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「見たことがないものにはなれない」のだろうか ―起業と卵子凍結のはなし―

プリズムテック週報 week 11, 2021

 「見たことがないものにはなれない」という言葉を目にした。夫と共に幼少期のエピソードや想像上の子育てについて雑談する中で、両親から与えられた体験やそこから発展し想像した物事が、自身のライフイベントでの選択に影響を及ぼしていることを振り返る。
 起業家が身近な存在だとは決して言えなかった(近い親族に経営者たちは居たものの代々続く事業だった)私の人生で、起業に大きな影響を与えた人物や出来事はなんだろう。そもそも私は、"起業家"で在れているのだろうか?「見たことがないものにはなれない」理論で言うと、私は理想の起業家像を掲げられずに人生を終えるのか?

 起業してからずっと自問自答していること。起業ってなんだ?私にとっては、「起業=生きること」だとふんわりと捉えている。

 「見たことがないものにはなれない」かどうかは本当のところわからないが、少なくとも人は「自分の視界から見えるものベースでしか語れない」と思う。それ前提でのはなし。今回はいつも以上に自分語りもりもりの週報になりそうだ。

 松田 尚子さん著の「起業家及びベンチャー経営者と 人的ネットワークに関する研究」、李 侖姫さん著の「日本の女性起業家のキャリア形成――69人のライフヒストリーが教えてくれたこと」を読むと、「起業前から起業の実行に至るには起業家や経営者の家族から影響を受ける」と述べるデータがあった。「友人や家族に起業経験者や経営者がいるということは、潜在的な起業家にとって起業という選択肢が特別でないことを示しており、これは社会的にも心理的にも起業を実行し継続していく上で正の影響を及ぼすと考えられている[Morris and Lewis 2002] 。」
 起業家が強い紐帯(家族)と弱い紐帯(友人)のそれぞれの人的ネットワークから何を得るかはまだ体系化されていないようだが、身近な存在から受ける影響の関係性を示すデータが出ているのは興味深い。

 3月8日に国際女性デーがあった。時期柄、「女性起業家比率を上げよう」との声を耳にする。新しい挑戦を試みる人が増えて、世の課題に対して解決策となる新たなサービスが生み出されることは必要だ。大企業や行政がまだ手をかけていない事業をスモール企業(スタートアップ・ベンチャー)がやる意義がある。それは男女問わずに対して言えると思うが、社会が女性起業家に対して期待する役割もあるようだ。

 先の研究データから単純に考えれば、起業家が身近な存在で在れば起業の実行に正の影響を与えると言える。そのため、当事者である起業家の発信は重要な一次情報である。近年は起業家と直接的な関係がなくとも、オンラインイベントやSNSなどで手軽に情報収集することも可能だ。しかしSNSの繋がり程度の、情報を一方向的に受け取るだけの関係では、実態が見えておらず都合の良い部分だけを切り取って解釈してしまう可能性がある。

 今の日本社会で女性起業家を増やそうというムーブメントは、個としての女性に待ち構える数々のライフイベントも踏まえた上で当事者の幸福に繋がるのか、負担や犠牲が大きくならないか、個人的には謎だと思っている。そしてその議論は、一般にはアクセスしづらい一部の界隈に限定された状態で展開されている可能性があり、公の場には成功事例だけが光に照らされているように見えてしまう。(企業のマーケティング施策然りそういうものだが。)生々しい声を知るには、やはり強い紐帯・弱い紐帯の中でも双方向に情報発信できる場と関係に起業家が居る必要があると思う。信頼できるコミュニティがあるのが理想だ。スタートアップの起業家はVCや投資家のネットワークでコミュニティが形成されているのだろう。しかし、その接点を持たぬまま自己資金で細々事業をしている私の場合は、同郷出身・同い年のスタートアップ起業家・経営者の友人、今はその縁が唯一だ。
 働くことと生きることは切っても切れないものだから、色んな起業の在り方と生き方を知り、自分の理想とするスタイルを選択していきたいものである。

 28歳のときに起業した私は、今もまだ人生も事業もずっと不安定なものだと捉えているし、「みんなよくやってるなー、どうやって続けているんだろう」と周囲を見渡して情報を探している。

 抱える問いはふたつ。
Q1. 起業した後、生物学上の女性としての人生をどう生きるのが「自分らしい」か
Q2. 起業してから、どのように会社経営して生きてゆくのが「自分らしい」か

