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魚類になった男Ⅱ -青春編-

島本和彦『アオイホノオ』巻頭より

かつて"京介"という名の一人の男がいた。
彼は人類全員の幸せを願い、ただそれだけのために己が身を捧げる心優しい人間であったが、いつの頃からか人類滅亡を願うようになり、最終的には人類を捨て魚類となったという。

連載第二回となる今回は、彼の高校生時代・浪人時代・大学生時代を記述する。
この時代の彼を一言でまとめるとすれば"青春"と呼べるであろう。
青年時代特有の悩み・喜び・痛みを知り、自分の足で一歩踏み出す彼の姿は、彼がもっとも人類を謳歌していた時期であるように思う。

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高校生時代 - 関係性に対しての絶望と初めての作品制作

政治活動

高校生になり、京介青年はついに世界を変えるための活動を開始する。
中学時代から政治に興味を持っていた彼は、やはり世界を変えるためにはまず日本から、そして社会・政治からと考え、小さな政治活動を行うこととなる。
まだインターネットも普及していない時代、政治活動と言えど田舎の高校生にできることは限られており、せいぜい選挙権を持つ大人たちに対して各立候補者の公約の解説や、他人の意見ではなく自分の判断で投票してほしいこと、選挙の大切さを熱弁する程度である。
しかし、彼の言葉を聞き、選挙に少なからず興味を持ってくれた大人がいたことは事実であり、自身に選挙権がないことが泣くほど悔しいこと以外、彼は満足していた。

政治について熱弁するイメージ

病、そして誰もいなくなった

成績もよく、友人も着々と増え、最高のスタートダッシュを切った京介青年であったが、1年生も終わりに差し掛かった頃、次に彼を待ち受けていたのは大きな病気である。

その病気は、ある日突然発症し、以後10年以上に渡り彼を苦しめることとなった
また、明確に表には症状が出ないため人々からは誤解されやすい病でもある。
彼の個人情報の中でも特にセンシティブな部分に当たるため病名は伏せるが、これにより彼は様々な行動を制限されることとなる。
代表例としては、

  • 一定の条件が整わない限り外出できない

  • あまり長く他人と一緒にいられない

  • 集中力が異常なほど落ちる

などがある。

そして最も深刻だったのは、彼の性格が変わってしまったことである。
今までの彼の人生を見ると分かる通り、彼はみんなのリーダーで大変明るい性格をしていた。
しかし、思春期特有の心理状態も相まって、病気によりやりたいことがなにもできない日々に無力感を抱き、「僕の人生は、こんなはずではなかった」という絶望に支配され、塞ぎ込んでしまったのだ。

病気のため学校にもあまり通えず、集中力が落ちるため成績も急落した。
そして病気により周りからも誤解されるようになり、成績が悪いため親や先生からも見捨てられ、それまで友人だと思っていた人たちもほぼ全員が京介青年に対しての興味を失い離れていった。

「みんな僕の能力や属性に興味があっただけで誰一人として"京介"そのものを愛してはくれていなかったのだな」
この時京介青年はそう考え、関係性なんていうものはこんなにも脆いものなのかと思ったという。

かつてあれほど変えたかった"世界"のことなど、この頃にはどうでもよくなっていた。
「もう自分には世界を変えることは一生できない」と彼は考えたという。

あまりに辛かった時期のため、京介青年には高校2年~高校3年前半までの記憶が一切存在していないそうだ。

翼を失い堕落するイメージ

初めての作品制作

高校3年も後半となった頃、みんなが受験勉強に打ち込んでいるなか、学力はすでに学年最下位争いの常連となっていた京介青年は初めて作品というものを作ることになる。

図工や美術の授業以外では全く作品制作に触れたことがなく、興味もなかったのだが、とあるきっかけで強制的に作ることになってしまったのだ。
この頃、彼の心には熟成された燃えたぎる意志があった。
「僕の人生は、こんなものじゃなかったはずだ」

彼はこれまでの絶望すべてを叩きつけるかのように作品を作った。
不思議なことに、作品を作っているときは集中力を保てたのだ。

筆者はこの記事を執筆するにあたりその作品を見たが、完成したそれは美術の観点からはあまりにも稚拙なものであるが、彼の意志は間違いなくそこに表現されていた。
若く青い情熱がほとばしる青春のうねりのような素晴らしい作品といえよう。

この作品は教師・生徒問わず学内で非常に話題になり、「あの何もできないと思っていた京介はこんなすごいことができたのか!」と様々な人から褒められたそうだ。
この作品をきっかけとして、ずっと下を向いていた京介青年は少しだけ前を向くことができるようになり、高校生活最後の半年間は今までよりも少しだけ楽しく過ごせたという。
作品を作ることで目の前の世界を変えたのだった。

