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『書くネタなんて、空から降って湧いてくる❗』

どうもこんにちは。探偵作家土木警備員のオーサキ・コーです。前回、前々回の自己啓発物の記事に書いた通り、私は○費出版物の書籍の店頭販売に成功し、デカデカと地方紙新聞記事にも取り上げられました。そして自分の作品が超が付くほどの駄作でもあるに関わらず、自信を持って世に出していることも既に記した通りです。私は、根拠のある自信を持っていました。その根拠はどこから来るのか?そこら辺は私のマガジン『誰でも書けちゃう啓発物』に記されてます。良かったら参考にして下さい。

で、私は肝心な事を忘れていました。本や記事の「中身」ですよね。そこをどうやって決めていくのか?そこが決まっていないとほとんどの人は文章を書き始める事が出来ません。ほとんどの人がテーマを決めて臨みます。そしてnoteに出てくるほとんどの啓発物が、骨子を決めて、順序立てて、分かりやすい言葉で、などの要素が書き物をする上で必要であるとしています。しかし、私は全く真逆な事を言います。まずは

思いのままに、書き殴る!

事をお勧めします。例えばの話をします。みなさんは、会議、ディベート、ディスカッションの場では順序立てて話す事と思います。けれど日常生活の中で家族や恋人、仲の良い友人と一時を過ごす時、いちいち論理立てて、筋道を作って、こういうことを話そう!とは考えませんよね?人は実は生活しているほとんどの時間、その時々で思いつきの言葉を使っています。思いつきの言葉が日常生活の中で飛びかっている訳です。思いつきですからそれは必ずしも意味を伴うとは限りません。けれど私たちは一見意味を帯びない他人の言葉を敏感に受け取り、様々な感情を喚起させます。何故なら人は

言葉の意味をいちいち考えていない。言葉を感じている

からです。言葉は論理を帯びますが、楽器で奏でられた音と同様に刹那的で人の感情に訴えかけるものだからです。

話を書く「内容」に戻します。別に内容なんて無いよう、で良いとお気付きですか?「人に読まれるnoteの書き方」的な啓発物は、必ず何らかのルールを書き手に強いてきます。けれどルールを敷かれたら、ポンと言葉は出ませんよね?まずは、ルールに則っているかどうか?を気にしてしまうのですから。
実は、そのルールはあって無いようなものです。特に「言葉を扱う」事では顕著なように思われます。言葉は情報を伝えるツールにも、小説にも、歌の歌詞にも、ポエムにも、落語にも、漫才にもなるわけですから。SNSで使用される、とある大作家にとっては拙い!とされる言葉もありますよね。しかし立派に意思の伝達という仕事をこなしてしまえば、それは立派な文化でしょう。ですからあなたがもし文章の様式や得手不得手を批判される事を恐れ、noteの自己啓発物に触発され、教科書通りに書き物をしようと考えているのでしたら、それは勿体ない。あなたの未完成で、未熟な言葉の羅列を、そのまんま白紙の上に落としてみませんか?あなたのやり場のない思いのままの言葉は熱を帯びているはずです。その熱を紙面に落としてみませんか。何故なら

言葉を使うことは、一番自由なアートである

からです。

あなたがダイレクトに紙面に落とした熱は、純粋であればあるほど読み手に訴えかけるでしょう。得手不得手、ボキャブラリーの量は関係ありません。いかにあなた自身が

今の自分に一番フィットする言葉を選んでいる

かが重要なのです。あなたも、そしてこの記事を書いている私も、「作家」としてはおそらくまだまだ未熟でしょう。けれど私は書くことが、読むことよりも、楽しくて楽しくてたまりません。書き物は、ルールに縛られる必要が無いことに気が付いたからです。そして恥も照らいもなく紙面に落とされた、ヘタクソに描かれた私自身の内面の物語は、本当に面白可笑しい!

私は恐らく恥も照らいもなく沢山書き物をする事で、当たり前ですが分量を書いていくので少しずつ上達するでしょう。そしていつかは、エッシャ―の騙し絵のような錯覚を起こすミステリーや、人の心に染み入る長編小説を書いてみたいと願ってます。しかし書き物に実は貴賤はないと思います。

言葉、言霊は生き物

だからです。これは実は昔から言われていることではないでしょうか。
言葉は万人にとって、紙面で踊る生き物とします。その生き物の生きざまが物語、なのだと思います。

1950年代のアメリカ、ヒッピーのバイブル的な本、ビートジェネレーションのジャック・ケルアックの著書『オン・ザ・ロード』が私にとっては参考になりました。旅で起こった事実が羅列されている、それだけの長文です。しかし文法も起承転結もないけれど、熱を帯びた言葉が読み手の心を動かします。

まずは方法論を読む前に、あなたが心に秘めている言葉を紙面に落としてみませんか?恥ずかしがる必要はありません。私は、文法や語法は言葉を紙面に落とした後に、いくらでも修正できると思っています。きっとあなたが言葉を紙面に落とすことに、恥じらいを感じなくなった時、あなたは言葉が勝手に空から降って、涌き出てくるように感じるでしょう。人は考える葦ですからね。涌き出るあなたの考えが勝手に言葉となり、あなた自身の物語を紡いでくれるはずです。私はそんなあなたの書き物をいつも応援しています。


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