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『読者を置き去りにしろ❗駄作をバナナの叩き台で売ろう❗』

どうもこんにちは。探偵作家土木警備員のオーサキ・コーです。以前の私のnoteの啓発物の記事でも書きましたが、私は○費出版の私の著書『わたし、探偵になっちゃいました』(幻冬舎)を大型書店平積み店頭販売してもらい、それがニュースとなり(火をつけたのは私自身ですが)一銭も払わずに毎日新聞北海道版他、地元紙室蘭民報社会面で取り上げて貰うことに成功しました。嘘ではありません。本当です。詳細は私のnoteのマガジン『誰でも書けちゃう啓発本』の記事に記しています。興味のあるかたはどうぞご覧下さい。で、室蘭民報は記事のボリューム、内容もさることながら、反響もデカかった!一気にAmazon順位が瞬間的に35000番も上がりました。他、Webサイトの『Bookウォッチ』でも一銭も払わずに記事にして貰いました。やはり火を付けたのは著者である私自身ですが。
そして全ては実は私の作戦通りでもありました。Webや新聞で取り上げられた既成事実を後ろ楯に私と版元の幻冬舎で営業をかける事となりました。

狙うは、『王様のブランチ』です‼️

マジです。証拠となる文面を添付してもいい。私はテレビ番組で取り上げられる可能性はフィフティ、フィフティとみています。
で、近頃私の著書に対する書評をちらほら頂けています。今日目にしたのは、国語教育と外国人に対する日本語教育を行う資格を所有している、ある意味きちんとした日本語を知り尽くしている方からの書評でした。それが色々な方から頂いた書評の要約、平均的な物のように著者の私には感じられました。実際この方は自分の感想ではなく、他人の感想を参考にしたのかも知れませんね。しかし著者の私にとってなかなか示唆的で有りました。
その書評の内容を要約してみます。平均すると私の著書に対する大人の(としておきます)評価はこんな感じなんです。後でガッツリ論破!いや違いますね。解説しやすいよう番号ふって箇条書きにしてみます。

(1)せっかく貴重な体験をしているのに下手くそな文体で、伝わりにくい、勿体ない。(2)『北斗の拳イチゴ味』のキャラクター名にこじつける意味が解らない。北斗の拳を知らない人には読みずらいのではないか?
(3)時々文章が分かりにくくなる。
(4)結局全体を通して、何を言いたいんだか、解らない。 
(5)おまけ お楽しみ
レビューの星 平均二つ

では(1)~(5)に別けて解説します。

(1)俺様はわざと下手くそに書いたんだよ!

なぜなら駄作だからこそ著者の私が直々に、書店やメディアに飛び込みをかけられるのです。下手な作品にお○をかけてるんですもの。叩き台にある腐りかけの沢山のバナナに例えましょう。私の著作を。早々にそんなもの売り払いたいと思いますよね。
私は本を出す事を躊躇している人たちに言いたい。

下手な著作だからこそ体当たりで売ろう‼️

所詮は安い書き物で終わらせましょう。力んだって、いつまで経っても未完の大作は世に出ません。だからバナナみたいな本を書いて、大胆に売れば良い。
仮に私が芥川賞を取れるような美しい文章でこころに染み入る本を書いた、とします。私には恐らく位の高い自意識が芽生えていて、飛び込み営業など出来ません。そして実は皆さんもご存知だと思いますが

芥川賞作家って、賞をもらって終わる人が多い

です。プロになれずに。恐らく自意識過剰で。私は違うんです。

三文小説を沢山売っ払って、稼ぎたい❗

のです。

(2)日本人で、北斗の拳を知らねえ奴がいるのか?

いや、マジであり得ねえ。パチンコにもなってんじゃん!
冷静になって私はハタと気付きました。パチンコ行くような人って本を読まないか。また、その逆も真なり。しかし私は、読書は一部の特権階級の人間の物ではないとここで断言いたします。読書に貴賤はありません。レビューを書いた方の中で、京大工学部○○学科ハーバード大学大学院生宇宙天文学ソロバン十段、的な、聞いてもいないのに立派な学歴をひけらかすアホが意外といました。マジで目障りです。書評だけに留められないのかなあ。
話を『北斗の拳』に戻しましょう。海外では『鬼滅の刃』より知名度があるようです。私が小学生高学年の頃、週間少年ジャンプで連載が始まりました。ジャンプの売れ行きが凄すぎて、本来月曜日発売の所を、日曜日にこっそり小中学生に闇売りする雑貨店や書店が続出しました。実話です。パロディの『北斗の拳イチゴ味』も100万部以上売り上げています。私も国民的漫画なのでキャラクター名を借りたまでです。ちなみに『北斗の拳イチゴ味』の公式ホームページ問い合わせコーナーにて、事後報告になりますがキャラクター名をお借りした事を原哲夫先生にお伝えした、つもりです。

