を抱えて前向きに生きていきたい。

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