深い話はなしにしよう 分かり合えなくたってお前が好きさ

「深い話はなしにしよう 分かり合えなくたってお前が好きさ。思想や言葉 傷の場所は違うけど お前が好きさ」

活動休止中のロックバンド、Suchmosの「Hit me, Thunder」という曲のこの歌詞が好きだ。

話は変わるが、僕の会社の上司(結構偉い人)は飲み会の度に「お前も早く結婚しろよ。自分ばっか可愛がってないで、家庭持って男として一人前になった方が良いぞ」という趣旨のことを言ってくる。

その度に僕は「うるせえな、結婚のタイミング、結婚するしないなんて俺の自由だろ殴るぞこの説教オヤジ!」…という溢れ出そうになるサラリーマン失格の発言をグッと抑え、
「そっすねぇー、良い人いないっすかねぇ」とその場を適当に流し、苛立ちが収まるのをただただ待っている。

ここだけ切り取ると僕はこの上司の事を嫌いなんだろうと思われるかもしれないが、
どちらかというと僕はこの人のことが好きだ。

仕事における判断はいつだって様々な背景を踏まえた適切なものだと感じるし、トラブルがあった時は最後に責任を取ってくれる懐のデカさもある。
50人以上抱えている部下ひとりひとりのことをよく見ており、本来15分程度で済まされる半年に1回の面談も余裕で1時間以上やったりする(だから事前に立てられた面談日程は毎回意味をなさない)。

「自分の価値観押し付けてきてめんどくさいし、たまに本気でムカつくけど嫌いはなれないんだよなぁ」

多分これが僕の上司に対する気持ちだ。

こんな風に考えていた時に、冒頭のSuchmosの歌詞が浮かんできた。

近頃はSNSで誰もが自分の考えや価値観を発信できて、それに誰もが触れることができる。
例えばXでは、検索せずとも否応なしに著名人の炎上騒動や繰り返される初デート奢り割り勘論争といった男女問題、港区女子が云々等々…人々の関心や議論を呼ぶ情報が大量に流れ込んできて、引用欄は地獄の様相を呈している毎日だ。

何が言いたいのか自分でも分からなくなってきたが、現代社会は必要以上に人々の価値観や思想が可視化されるようになって、それが行き過ぎた論争や対立、そしてそれに伴うストレスだったり「批判されたらどうしよう」という恐怖心を生んでしまっているんじゃないかと感じる。

そんな今だからこそ、「うん、お前の言ってることはわかんないし納得もしないけど、まあ俺、お前のこと嫌いじゃないよ」っていうスタンスを取れる心の余裕が大事なんだと思う。

実は来週、先に述べた上司との飲み会がある。きっと彼はいつもの調子で僕に説教を喰らわしてくるだろう…(これは本当に憂鬱)

なんとかビールで怒りを飲み込みつつ、「今日もムカついたけど悪くない飲み会だったなあ」と振り返りながら帰りたいものだ。


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