フィクションという名に隠されたノンフィクション
今年の米アカデミー賞で、脚色賞を受賞。
この題名ってすごいな。
だって、内容はいまのアメリカのノンフィクションそのままだから。
それを、「フィクション」というラッピングをすることで、おかしみを作り出している。
主人公のセロニアス・モンク(聖人とうたわれた有名なジャズピアニストと同名)は、医者一家に生まれ育ち、大学教授にもなった売れない黒人小説家。いまは西海岸に住む。
映画の筋は、彼が皮肉を込めて、匿名で書いたステレオタイプの「黒人小説」FUCK(すごい題名)。
これが、「逃亡犯」という虚言も相まって、あれよあれよという間に全米ベストセラーになり、賞も獲得する、というもの。
他方、主人公はハラスメントで大学を休職とされる。ボストンに住む母親が痴呆症になり、その介護の為のお金が必要になり、真実を言い出せなくなる。
姉が亡くなっことをきっかけに、次々に家族の黒歴史が明らかになっていく。
兄がゲイだったこと、亡き父が浮気をしていたこと、母はそれを知っていたこと‥‥。
主人公は知らなかった、いや知ろうとしなかった「黒歴史」の数々。
きらびやかに多様性をうたう米国社会も、一皮剥けば、実はステレオタイプが蔓延している。
それをみんなが無自覚、無批判に受け入れている。そして、賞賛されている。
こうした風潮についていけない保守派がいま、バックラッシュの波を作りだして、トランプ大統領がきっと再選するであろうところまで、時計の針を戻しているわけだが。
ある意味、そんないまの米国社会の歪みをうまく切り取った佳作。ブラックコメディといえるかも。ただ、日本では笑えないだろうなあ。
だって、日本こそハリウッド発のステレオタイプの黒人に慣れきった社会だから。日本での上映が予定されないのもよくわかる。(Amazonプライムのみ)
用意された3種類のラストシーン。結局は、「ステレオタイプ」が採用される。ハリウッドが、なかなか「ステレオタイプ」から脱却するのはむずかいことに対する強烈な皮肉のように感じた。
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