(3)

私はマジで文章が上手でなければならない意味が解りません。意思の疎通が出来たら、それは立派な言語では?と若い頃海外を放浪した私は思うんですが。文章の文体に固執する意味が解りません。波の立たないおんなじ語り口調で話を終える必要性も解りません。時には

読者を置き去りにする❗ 

ことも大切なんです。なぜなら

置き去りにされた読者は想像力をかき立てられる‼️

からです。私は推理小説のように一つの話に留めるのではなく、一つの文章の中でそれをやってしまっても良いのでは?と思いました。野球で例えさせて下さい。日本のプロ野球のピッチャーは、諸外国と較べると投球フォームがみんなおんなじように見えます。最後の決め玉は外角低めで凡打や三振を取るスタイル、的な感じ。日本のピッチャーと比較するとメジャーのピッチャーは投球フォームにはこだわらずとにかく投げ込んでくる印象を受けます。変化球投手が多いですね。色んな変化球を織り混ぜるメジャーの野球が理想です。メジャーのように

時には読者にビーンボールを投げ込む❗

位の勢いで文章だって書いた方が面白いと思います。ちなみにプロレスでも日本とアメリカの文化の違いに関して同じ事が言えます。

(4)言葉や物語の意味を考えず、ただ感じれば良い❗

これが教育を受けすぎてしまうと意外と出来ないようです。前述の国語教師や京大生みたいに。例えばの話研究論文は研究者同士しか解らない言葉が頻繁に出てくるし、文体も独特ですよね。私が「言葉に音色を感じたい」と話をしても、学問の世界にいる人には全く次元の違う話かも知れないですね。もちろん彼らは平易な文章の読解力もあるのですが、論じていたい側の人たちは、得てして感覚で物事を捉えない皮肉屋になる傾向があるような気もします。

ところで日常の出来事なんて、あ、事故ってる!って感じで何の脈絡もなく起こります。まるでストーリー性や論理的である事を嘲笑うかのように。
ま、以前のnote記事でも書きましたが、固定観念に縛られない

小学生読者に読みやすいと言われた👍

ので良しとします。読後に「面白かった、元気が出た!」って子供が感じたのなら、何の説明も要らないと思います。

(5)オマケ

ここまで苦労して読んで下さった方の中には、何をお前は偉そうに、って思うかも知れませんね。

一つ言わせて下さい。私は

ノーベル文学賞受賞者、ボブ・ディランの歌詞を超約した男❗

です。マジです。私のマガジン、『12ビート』の中にあります。良かったらご覧下さい。自信作です。ボブ・ディランの言葉をなるべく私たちが使う日常の言葉で、リズム良く、簡潔に書いたつもりです。ちなみに超訳と言うのは、直訳して解りずらいものを、原語の意味や含みを察して、私たちの使用する母国語で分かりやすく書いた物の事を言うようです。最近知りました。直訳が何であんなクソみたいになるんだってずっと思い続けてたら自分流に訳してみたくなりました。著作権の問題でボブ・ディランに怒られたら、土下座して謝ろうと思います。
もし名の知れた、日本人のベストセラー作家が黙ってこんなことをしたら大問題になるでしょう。けれど私は、所詮○費出版物の素人作家なので、外野は何も言いません。という事は素人にはプロにはない無限の表現の自由があるって事かもしれませんね。けど私は今回の著作に関して

素人作家であることを強みにして、鮮烈にデビュー‼️

出来ると感じました。恐れ、縮こまる事はないんです。素人だから非難されないんですから。ただし、どっかのブラックリストには載るかも知れません。

(注)全ては実話を元にした、飛んでる発想です。真に受ける、受けないはご自由に。


『わたし、探偵になっちゃいました』
https://www.amazon.co.jp/dp/4344930398/ref=cm


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