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【女子高生エッセイ】『胎内記憶は水縹色の球体🪼』

私は胎内記憶がある。

少しだけだが。

言葉としての記憶はない。

だから当時の感覚をイメージが近い言葉に変換して出力する。


意識があったのはいつごろからか。

気づけば何かに包まれていた。

感覚はふわふわでもぷかぷかでもなく”どきゅどきゅ”だった。

心臓の音だったのか、母の内臓の音だったのかわからないがいつも何かが振動していた。

規則的かと思えば不規則になり、いくつかの振動の重なりを感じることもあった。


当たり前のように自と他の区別なんてできなかった。

全てがつながっていて包んでいるものは自身の膜くらいの感覚だった。

後々思い出した胎児の感覚に名付けるなら球体である。

丸くてつやのある魂だけがそこに存在しているような。

身体の複雑な形は把握できていなかった。

球体のような形だが念が使えると外を押せたりしているような気分だった。

念だと思っていたものが自分の両手足だったと気づいたのはずっとずーっとあとの話。

どきゅどきゅと揺れる胎内がどっきゅっきゅどっっきゅーのように不規則になる瞬間があった。

母が寝ているときなのか起きているときなのかはわからない。

ただ気持ちが悪い不規則な音と振動が繰り返される。

ただただ異常事態ということだけがわかって急いで念じて攻撃をした。

そうすればまたどきゅどきゅと規則正しく揺れ始める。

そんな繰り返しをしているうちにいつしかどきゅどきゅの音に強さを感じるようになった。

強かったり弱かったり明らかに自分の意志ではどうにもならない何かは感じていた。



魂の形もそれに合わせて揺れるようになった。

魂の揺れと外側の揺れが初めてうまく重なったときにはもう胎外にいた。


私には出産の瞬間の記憶はない。


次に気が付くと私を包んでいたなにかはなくなり自分は個体なんだと思い知った。

胎児のとき生物の心臓や内臓として動いている感覚だったが体外に出てからは自分が一匹の生物になってしまった。

そして人間というものはイメージしていた綺麗な球とは全く違う醜い形をしていると感じた。


自分の魂のイメージは水縹みはなだ色というものにすごく近い。

青っぽい色を見ると中心から波紋が広がっていく感じがする。

私の魂もそれに共鳴して左胸の中心から熱い青色の液体が外側へ溢れ出る感じがする。

そう皆さんおなじみの血液。

私は初めて血の色を見た時どれほど驚いたことか。

青系色じゃない……なにこれ……知らない………。

当時は青という言葉も知らなかったのでただただ『???』が頭に浮かんだ。

痛くて泣くけど青じゃなかったことにも泣いた。

青い海や青い空を見ると私もそっちの仲間なのになぁと思う。

青と生きているはずが赤を体から流している矛盾。


魂の質感は勾玉に近いものだった。

小学生になり初めて勾玉を手に取った時、魂の形を一気に思い出した。

これが胎内記憶を思い出すきっかけにもなった。

魂の形を思い出した時にすごく納得した覚えがある。

「だから人の肌に触れた時、やわらかくて気持ち悪いと思ったのか!」

固くてはじいたらひびが入ってしまいそうな水縹色の球体が私のイメージだった。

それ故、やわらかいものがあたたかいものだと思えなかったし優しいものだともわからなかった。

小さなころは母以外の人間の皮膚が好きじゃなかった。

本能が母だけは大丈夫だと判断した。

ナイス判断。グッジョブ。

今になっても手を握られるより頭を撫でられる方が好きだ。

魂の球体は自分の心そのものだと思って過ごしている。

心と聞くと複雑な形をイメージする人、簡易的なハートを想像する人が様々だが私はつやつやしたあの球体が心だと思っている。

何度も割れたし何度も壊れたけどしばらく経つと不思議と完全体に戻っている。


そのあたりから母のおなかの中の振動はなんだったのかが気になって母の腹部に耳をつけるブームが来た。

「ねぇ重い~」

母の言葉も気にせず休みの日には一日中頭をつけて音と振動を感じた。

心臓の音も消化の音も確かに安心したのでこのおなかの中にいたことは間違いない感じた。

でもどれだけ辛抱強く探しても”どきゅどきゅ”の音や振動は見つけることができなかった。

あの時にしか感じることのできない何かがあったのだろうか。

まだ謎は解けていないが音と振動が近いものを見つけると反応してしまう。


プールで頭までつけていた時に息をぎりぎりまで止めて初めて息を大きく吸ったときにお腹がぎゅーーーっと痛くなった。

痛さが収まるとすぐに胃がすぐにどきゅどきゅに似た振動をしながら伸び縮みを繰り返した。

頭がぽかんとなって球体に戻ったような気がした。

我に返ると手足があって口があって目があって。

なんだこれと思った。

球体でいいのになって思った。

周りの手足をはやしている生物たちに「泳げ」と言われたから泳いだ。

小説とかエッセイに口や目の描写をたくさん入れてしまうのは普段から人間の形に疑問を持っていたからかもしれない。

中学校あたりまでは人間の形に本気で疑問を持っていた。

今となっては魂の形が体の形ではないと理解できているからいいが。


学校の授業も人自認から始めさせてほしかった。

私は人間である前に水縹色の球体だ。

水縹色(#7EC7D8)

今回はこちらの素敵な記事を参考にしました!⤵︎

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