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幸せ絶対性理論

 幸せとは何か。かつて私はそんなことをよく考えていた。そして自分は不幸であると思っていた時期もあった。その頃の私はどれだけ自分が恵まれた環境にいるか気付いていなかった。本当に愚かだった。
 そして愚かな私は、幸せだと実感している時が何よりも恐ろしかった。友人と腹を抱えて笑った時、恋人の特別な笑顔を見た時、私は最悪の未来を見てしまう。いつかこの瞬間は終わり、悲しい別れがくるのだと勝手に想像してしまうのだ。これは自己肯定感の低さからくる、自分が幸せであることへの罪悪感が原因だった。また人は裏切るものだと考え、それに極端に怯えていた。そんな時期の私のメンタルはとても脆かった。
 しかし様々な経験をして高校2年で人生最大の挫折を味わい、私の生き方が大きく変わった。それから今に至るまで、もちろん辛いこともあったがメンタルに安定感があるし、私は幸せだといつも胸を張って言える。環境や私の行動が劇的に変わったわけではなく、変化の要因は考え方にある。
 まず、他人と比較することを極力やめた。そうすると自分にとっての幸せが何か少しずつわかり始めた。また、比較するのをやめたことで、他人が何をしているのか、私がどう思われているのかということを以前より気にしなくなった。これは私のストレスを大幅に減らしてくれた。
 そして、人は裏切るものだが、私は人を信じようと決めた。かつては信じることを怖がっていたが、相手を信じることをせずに信頼を勝ち取ることはできない。なかには裏切る人もいるが、過度に傷つく必要はない。そんな人は私の人生にとって重要ではないし、裏切りにあったからと言って、ほとんどの場合死ぬわけではない。そう考えると気持ちが楽になって、より周りと深い関係を築くことができるようになった気がする。
 幸せについて書くつもりが大幅に逸れてしまった。具体的に私にとっての幸せとは、海に沈む綺麗な夕焼けや、頑張った日に飲む缶ビール、外で食べる焼きそば、そんなようなものだ。高級旅館も宝石も私にとって重要ではない。私は一般的な家庭で育った田舎ものだ。元々知らない幸せを無理に背伸びして掴んだ時、今より何倍も幸せになる訳ではないと思う。他人にとっての幸せにまで手を伸ばした時、元々あったものの輝きが失われることが怖い。
 人間は他人と関わらずに生きていくことができない。他人と助け合い、影響しあって生きていくのは普通のことだ。あらゆる物や思想、人が近くに感じられるようになり、その境界は曖昧になりつつある。そんな今だからこそ、幸せくらい自分本位でいいと思うのだ。遠くでキラキラ光るものを追い求めるのが悪いとは言わない。そういう人間の欲望で社会は成長してきたのだろう。しかし、手の届く範囲に目を凝らしてみて欲しい。きっと案外近くに自分だけの幸せは転がっている。私はそういう幸せを大事にしたい。80年あまりを満たすにはそれで十分だ。

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