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エッセイ_ばけたん(お化け探索)しよ!

 幽霊と思われるものをはっきり見たことが2回ある。いずれも心霊スポットではない。心霊スポットや樹海にはよく行くが、そこではっきりとお化けだと思われることは見たことは無いし、その後祟られるようなこともなかった、なかったはずだ(霊峰に行った三日後に体調不良になったが、神がかり的なことも起きた。この話は書くと長くなるのでまたいずれ)。

 みなさん、幽霊を見たいか?私は見たい。何故見たいのか?不思議なことが好きだから。怖くないのか?怖い。しかし恐怖はある意味、快感、快楽である。人間の個体差にもよるのだが、恐怖の感情が出力される脳の部位は快楽を感じる部分と部分的に重なっているという。

 しかし、私にとって幽霊は見たいと思う時には見えず、特に何の心構えも無い時に急に現れたり気配を表したりするのだ。勘弁してほしいが、それがお化けといふもの。そう考えると、霊は、人間よりも自然寄りの現象とかんがえるのがよくて、人間の意になることが無い。遭難や災害と同じ。特に危険を冒してまで会おうと思って会いに行く行為はどこかスリリングで、リスクの高いスポーツである登山にも似たところがあると思わないでもない。死を伴うしね。

 漫画家の清野とおる氏が、怪奇酒という、心霊スポットに出向いて飲酒することで幽霊と交流した気分になりハイになるという行動をしている。これをエッセイ化した漫画では、気配を感じたり感じなかったりして、なかなかリアルである。

 
 先ほど恐怖は快楽であると書いたが、話のネタが一つ増える、人生の経験値(笑)が稼げた気もする、というのも幽霊との出会いの愉しみである。
 
 定期的にばけたん(お化け探索)したくなるが、心霊スポットに出るのは、霊より異常人間の方が率が高い。お互い様だといえばお互い様なのだが、本来行くべきでないところに行く時点でお察しなのである。私は害を加えてくる異常人間には会いたくは無いので、場所と時間は選ぶことと、護身の心得をもつこと、最悪の事態を想定すること位は最低限すべきだと思っており、そのため腰が重くなるのも事実である。そういう意味では、霊峰や神社に日中行くのは安全なばけたん(神探かも)として結構いいと思い、割と気軽に行けるのである。心霊スポットといえば行きづらい場所にあることに定評があるが、都内の公共交通機関で気軽に行けるスポットでも、空気が気持ち悪いな~反対に澄んでて気持ちいいな~とかは感じることができるので捨てたものではない。
 ちなみに樹海は、出ない、と思っている。怪奇現象は確かにあるのだが、幽霊だとか呪いだとかとは無縁な印象だ。でも、好きなので、行っているだけ。死体には会えても霊には会えない、ハードコア森林浴という印象だ。

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