 今回の週報では、これらの問いに対する現時点での自分なりのアンサーを、手探り状態だが書き出してみた。生物学上の女性が起業し事業を継続するにあたり、自分視点で見えている範囲での出来事とそれに対して感じたことを記録していく。
 もっとリアルな声を身近な場所から聞きたいし語りたい。だからまずは、自分の状況をまとめておこうと思ったのだ。


―前提:事業の話―

 私は2018年にコミュニティ事業(コミュニティのデザインや、コミュニティ運営支援をする)で起業した。
 その一年後、もともと個人事業で受けていた法人向けコミュニティマネジメントの業務が多岐にわたり、チームを作って対応したほうが短期間でコミュマネとしての価値を最大化できると考えたため、法人化した。それが今のプリズムテックの主事業になっている。
 会社設立当初はビジネスモデルの検証段階で、2〜3年先の事業拡大は考えていなかった。そのため、まずは合同会社の形式からスタートしている。動いているうちに向かいたい先も変わってゆき、後の2020年に組織変更し株式会社化した。


―Q1. 起業した後、生物学上の女性としての人生をどう生きるのが「自分らしい」か―

 2019年に会社を興して事業と組織(と言っても業務委託メンバーをベースにしたチームだ)を作りつつ、ライフプランニングも検討し直した。

 私が会社勤めしていた頃に思っていたのは、「働き続けたいし家庭も築きたい。けど、今世にある会社の仕組み上、結構難しいっぽい。妊活・不妊治療のために休みますってなかなか言いづらいと聞く。育休から戻ってきたときにはポジションクローズしていたとかいう恐ろしい話も…。もしそれらの課題を解消すると謳う素晴らしい会社が存在したとしても、マッチングのための中途転職にはカロリー消費が半端じゃない。どちらもうまくいかないことで両方を嫌いになりたくない。自分の事情の外で定められた時間の制約と、物理的な場所の制約を超えて生きる(働く)ことができたらいいのに。だったら自分でそれを実現できる状態を作るしかないのかな。」と。これは、数ある起業の動機のひとつだ。
 当時は「こんな、個人の理想とわがままを詰め込んだ会社は、私の妄想に留めておくか…。私がダメだからこんな発想になるんやな。」と思っていたが、今振り返ると仕事と家庭を両立させたいのは別にわがままではないし、両立できないからと言ってダメではないし、同じように考えている人々は存在した。
 2019年冒頭、日本酒の縁で繋がった現プリズムテックメンバーの佐藤志保から連絡があり、六本木一丁目で遅めのランチをしながらそのことを語った。同じように課題を感じていたらしい彼女とは一瞬で意気投合した。ちなみに会うのは2度目の日だった。その5日後に法人登記をしている。

 個人視点で第一に課題を感じていたのは、世の会社に一般化された出勤必須・時間固定の勤務形態。あとはこれも職種によっては仕方ないが、出張の必要性だった。この課題に関しては、良くも悪くも2020年に社会が大きく変わりリモートワークファーストになったことで、今後徐々に解決されていくかもしれない。

 では次は、個人としてのキャリアプラン・ライフプランについてだ。
 「働き続けたいけどいつか子どもがほしい」と思っていた私は、ライフプランニングの一環で卵子凍結(正確には受精卵の凍結)を検討し始めた。2018年、「女性起業家に卵子凍結の選択肢を」という声を聞き、卵子凍結未体験時代の私は希望を感じていた。ライフスタイルや将来の目標などを考えながら妊娠・出産のタイミングを選択する個人のバースコントロールが重要だと説く情報を目にするようになる。
 ※バースコントロールはより広義に子どもの数や産まれる間隔を管理することを指すため、歴史的には避妊だけではなく歴史的には人工妊娠中絶・堕胎を含むこともある。(*引用) ここでは個人のライフプランニングでの「家族計画」に近い意味で使っている。
 私の場合は受精卵の凍結のため、厳密に言うと卵子凍結とは異なる選択である。

