1855年メドック格付け後のボルドーシャトーの変遷

・マルゴーの3級、「ボイド」が、「カントナック・ブラウン」と「ボイド・カントナック」に分裂。(1806年 要確認)
・サン・ジュリアンの2級、「レオヴィール」が、「レオヴィール・ラス・カーズ」「レオヴィール・バルトン」「レオヴィール・ポワフェレ」の3つに分裂。(実際には既に1826~1840にかけて分裂されれていた。要確認)
・ポイヤックの2級、「ピション・ロングヴィール」が「ピション・ラランド」と「ピション・バロン」に分裂。(1850年 要確認)
〇1855/4/18 メドック地区から56シャトー、グラーヴ地区から1シャトー(オー・ブリオン)が選ばれる。
・1856 カントメルル“Cantemerle”が追加される。 Mme de Villeneuve Dufort(所有者) Macau(地区)
・サン・ジュリアン村の4級、「デュ・リュック」が、「ブラネール・デュクリュ」に。(1857年)
→現在、デュ・リュックはDuluc de Branaire-Ducruとしてブラネール・デュクリュのセカンドラベルに。
・3級の「シャトー・ドゥビニョン」が同じマルゴー村の「マレスコ・サンテグジュペリ」に吸収され消滅。(1870年代 要確認)
・マルゴーの4級、「プージェ・ラサール」も「プージェ」に吸収され消滅。(1874頃?要確認)
・サン・ローラン村(オー・メドック)の5級、「クータンソー」が「ベルグラーヴ」に。(1898年)
・ポイヤック村の5級、「アルティグ・アルノー」が「グラン・ピュイ・デュカス」に。(1932年)
→現在、アルティグ・アルノーは、グラン・ピュイ・デュカスのセカンドラベルに。
・ポイヤックの5級、「バタイィ」が、「バタイィ」と「オー・バタイィ」に分裂。(1942年)
〇1973年、ポイヤック2級筆頭のムートンが1級に昇格。
→昇格前、ラベルに“Premier ne puis, Second ne daigne, Mouton suis” 「1級にあらねど、2級たるを認め得ず。我はムートンなり。」と印刷していたが、これはロアン公の“Roi ne puis, prince ne daigne, Rohan suis”をもじったもの。


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