「不適切にもほど」がなかった昭和の時代
このクール、最も注目しているこのドラマ。宮藤官九郎脚本、阿倍サダオ主演の「不適切にもほどがある!」。
第一話からクドカン節、全開でした。
スピルバーグ監督の名作映画「バックトゥザフューチャー」に代表されるいわゆるタイムスリップものですが、設定を昭和と令和の二つの時代にしたところが絶妙。(この映画名をもじったビデオも登場します笑)
ちょうど現代のメーンのテレビ視聴者である中高年が生まれ育った時代が「レトロ」として回顧されるテレビ番組が増えてきた、昨今の風潮を見事に掬い取ったという印象です。
さすがに、ここまで下品な言葉が飛び交っていたとは思いませんが、昭和の時代の物言いって、けっこういまから考えると、きつかったなぁ‥‥。というか、オブラートに包まず、ストレートだったなあと感じます。ときには感情をむき出しにすることも許容されていましたしね。
昭和の時代の出てくるエピソードや、固有名詞が「あるある」です。
主人公の娘の聖子ちゃん(明菜?)カットと長スカート。maxellのカセットテープのメタルの高音質。渋谷のセーラーズのトレーナー。近藤真彦や小泉今日子など80年代アイドルや、ドラマの名前。チョメチヨメとか、にゃんにゃんとか死語だらけのエッチ系話‥‥。
バブル世代や、ロスジェネ世代は、自らの来た道に重なって、思わず苦笑いしてしまうのではないでしょうか。
一方、眉をひそめるのは、昭和の悪しき「常識」です。
バスや電車には灰皿が常備されてたし、けっこう大人の男性は公共の場でぷかぷか吸ってました。(ハイライトって170円だったんだなあ)。
教育現場もスパルタ管理教育。悪いことをしたら連帯責任は当たり前で、体罰も日常茶飯事でした。
このドラマの面白いのは、返す刀で、いまの令和の過度な「コンプライアンス重視」の息苦しさを訴えている点です。
阿倍サダオの「ただ、頑張れというのもハラスメントになるのは行き過ぎ」という言葉もそれなりに説得力があります。
吉田羊さんの令和から同じくタイムスリップしてくる社会学者という設定もなかなか興味深い。社会学とは「社会秩序はいかにして可能か」を問う学問(by大澤真幸)だけに、昭和と令和、どちらが秩序を保てるのか、という問いかけにも思えてきます。
劇中、ミュージカル風になるのはちと驚きましたが、「真面目な話を真面目には演じさせたくない」いつものクドカン流なのでしょう。
2話以降も楽しみです。願わくば、見終わったあと、「昭和は良かったね」なんて回顧モノだけにはしてほしくありません。
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