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日記|虫を描く 1

不定期の日記です。オチはありません。

先日、小1の次男の夏休みの宿題で、絵を手伝うことがありました。一心不乱に描く姿に触発され、自分も久しぶりにしっかりと描いてみたい。そう思うようになりました。

せっかくなので、ふだんの暮らしの中で絵を描くことがどんな意味を持つようになるのか、描いた絵と考えたことを書き残していこうと思います。


次男と描いた夏休みの宿題は虫の絵でした。次男は虫が大好きで、図鑑も標本もたくさんあります。毎日のように虫のお絵描きをしています。

まずは、次男が好きな種類の虫を何枚か描いてみようと思いました。

01 ギラファノコギリクワガタ

私は20年前に美術大学を卒業しましたが、その時に買った表情豊かな紙が自宅にまだ残っています。それを活かした作品を描いてみようと思いました。紙の表情がそのまま魅力になるように、昆虫の標本のような絵を描いてみました。

ザラザラした紙、デコボコした紙。質感がさまざまなので、描きやすいように、絵を描く部分だけ下地材(ジェッソ)を塗り、その上から色鉛筆で仕上げていきます。自宅には昆虫の標本がいくつかありますが、立体的にはそれを参考にしながらも、図鑑を見ながら描いていきます。

02 コーカサスオオカブト

自宅には個性的な紙が残っていますが、よく見ると、画材を購入した時の包装紙も魅力的です。薄くて破れやすいものだったので、慎重に描いていきます。紙が持つ意味や図形、モチーフの意味、しっかり描写する時間。これらが衝突し不思議な空間をつくります。

03 ヘラクレスオオカブト

ヘラクレスオオカブトの絵。次男は今のところ、この絵が一番好きだと言ってくれます。自宅には生きたヘラクレスオオカブトがいます。大きな体で力強く動きます。ただ、自分が描いている絵は標本のような絵。生き物を描いているようで、死を描いているのだなと、そっと思います。

04 タマムシ

ショッピングバッグを切り抜き、タマムシを描きました。印刷されたタイポグラフィは、よくみるとムラがあり面白い。タマムシは、何気なく選んだモチーフでしたが、その美しい構造色からアクセサリーなどの「商品」にもなるもの。紙の意味とモチーフがぶつかり、得も言われぬ空間が生まれます。是非があるわけではなく、ただ絵だけがあります。

05 シラフオオツノハナムグリ

黒い画用紙にハナムグリを描きます。最初はなんだか気持ち悪いなと思いながらも、細かい模様まで表現しようと頑張ると、自然に愛着が湧いていきます。結局はものごとをよく観ていなかっただけなのだな、と気づきます。
そして、ここに来て、毎週日曜日は家族みんなで絵を描くというルールができました。

06 テナガコガネ

テナガコガネを描きました。どうしたらこんな身体になるのか不思議です。表情の強い和紙には色鉛筆がうまく乗らず苦戦しました。毎回、紙の表情に合わせて色の乗せ方を変えていく必要があります。紙とのインタラクションを楽しみます。

07 シロスジカミキリ

自宅に保管していた包装紙にカミキリムシを描きます。お互いに迷彩柄のような模様。案の定、複雑な絵になりました。何とか立体感や物量感を出そうと頑張りますが、そもそもカミキリムシは立体の存在として見えないように迷彩している。途中であきらめます。

08 ニジイロクワガタ

夏に行ったDean Bowen(ディーン・ボーエン)展。自由な作品たちに触れ、肩の力がふっと抜けるような感覚。そこでいただいた展覧会ポスターは素晴らしいものでしたが、飾る場所がないため、思い出も含めて絵に。オーストラリアに生息するニジイロクワガタを描きました。金属のようです。


ここまでで、8枚の絵を描きました。虫を観察し、構造や色彩の妙を発見しながら丁寧に描いてみる。「観る」ことを再確認する。売り物の紙ではなく、自分の暮らしに溶け込んでいる紙に描いてみる。紙の面白さに気づき格闘する。描いてみたら、独特の空間や意味が生まれる。そして「パパ、すごいね」と褒められる。

紙を切る、鉛筆で下書きする、下地を塗る、色鉛筆で描く。絵を描いていると無心に。日常を忘れて没頭します。そして完成の達成感が訪れます。

情報も物質も膨大にある中、ついつい私たちは消費の癖がついてしまう。品評する。記号化する。見返りを求める。消費行動が人格を侵食してしまう。

絵を描くと、何かを消費したのではなく生み出したのだという余韻が残ります。

(続く)

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