 親族知人のなかでも限られた人々に近況報告の中でライフプランを語ってみたら、「結婚した直後に起業?」「起業したのに妊活?卵子凍結?今じゃないんじゃない?」と言われたことを思い出す。自分の人生にとってはすべてが地続きだったからなんの違和感もなかったけど、外からの目はそうじゃないんだなと感じた出来事だった。関わりある大事な人たちからの声だからこそ、様々な心配や配慮が添えられていることも想像できる。
 そして俗に言われるのは、「起業・事業を成功させたいと本気ならば、妊娠は先送りにするもの」説と、「一度にやらなくてもいいんじゃないか」説。たしかに、現実問題、可処分時間的にもいずれか一本集中がベストなのか?
 「でもまずは情報を集めて自分に合うかをジャッジして進んでみよう」「心配してくれた人たちは年齢も事情も私とは違うし、自分は自分だからなー」と。ここで「試そう」と思えたのは、自分らしい選択だったと思う。
 結果として私は、受精卵を凍結をしてから1.5か月後に、初めて自分の体内に卵を戻すサイクルをスタートさせる。採卵前の検査で、子宮付近の他の箇所の治療・手術が必要なことがわかり(これが一番大きな収穫だった…。ちなみに、婦人科には毎月通っていたし、婦人科健診は毎年受けていたにも関わらず、運良く?このタイミングで発覚した。)、その影響で優先度が変わり、採卵予定が半年以上後回しになったからだ。また、体外受精の成功率を数字で見た時に個人的には高いと思えない数字だったため仮に一回で妊娠できるならばそれは喜ばしいことだからと腹を括れた。
 今思えば、生殖医療への期待と信頼、そして何より無知だったからこそ採卵・凍結に踏み込めた。さらに言うと、副産物として自分の不妊体質を知る機会を得られて感謝している。動いていたら良いこともあるもんだ。
 これもまた起業の失敗(?)談と似たようなものでみんな表向きに語りたがらないトピックなのか、私生活で妊活・不妊治療の話題に触れることは多くない。Twitterの不妊治療当事者たちの声を参考にしながら、体外受精経験者の友人たちから情報をもらいながらクリニック選びをした。

 体外受精のプロセスは、始めてみるとめちゃくちゃしんどかった。かかったお金のことはおいておいて、身体への負担と通院に要する時間が想像を超えていた。私が受けたものを簡単に流れを説明すると、

卵を採卵するためにホルモン投与→採卵手術をする→卵を受精させ凍結してもらう→その凍結した卵をお腹の中に戻す準備をするためにホルモン投与→お腹に戻してもらう施術を受ける→お腹で卵を育てるためにホルモン投与→妊娠判定→妊娠継続させるためにホルモン投与。この初回1サイクルで約4か月間。
※ホルモン投与には注射のパターンと服薬のパターンがある。クリニックによっても手法は異なる。
※採卵手術についても、人によってとれる卵の個数が違う。その中から受精できる数も、場合による。

 体内で卵子を育成するためのホルモン注射(筋肉注射だった)を打つ、通院の頻度が多い。卵子を採取する手術は麻酔が終わった後が痛い。そして卵を凍結した後、体内に戻して妊娠させるまでのサイクルもキツイ。1日3度のホルモン剤を服薬する。
 その間、体力も自己肯定感も下がりまくり。いつもと異なる体調は、人体改造している感じ。ベンチャー経営者は自己肯定感が命ならば、最悪の状態である。結果、これが約一年半続いた。実施前に読んだ論文のデータで得た情報と、実際に自分の身で体験するものとでは、全く異なるのだなあと痛感した。

 妊娠しても流産する可能性がある。そう、体外受精の成功率は自然妊娠と比較し低いのだ。(卵子凍結の場合はもっと確率が低いと述べる研究結果も目にした。)
 私の場合は、3回卵を戻して2回妊娠し、1度流産している。30歳の誕生日の日、コミュニティイベントの司会と運営対応をしていたが出血が止まらなかった。今思えばそれが流産だった。仕事が終わって自宅に戻ってからつい「ごめんね」と何度も言ってしまった。流産は妊婦の活動のせいじゃない、だから自分を責める必要は無いと聞く。けど、失ってしまったら、「普段通り働きながらはやっぱり無茶だったのかな」などと自分を責めてしまう。私にとってはそういうものだった。
 仕事があって助かった面もある。辛いことを考える間もなく目標に向かえる場所だった。会社のメンバーもつかず離れずの絶妙な距離感で慰めてくれてすごくありがたかった。しかし、流産して100%ポジティブな気持ちで走れる状態じゃないのは確実で、心も身体もボロボロ。とてもじゃないけど、新しいプロジェクトを考える前向きな気持ちにはなれない。最初に知人たちに心配された通り「今じゃないんじゃない?」が正しかったかも、と何度も思った。流産した頃の日記に「毎日、はやく終わらないかなあって気持ちのまま過ごしている。最近ずっとそう。ものすごくもったいないなって、わかってる。けど、なかなか前に進めない。」と書いていた。今も気持ちが整理できたわけではないが、気持ちが起きてくるまで一年はかかった。

