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なんとなくやっていることが、相手に負担を感じさせない贈与になる

前回の記事では、「どうやって、相手に負担を感じさせない贈与をするか?」についての問いを残して終わった。現在住んでいる、NZのシェアハウスで「他の住人達に恩を感じさせずにどうgiveするか?」が今回のテーマだ。ここでの「贈与」とは、「お金では買えないもの・移動」のことである。

相手に負担を感じさせない贈与をするポイント

まずは、あの会話の後、さらに妻と話しを進め、僕なりに出した結論を書いていこうと思う。

結論から言うと、ポイントは2つあると思ってる。

1. 他の人が意識しないと出来なくて、自分が無理なく(無意識的に)出来ること(強み)をする
2. 相手が必要な時にする。

1はいわゆる強みみたいなものだ。例えば、僕の場合だと、「話を聞くこと」になる。
僕は、好奇心力(勝手に名付けた、好奇心を発生させる能力のこと)が人より高いらしく、些細なことに純粋に興味を持てるという強みがある。それが功をそうしてか、相手の色んな体験・経験を聞きたがってしまう。この好奇心力のおかげで、心から相手の話を楽しみ色々聞き出すことにたけているらしい。

よく、「話すつもりがなかったことまで話してしまった」と言われることがある。相手も気持ちよく話してくれているらしいが、僕が何か特別なことをしているかというと、自分の好奇心に従って質問責めにしているだけだ。笑

あまり意識せず、無理せずできていることだが、同じようにできる人がそこまでいるわけではないということにも気づいた。

2は、恩着せがましさをなくすためである。例えば、僕が無理矢理話を聞き出そうとすると誰だって嫌がるだろう。今そんな気分じゃない!と、むしろ逆効果になることもありそうだ。

相手が何かを求めている時に、求めているものが自分が無理せずに出来ることであれば、提供するくらいがちょうどいいと思っている。

ソーシャルアパートメントは贈与であふれていた

なぜ、こんな結論になったのか?
実を言うと、似たような課題に以前僕は遭遇していた。

僕と妻は、2017年4月から2年間、清澄白河のソーシャルアパートメントに住んでいた。ソーシャルアパートメントとは、端的に言えば、規模の大きいシェアハウスみたいなものだ。それぞれ1Kの部屋があり、共有スペースとして、キッチン、ラウンジ、ワーキングスペース、バー、テラスがついている。

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見たことはないが、「今流行りの『テラスハウス』みたいな生活を140人くらいでしている」、というとピンとくるらしい。

ソーシャルアパートメントでの生活については、別の機会でまた書くとして、この共同生活では、いたるところで「贈与」が見られる

突然ご飯のおすそ分けをもらったり、急に何かを祝ってもらったり、ひょんなことから新たな縁をつなげてもらったり、といったところだ。

これらは、厳密にはお金ですますことは出来る。だけど、それをした途端に、今まで築いてきた友達としての関係性が微妙なものになってしまう。(社会規範に市場規範が混ざるとよくないという話。詳しくは、予想通りに不合理にあるが、これについてもまた別で書こうと思う)

また、贈与している側は、特にお金がほしかったり、見返りを求めて、これらのことをしているわけではなく、好意でしているだけである。いわゆる、数十年前のご近所さんの関係みたいなものだ。

入居当初は、僕も未熟で色んなものをもらってばかりだった。
まさに、上記にあげたような恩恵をたくさん受けていたわけだ。

ソーシャルアパートメント内の贈与の分析

ただある日、もらってばかりだということに気づいた。
そこから、「自分は何を返せているだろうか?逆にどんな贈与が出来るのか?」と考え始めるようになった。

「自分ならどうやってgive出来るだろう?」と。

幸い、このソーシャルアパートメントには、贈与がうまい人が多かったので、しばらく彼らを観察してみることにした

それぞれ、贈与の形は全然違うが、みんな基本的には、相手に負い目を感じさせることなく、お互い気持ちいい状態で贈与が実行されている

既に結論としてあげているが、ポイントは、贈与をする側が誰一人無理していないことだった。そして、押し売りもしていない

自分の強み、得意なこと、好きなこと、やりたいことをいつものように実行し、少しだけ他の人にもおすそ分けしているだけだ。そして、おすそ分けがほしい人には、その人のニーズを満たすことを優先しつつ、自分のニーズもしっかり満たしている

では、僕が無理なくやっていて、人から感謝されたり褒められたりすることはなんだろうか?そう考え始めて、自分自身を観察して得た結論が

「好奇心に従って、相手の話を聞くこと」だった。

この発見には、しばらく時間がかかったが、色んな人と話たり、自分や周りを観察したりする中で見つけることができた。

今、僕にできること

妻との会話で、このことを思い出し、相手に負担を感じさせずに僕に今できることは住人の話し相手になることだと思った

僕はまだまだ、ヒースのオーストラリアなまりの英語には中々追いつけないが(笑)、こちらに合わせて話すスピードを遅くしたり、表現を変えて説明してくれるくらいには、話したいと思ってくれているみたいだ。

住人の誰かがリビングにいる時は、少し意識してフラフラとリビングを徘徊しにいく。僕からも一声かけるし、彼らが会話を必要としているのであれば、彼らも何か話しかけてくるということが、この2日くらいで分かった。

このコロナの状況下のせいか、時に暗い話にもなるが、話して共有することで何か満たされることもあるのかなーと思っている。

もしかしたら、何の役に立っていないのかもしれない。ただ、僕自身はストレスなく、自分が生活を楽しむためのことの延長でもあるので、役に立っているのかは正直どうでもいいことだ。

無意識にできる強みの探し方

ここからは、余談だが、妻はまだ「無意識にできる強み」を言語化できていない。そして、今回の件が、1つマインドを変える転換点になったと喜んでいた。

彼女がいつどうやって、それを自分の言葉として認識出来るのかは分からないが、僕の経験から得た方法を、言語化のための方法の一つとして伝えた。

他にも同じ悩みを持つ人がいたら、力を抜いてやってみてほしい。

・色んな人と会う・話す
・周囲の人のいい所、優れている所を書き出してみる。
・自分ができていることを書き出してみる。
・よく褒められることを書き出してみる。
・人といる時や誰かのために、ふと気づいたらやっていることを書き出してみる。

書き出してみるというのは、気づいた時に携帯でメモレベルで残しておくでいいと思う。

意識を向けてみるだけでも色々見えてくるものが変わると思う。

これをやってみていいことは、周りの人と自分自身を好きになれることだ。
みんなそれぞれ素敵な部分を持っていて、それぞれ魅力を持っているんだなーと、好きな部分を見つけられる。元々の自分の強み探しからは目的がずれてしまうが、どんな人も尊敬できるようになる

そして、自分の強みを発見できた時、同様に自分のことを好きになれる。
それは、とんでもなくささいなことかもしれない。僕なんか人の話を聞くことだ。人類の誰しもがしていることである。笑

ただ、そんな当たり前そうなことすらも、他の人にはできないあなたのユニークで素晴らしい部分であるということを実感できる。とんでもなくすごいことである必要はない。

自己肯定感爆上がりなので、ぜひやってみてほしい。

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