そして、低空飛行を続けていた成績もあり、病気の療養も兼ねて京介青年は浪人という道を選択する。

目の前の世界が変わったあとのイメージ

浪人時代 - 人生に対しての絶望と自分のための人生を生きる決意

定位置はベッドの隅っこ

病気による集中力低下が成績急落の原因のため、勉強はできない日々であった。
外出もろくにできない京介青年は何をしていたかというと、ただ一人、ベッドの隅っこで毎日毎日思考を続けていた。

高校3年の後半は楽しく過ごせたとはいえ、浪人時代の彼は以前のように下を向く毎日であったという。
成績急落時から親には見捨てられているため、毎日のように「これからどうするつもりなんだ」というプレッシャーをかけられる日々であった。
また、高校2年頃からだが、冷凍食品・白米・菓子パン以外の食事が家で出たことがないことからも親には完全に見捨てられたのだなと京介青年は考えていた。
周りの子たちはみんな"立派に"暮らしているため、なぜ手塩にかけて育てた自分の息子はこんな状態なのかという焦りが京介母にはあったのだろう。

親以外の誰とも会わず、その親からは追い詰められる毎日の中、京介青年はある一つの結論に至る。
「大学は行こう。そして大学では好きなことをやって、卒業と同時に人生を終わりにしよう」

隅っこで過ごしたベッドのイメージ

自分のための人生を生きる

浪人時代の彼の心は世界に対して絶望を超えた恨みで満ちていた。
「なぜ自分だけこんな目に合わなくてはならないのか。そもそも生まれたいと望んだ覚えはない。自分にはもう何も残されていない。」
負の感情とともに過ごす毎日だったという。

ベッドの隅っこでの思考を続ける中で、彼は人生を振り返った。
そうして生まれたのが、「自分は一体誰のために生きているんだ?」という疑問である。

彼はこれまで、母親・社会・世界、そういったもののために自分の身を捧げてきた。
人類を幸せにする方法を常に考えてきた。
だがそれは自分ではない誰かのための人生なのではないだろうか。

その"誰か"は自分に何かを与えてくれただろうか。
自分のことを蔑み、人生を終わりにする決意をするほどに自分を追い込んでいるものはかつて自分が幸せにしたいと思っていたその"誰か"ではないだろうか。

そうして京介青年は「大学卒業までの残り少ない命は自分のための人生を生きよう」と決意した。

創世するイメージ

美大という選択

次に京介青年は「自分のための人生とはなにか」を思考した。
そしてそれが「自分がしたいことをする」ことであり、「したいことがなにか」に気付く必要があると思い至った。

今までの人生を振り返り、やはり一番大きかった出来事は高校3年次の作品制作であった。
人生最後なんだし楽しいことをやろうと思っていた彼にとって、美大進学はワクワクする選択肢であった。

美大入試には通常実技試験がある。
それまで美術に興味がなかった彼は当然絵が描けない。
しかし当時、レベルの低い美大の一部の学科では、枠としてはかなり少ないが「学力枠」というものがあり、実技なしでも受験できることに気付き、その中から最も学費の安い地方美大を受験した。

1年の療養を経て、多少今までよりは集中力を保てるようになっていた彼はなんとか学力枠で合格することができた。

ここから、彼が本当の意味で自分の人生を生きる4年間が始まる。

余談ではあるが、「集中力が落ちる」というのは常に脳の一定の割合しか思考できなくなるという考え方が感覚として分かりやすい。
病気発症前の思考可能割合を100%とすると、高校時代の彼は10%、浪人終了時点では30%の割合で思考できるところまでは回復していた。

復活するイメージ

大学生時代 - 友人・愛・芸術、そして戦うための武器

大学で、京介青年はこれまで手に入れられなかったものをたくさん手に入れた。
友人・愛・芸術である。

友人 - 楽しい日々

それまで美術と無縁な生活を送ってきた京介青年にとって、美大とは不思議な場所であったという。
まず、人が全然違うのだ。
みんなそれぞれの個性を持っていて、その個性を誰に遠慮することもなく披露していたのだ。

このことに京介青年は衝撃を受けたという。
高校時代までの周りの人々は誰もがいかに個性をなくすかに注力していた。
周りと一緒のものを好きになって一緒の話題で盛り上がらないといけない。
決して"外れたこと"をしてはいけない。
そんな空気が当時はあったのだ。

しかしこの美大はどうだろう。

  • 毎日上下緑のジャージで学校に来るとんでもなく美人な学生

  • 消費期限切れのパンにカビが生えたのでカビの繁殖の様子を毎日描いていたら肺炎になり入院した侍のような見た目の学生

  • 中国のスラム街でスケッチをしていたらマフィアと勘違いされ危うく当局に捕まりそうになった学生

  • ラブラブな毎日をテーマにした展示を開催するカップル(代表作のタイトルは「不発のコンドーム」)