 事業か妊娠か、どちらかを先送りしたとして、これから先も私は何らかの形で仕事を続けたいと思っていると思う。どのタイミングを選ぶにせよ、仕事を続けたい私にとっては同時並行状態の中で進めねばならないのである。それなら、いつだって変わらない。妊娠出産に適するタイミングなんて人による。私の場合は、想像以上にコントロールできるものではないと知ったから、備えて挑戦してみようと思えた。これも、私が自分らしい選択だと思えるものだった。

 29歳のときの受精卵は、現在も凍結してある。理論上、卵に限っては時間の制約を超えられている。とは言え、凍結を決意し実行した時ほどの晴れやかな気持ちは無いのが正直なところだ。実施するサイクルを思い出すと、妊娠を検討するたびにホルモン投与による身体の変化が続くのはキツいな~と感じている。
 卵子凍結がライフプランニングをサポートする選択肢のひとつに上げられるのは一見希望があるように見えて、実のところ成功率は自然妊娠と比較し非常に低いため、試みる人々はその不確実性に賭けることになる。卵子(受精卵)凍結したからと言って、妊娠のタイミングを完全にコントロールできる・すべてが予定通りうまくいくという話ではない。


―Q2. 起業してから、どのように会社経営して生きてゆくのが「自分らしい」か―

 会社設立直後は、まずは食っていかねばならぬ&チームを作らねばならぬと思い、受託業の拡大に注力した。とは言っても前述の通り、個人事業の範囲が増えたことに伴って法人化したため、案件は既にある状態だった。黒字経営を続けられるようにキャッシュフローをコントロールして細々成長を続けている。起業したがリスクは取りたくなかった私は、お金まわりや契約に関しては安全に安全を重ねた選択だけをしてきたつもりだ。これもひとつの自分らしさだと思う。

 それと同時並行で、新規事業案を何個も描いては壊しを繰り返した。
 現在進行形での課題でもあるが、新規事業の立ち上げはかなり難しい。制約を決めるのも進むべき方向を決めるのもやるやらないを決断するのも全部自分とチームだから、予算が潤沢にあり意思決定者が上にいるこれまでやってきた社内プロジェクト立ち上げとはワケが違った。
 受託業の合間や土日を使ってサービスづくりを続けている。生むまでに時間がかかる。「これいいじゃん!」のひらめきの瞬間と、「やっぱ無理やん、私ってほんとダメ」の絶望の繰り返し。でも、心身の調子がいいときは、それが楽しくもある。だから、整っている状態は重要。
 自社サービスや自社コミュニティを持つことでビジョンに近付くための活動ができると信じている。「プリズムテックらしさ」を表現する意味でも、これからも続けたいアクションだ。

 会社法はわからない。契約書も書けない。そんな中で、企業法務を専門にする弁護士の夫の協力と理解はかなり大きかった。顧問弁護士として契約をしているのをいいことに、休みの日も深夜もちょい聞きさせてもらえたのは強い。弁護士事務所が横にあるベンチャー企業だ。
 起業家としてのビジョンが描けない時期の私を励まし続けてくれたのも夫である。相談相手が近くにいるのはありがたい。

 事業を続ける中で出逢った人々からいただいたひとつひとつの問いに対する自分なり・自社なりの答えを、時間をかけて探し続けてきた。
 過去の体験を掘り起こしたり、自身の人間関係を見直したりしながら、「人生の大事な時間をかけて、本当にやりたいことは?」を問うてきた。
「愛する仲間と愛せる事業がやりたい!」これに尽きる。時代も、自分らしさの定義も変わっていく中で、それでも変わらないものが挙げられるようになってきた。それは「愛すること」だと思っている。愛する物事に全力投球しているときの自分が一番自分らしいから、この状態を常に作っていけるよう整えてゆきたい。そうしたら生きていける。
 利益を上げながら事業を作るのは、にわとりたまごのように思える。新しい挑戦をしたいと決めたらお金が必要なので、今後は融資を受けたり投資を受けたりすることも考えて動いている。私なりに精一杯踏み出した一歩だ。今はやっていくうちに、肩凝り(概念)がとれて、僅かながら視力が上がり、ビジョンの解像度が徐々に高まっている感覚がある。


