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「竜とそばかすの姫」を観て

最初に、
私は基本観た物は好意的な評価しかしません(笑)
だから、私の感想を読んで観に行って「騙された!」と言われても責任取れません(笑)というか、せっかく安くない料金払って映画館に行くのならば楽しみましょうよ。最近になって「死霊の盆踊り」すらも褒める事が出来る事が出来ると自覚しました。

観るきっかけ

何という事はありません。ネットで宣伝を見かけました。
その時は「美女と野獣」みたいな映画だなーと思いました。観に行った時に、これをアンチテーゼっぽく使っていたのはちょっと驚きましたが。ただキャッチ「50億人から1人を探し出せ」が引っかかったんだと思います。

ですからね。
映像がすごい、音楽がすごい、歌声がすごい、
全く「どうでも良かった」です。
私は「解像度なんぞどうでもいい」「音楽も結構どうでもいい」
私にとって映画って「要は何かを掴めるか掴めないか」だと思っていますから。そんな私ですから「監督が細田守」とかの情報も「要素の一つ」でしかないと思っています。

そんな私個人の結果の感想ですが、「観に行って良かった」と思ってます。
私の様にネットで長い間活動している人は感動できると思います。

一応ネタバレ要素しかないんでこれから観る!と言う人は閉じてください。
最初は有料にする事も考えたんですが、自分の感想を見てもらうのに「有料」にするのもどうよ?と思ったので・・・。

↑素敵ですやろ?気になった人はぜひリンク先にすっ飛んでいってください。その時はいいねも忘れずに(笑)


母親探しの物語

僕の中で「竜とそばかすの姫」は「母親探しの物語」だと思っています。
すずは幼い頃に水難事故で母を亡くします。
見も知らぬ子どもが中州に取り残されるのを見て、母は助けに行こうとしますが、幼いすずは引き留めます。しかし、母は助けに行った。結果、子供は助かるが母は帰らぬ人となります。
すずはこれを境に「人前で歌えない」女の子になってしまう。
しかし、それは母を失ったからではなくて「母は私を置いてなぜあの子を助けたのか」という疎外感から来るのだと解釈しています。

そして「すず」は「Belle」となり、Uで名声を得るのですが(そんなに端折って大丈夫か?)


クライマックスでは「竜=恵」を探し当てるのですが、彼はすずを信用しません。彼を助ける為には自分を信用してもらわないといけない。
その為に、Uの世界ですずはアンベイル(アカウントの本人を公開する)して「Belle=すず」である事をカミングアウトします。
そして「はなればなれの君へ」を歌います。
歌う中ですずは初めて気づきます。

『一人で苦しんでいる竜を助けたい。』

「私を残して、見も知らぬ子を助けに行った。母も同じ気持ちだったのだ。」

「はなればなれの君へ」の歌詞のリフで「会いたい」という部分がありますが、そのシーンまでの「会いたい」のは「竜=恵」だった筈ですが、その時から「会いたい」のは「母」になります。

この映画は歌詞やセリフが観ている時と観終わった時で別の解釈が出来る様になっています。(特に映画の重要な部分では)

その後、現実の世界ですずが恵を探し出す話になります。
多分、ここがご都合主義っぽいと思う人が多いと思いますし、私も強引だな、とは思いました。しかし、私はこの作品を作った監督は「母(がするだろう行動)と同じ行動をするすず」をどうしても描きたかったんだろうな、と思ってそこは納得できました。

ただ、描く監督と描かない監督がいらっしゃる事に言及しておきます。
2001年にスピルバーグ監督が「A.I.」を撮りましたが、ラストシーンについては「要らないんじゃないか」などと結構賛否両論がありました。私は「無くても良かった」と思っていますが、その形で世に出したのならば、それを受け入れるだけです。スピルバーグ監督の、最後まで映像にするという考え方は「レディ・プレイヤー1」や「プライベート・ライアン」でも感じられます。
1999年のシャマラン監督の「シックス・センス」は実はラストシーンには続きが有った事をメイキングで語っていて、DVDではそれが公開されています。シャマラン監督はこの事について、ちゃんとラストシーンをカットした理由(その理由をここで書くとネタバレになるので書きませんが)をDVDでは語っています。
そして彼はこうも言っています。「あのシーンは本当に良いシーンだった。僕は『映画を編集する時は一番良いと思ったシーンをカットしなさい』と教えられた。だから僕はあのシーンをカットした。」私はこっちの理由の方が納得できました。


個人的にもあのシーンはすずが自分で決断し、勇気をもって踏み出していくシーンとしては有った方が良いと思いました。(そしてこのエピソードはメッセージが分かればこのシーンは必要になる、と今なら理解できます。)
ここまでのすずはBelleを「演じていた」様に思えたからです。ジャスティンの尋問に際し、Belleは気丈に振舞います。竜の居城では本当のお姫様の様に振舞います。それは凛として儚げで美しい。でも現実のすずの立ち振る舞いに比べ、とても積極的でギャップを感じました。

