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『思いのままに書いてみる』

良く知っている、あの牧場の牛舎裏かな?

赤い屋根の牛舎の脇にはまだ若い山桜の木が根付いている。その横には恐らくエゾマツとミズナラの混成した原生林。別海町では平野部の原生林からは泉が涌き出て、夏になると平野部の青々と生い茂った樹木の間を縫ってアマゾン川の支流のように摩周湖の伏流水が流れていたのを思い出す。樹木の間を走るたった横幅30センチくらいの細い流れの中にも、アメマスやヤマベが生息していた。今もあの川は汚染されず清らかに流れているのだろうか?今頃、大地のシバレが溶け、青くなったの牧草地へ牛が放たれているはずだ。それが八年前まで僕が暮らしていた北海道別海町の春の風景だった。

その別海へ定住する五年ほど前に、僕は大学を中退し、旅に出て、ヨーロッパまで行く予定がお金も気持ちも尽きてしまい、一年かけてアジアの国々を一回りする事となった。最終目的地のインドでタブラという打楽器に出会い、師匠の元で音楽を修行し、妻と出会い、長男はネパールで産まれた。信じられない事だが、この時点で妻も僕も無職。当たり前だけどレールを外れまくっている僕たち一家の前途は多難だった。

僕たち夫婦は札幌郊外の定山渓の温泉街でフリーターとなって働き、次男をもうけた。金銭的にもギリギリの後先を全く知らない僕たちを待つ前途は、誰がどう見ても絶望的に思えた。妻が在るとき天からの啓示を受けたかのように僕に突然告げた。牧場でもやろうよ、って。

誕生してからまだ五年あまりしか経っていなかったインターネットでたまたま探し当てたのが、別海町での牧場の求人だった。長男と次男、プラスアルファで今は珍しくなってしまった雑種の愛犬を連れて、僕たちは別海町中春別という所に落ちつくことになった。

フリーター生活しか知らない僕は、牧場の仕事の厳しさや借金を抱える事の恐怖や楽器への未練を中々立ちきれずに、結局悶々として過ごす事になる。綺麗に書けば、十代の少年のモラトリアムを抱えたまんま、僕は三十代後半になっていた。それは旅と自由に憧れ、定められたレールの上を走る事を頑なに拒んだ僕に下された刑罰のようなものだったのかもしれない。

ある時僕は意を決して牧場経営を決断したけれど、臆病風に吹かれ続けた僕の掌から、チャンスは見事なくらいにするりと転げ落ちた。その事に関して、今さら恨み節を言ってもしょうがない。その出来事がきっかけとはなり、八年前に僕たち一家は別海を離れ、室蘭へと移住した。その時点で、長男次男プラス妻が里帰りした時に誕生した現在高一の長女、別海町立病院で産まれた今中一の三男と、子供の数は四人に増えていた。ちなみに長男、次男は父親を反面教師とし、勝手に勉強し、大学へ進学した。

ここまで、全部嘘みたいな本当な話だ。僕はずっと正社員と言われるポジションに着いたことはなく、身分はフリーターのようなものだった。普通の感覚なら経済的にはどうなの?となる。そこを説明するとカラクリにもならないほど簡単な事しか言えない。過酷な自然の中で生きる、包容力のある別海の人々に僕たち一家は感謝してもしきれないほど親切にされた。ただそれだけの事で、衣食住は容易く確保された。今を生きる人々はほとんど知らないことだろう。薄給でもあまりお金を使わず家族で暮らす事が出来たのだった。十年の歳月を僕は別海で過ごしたのだけれど、多分僕は別海で受けた恩を返せそうもない。僕は、別海で何者かに負け続けたのだと思う。牧場経営に乗り出せなかった、その強烈な劣等感は中々拭えそうもない。だから別海を離れて八年たった今でも、別海にとても顔向け出来そうもない。

そんな僕だけど、四十後半になって、子供のような夢が芽生えた。本を出して、作家になりたいという、少年が見るような夢だった。それは牧場経営をする事と同じくらい大きな決断力を必要とされた。僕の頭の中で何かがスパークしてガタンと歯車が動き始めた音が聞こえた気がした。無意識の内に自覚した。僕は本気なのだと。子供たちの故郷であり、自分にとっても第二の故郷である別海へ帰る権利を得る事が出来た、と僕は思った。

ここまで、写真を見て思いのままに書いてみた。

書くことが無意味な行為に感じられる事がたまにある。思いとは裏腹に言葉が一人歩きして脱線する。僕の正確な感情が一人歩きした不正解な言葉によってまた違う感情に捏造され、いつの間にか美化された思い出にすりかわる。その時、僕は死んだ言葉を使ってしまったと自己嫌悪に陥る。けれど、言葉の生き死には、人によって恐らく捉え方の違う問題だ。

何故僕は、北海道の道東地方の別海町を引き合いに出して書き始めたのだろう?たまに文章を書いていると思考が宙に浮くことがある。

そういえば若い頃、氷河期みたいに絶望的に続くモラトリアムの時代に、毎日十ページも二十ページも心に鬱積したものを脈絡なく大学ノートに書きなぐっていた。血液が吹き出しそうな未熟な言葉で。

年を取ると洗練される。様式にはまる。枠にはまりたくなる。そんな自分の文章が大嫌いだ。ただし別海の描写を除いて。


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