―現時点での見解―

 データを整理しリスクを事前に想定するのは大事だ。しかしそれだけでは進まない。頭の中で考えているだけではいつまで経っても実行できず、手触りのある未来に踏み込めない。この2年間で体験した事業も体外受精もどちらもそうだった。痛い目に遭うこともあれば想像以上の達成感が得られる瞬間もあると実感した。
 うまくいかないときは過去の選択すべてが間違っていたような絶望感にまみれるし、うまくいっているときはもっと先を見たくて爆走する。だから未だに正解を知らない。
 どんな意思決定も、「自分で決めたこと」だと主体的に認識したい。そのためにはまず生きて、全力で愛せるものを見つける必要がある。自身が持つエピソード、課題意識、望んできたこと、試みて失敗したことを、自覚し、客観視できるようにする。言語化、もしくは視覚化する。考えを身近な人々に語ってみる。
 最悪のシナリオも考えている。起業して生きていけるだけ稼ぐには最低限何をしなくてはならない?会社を運営しながらの妊娠出産育児をどうする?もし計画通り行かなくて諦めるならいつどのタイミング?など。常にリスクとリターンとの隣り合わせだ。それでも、「会社を運営したいのだ!」「目標を達成させたいのだ!」と行動を繰り返す人しか続かないんだろうな。

 私はここから先、どうなっていくのだろうと、正直いつも不安だ。だから、悩み進もうとする起業家と出会いたいと思っている最近である。
 「見たことがないものにはなれない」のならば悲しいが、これからたくさんの例を見つけるために人に出逢っていきたい。もっともっと、私の世界が広がったらいいなと願っている。


 最近読んだ本の締めくくりに、素敵な言葉があった。「家族」に関する一冊だけど、人と人との関係という観点で読むと「会社」や「コミュニティ」などの新しい組織の形についても言えることだと思った。

 "ふつう"を押しつけられたくない私は、"多様性"を押し売りしたいわけでもない。新しく生まれつつあるマジョリティの側にまわって、「空気を読まない」古臭い奴らをつるし上げたいわけじゃない。自分と違う人間をさらして、多数派の一体感を強めていたあの中学校の空間は、今のSNSの空間につながる。
 これからの時代、私たちがすべきことは"違い"をあぶりだすことじゃなくて、"同じ"を探しにいくことなんじゃないか。家族のあり方が変わってもなお、昔と変わらない普遍的ななにかをその真ん中のところに見つけにいくことじゃないかと、私は思うようになった。「家族の普遍」を探す私の旅はまだはじまったばかり。ひとつだけ言えるのは、そこがゴールだと確信できる究極の「ふつうの家族」なんて、昔も今もどこにもいなかったということだろう。
――山口 真由 著 「ふつうの家族」にさようなら

 非人格的な群れが言う「ふつう」なんて、そもそも存在しないのに、ついその幻想を追ってしまう。対策として、自分の考えをまとめ、自分らしく選択していきものだ。失敗も後悔もするけど、時間が経つことで分岐点を受け入れられると信じて。

===

 会社を起こして3年目。立ち上げ期から見守ってくれていた仲間に加えて、新しい仲間と共に働いている今を噛み締めている。みんな、それぞれライフステージが変わる中でも、プリズムテックでコミュニティデザインに本気出して日々を過ごしているのが尊い。

 10年前の私は、31歳の今、起業して会社を経営しているとは思っていなかった。東日本大震災、就活中で先が見えない中、地元は震度5強を観測し家族は地震の被害を受けた。東京に居た私は、まずは生活するための策を練るのに必死だった。何もできない学生だった。
 少し先の未来に思いを馳せた。マイクロソフトに入って、5~10年くらいで退職して、地元の子供達にパソコンを教える教室を開けたらいいなと漠然と思っていた。まあでも、その頃から「起業したい」ってどこかで考えていたってことだよな。
 私にとっての起業って、やっぱり生きることに繋がるんだと思う。時間と物理的な制約から解放され、人と人との間にあるといいものを想像して手作りすることなのだね。


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