「U」を歌っている時のBelleも、実際のすずとはギャップがありましたね

ですから、すずは「Belle」を演じていると思いました。

忍に「すずの姿で歌う」事を提案された時に、すずは動揺します。そりゃあそうでしょう。それがどれだけのリスクなのか、ネットに長く居れば嫌でもわかります。すずが映っているシーンでは結局決断するシーンは出てきませんでした。しかし、その後で映るBelleが「私を撃て」とジャスティンに言い放つあの時の凛々しさは「すずは自分から決める事ができたのだ」と思わせるに充分です。あそこからすずはBelleを演じていないのでしょう。

アンベイルすると決めたのはすず
東京まで言って恵達を助けると決めたのもすず
恵達の父親の前に立ちはだかって守ろうと決めたのもすず

やだ、このすずイケメン。

そういう事で私は「母親探しの物語」とそして、母を思い出し、そして自分で決断していく女性に変わっていくすずを描いていると思っています。


ネット”U”の描かれ方

”U”の描かれ方については「まぁ、そんなもんかなぁ」と思っています。何人かの人が「サマーウォーズから変わっていない」事について言及していましたが、私はそんなに変わる物でもないと思っています。ぶっちゃけて言えば「どうでもいいかな」と(苦笑)ネット空間の表現は多くの作家が苦労しています。個人的には「ネット空間は最後には現実と区別がつかない様になるんでは無いかと思っています。「レディ・プレイヤー1」のラストシーンの様な物を想像しています。
ネットでのバズり方、叩かれ方については「よくもまぁ、やや嫌悪気味になる様な形を作ったなぁ」と思いました。
正直言えば、私は叩かれた事も叩いた事も、孤立した事もありました。
実際にはもっとキツイ状況と言うのがあったのですが、その直前にとどめているのはそこまでリアルに描くのではなく、「そういう物だ」で抑えているのかもしれません。ただし、叩く側が集団で顔が見えないという点、そして多くの場合は自分の正当性を主張するのは実際によくみられます。少数の意見を「フォロワー数雑魚の奴がナニ言っているんだ」というセリフまで(笑)ただ、居城を焼き討ちするとは思わなんだなぁ。あれ「美女と野獣」の製作元が観たらどう思うんだろ。しかし、ここは美しく有る筈のストーリーを破壊する象徴として入れておきたかったのかもしれません。

ただ、このような部分を見ている時に、自分が経験していた事と重ね合わせて「自分は竜であり、Belleであり、ジャスティンでありモブキャラだ」という気持ちが強くなりました。だからあんなに感情移入したのでしょう。

あれやこれや

あとは散文的になりますが個人的にはヒットする場面は沢山あって。

すずがBelleのモデルを見た時に、「これ違う」と言って消そうとした時にそばかすがモデリングされます。(すげえな、Uの技術!)そばかすがあるのを良しとしない人は結構いるのかな、と思いますが、自分の特徴と捉えている事、そしてそのBelleのモデルを認める事が出来た所から物語は始まります。

そしてUの中で歌える事に気づいた事に満足したすずが眠りに落ちた時に、最初のフォロワーが付いた時に実は泣きました(笑)
「歌が素敵」と言った彼(恵の弟)が最初のフォロワーになったのですが、
ねぇ。なんの関りの無かった所から自分の存在を認めてフォロワーになってくれた時って本当にうれしくない?
その事を思い出しました。

noteで初めてスキを貰った時とかね!

あと、竜に贈り物としての歌を作る時にすずがステップを踏みながら歌う所が大好きです。今までは一人でも歌えなかったのに、歌えるようになったんだね。という所ですね。そりゃあ最後に50億人(推定)の観客(Uの中だけど)の前で歌うんだから、一人でも歌えるようにならなきゃね!


私にとっての唯一の不満

不満は「はなればなれの君へ」を最後に歌う時に、そこにジャスティンが居なかった事です。本当に救われなければならないのは無自覚に暴走を重ねるジャスティンであったのではないか、と今でも思っています。
ペギー・スーが呟きます。「アタシと同じじゃん」そしてすずの歌に共感し、泣き崩れるすずに、ペギー・スーも泣きながら「歌うんだ!」と叫びます。ペギーにも届いたと妄想したいです。「すず(Belle)には会いたい人がいる」と。それ故に一人、救われていない様に感じるジャスティンが哀れな存在に見えます。
竜?
竜(恵)には「竜を救いたい」と思っているBelle(すず)が居るのですから。

最後に

この映画を観て翌日の事なんですが、ふと思い出しました。

現実はやり直せない。”U”ならやり直せる。

”U”は"YOU”なのでは?そして"As"は"US"なのでは?
と思った時に泣けてきた事を告白します。すずの物語を(いささか強引であっても)描き切る理由がそこにあったからです。
「現実はやり直せない。でも貴方ならやり直せる。」
覚悟を持って一歩を踏み出せばやり直せる。


そしてこの事だけでこの映画はALL OKです(笑)


ご清聴ありがとうございました。

(追記)
ここまで読んでくださった方は、私の稚拙な文章を容赦くださった、ある意味勇者とお見受けします。今少し、映画の余韻に一緒に浸りませんか。

記事を書いた特権で、紹介したい歌い手さんがカバーされたMVをペタリとw

覚悟を持って一歩を踏み出す人達は皆、美しいと信じます。

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