  • なぜか自宅前に「◯◯探偵事務所」という看板を掲げていたため無許可探偵事務所と勘違いされ警察に怒られる探偵業とは無縁な教授

  • 将来、誰もが知る大人気漫画を描くことになる学生

上記は極一部であるがまごうことなき個性の塊といえよう。

そして何よりも彼が衝撃を受けたのが、この美大では誰もが互いを認め合い、互いの価値観を尊重していたことだった。
この場所では誰もがありのままの自分でいていい。それがこの美大であった。
だから京介青年もそうした。
これまで誤解されるのが怖くてやらなかったことも遠慮なくやるようにしたのだ。

すると不思議と自分のことを面白がってくれる人が現れ、能力や属性ではなく、京介青年そのものを好きになってくれる友人がたくさんできたのである。
京介青年にとって彼ら彼女らとの毎日は本当に楽しい日々であった。

そして、そんな楽しい人々の中の一人から、京介青年は愛を知ることになる。

友人たちのイメージ

愛 - 生きる意味

芸術家にはしばしばミューズが存在する。
ミューズとは一言で言えば、その芸術家に強い影響を与える女性のことである。
京介青年はこの大学でミューズと出逢う。

大学入学までの彼に恋愛感情がなかったわけではない。
人並みに好きな人ができたことも何度かあったが、ひとたび誰かを好きになったことが京介母に知られると、京介母は彼の恋心を徹底的にからかってきたのだ。
当然大学入学までは実家に住んでいたので、仲良くなりたい女の子がいたとしても、電話や休日のお出かけをしようとすれば親の監視の目からは逃れられず、からかわれ何かしらの形で妨害が入る。
思春期の彼にとってはそれがとても嫌で嫌で仕方なく恋愛ができない状態だったのだ。

そんな京介青年にも大学2年の頃にガールフレンドができた。
大学では地元から離れた土地での一人暮らしなので京介母の監視の目は届かない。

彼女と付き合うにあたり、京介青年はこれまでの自分の人生、そして未だ治らない病気のせいで行動に多くの制限ができてしまうことなど、これまで誰にも打ち明けていなかったことをすべて話した。
彼女は、彼の告白をすべて受け入れ、それでもなお彼のことが好きだと言ってくれたのである。

お互いに誰かと付き合うのは初めてだったこともあり、困惑することも多かったが、ありのままの姿の互いを受け入れ合うことのできる関係性を築くことが出来た。

「愛とはなにか」
この議題におそらく唯一無二の答えは無いが、彼女と築き上げることができた関係性をこそ愛と呼びたいと京介青年は思ったという。
それは、京介青年にとって初めての愛であった。

「大学は行こう。そして大学では好きなことをやって、卒業と同時に人生を終わりにしよう」
浪人時代にそう決意した京介青年であったが、彼女と出会い、愛を知ったことで「この人と一緒なら僕はもっと生きたいと思える」と決意を新たにすることができた。
彼女は彼に生きる意味を与えてくれたのだった。

彼と彼女は大学卒業後も東京で同棲することとなるのだが、その物語はまた次の連載で記述しよう。

彼にとって彼女の存在はとても大きく、彼の作る作品にも多大な影響を与えることになる。

愛のイメージ

芸術 - 希望

美大生の本分とは作品制作である。
学力枠で美大に入った京介青年は「ゲージツとはなんぞや」と考えるところからのスタートだった。
幸いなことに、恩師と呼べる素晴らしい教授、そしてお互いを高め合える仲間に恵まれ、人一倍芸術を学ぶことが好きだった彼は着実に実力をつけていった。

芸術は京介青年にとって異常なほどの魅力を感じるものであった。
これほどに夢中になれる何かと出会うことがなかった彼は、同学年の誰よりも夢中で芸術に打ち込んだ。

一般大学では4年間の成果として卒業論文を提出すると思うが、制作系の美大生は4年間の成果として卒業制作作品(卒制)を発表する。

卒制を作るにあたり、彼はそれまでの人生を再度振り返った。
辛かった大学入学前と違い、大学4年間は生涯忘れることのないであろう楽しい日々を過ごすことが出来た。
かけがえのない友人、そして何より愛と生きる意味を与えてくれたガールフレンド、そんな彼ら彼女らとの4年間そのものをありのままに表現すればいいのではないだろうか。
そこにこれまで学んだ知識・技術を盛り込めば納得のいく作品ができる気がする。

そうして京介青年は、絶望を叩きつけるように作った高校3年次の初制作作品とは正反対に、これ以上ないほどの幸福を思い描きながら作品を作った。

完成した作品を見たときに京介青年はこう思ったという。
「僕は、こんなすごいものを作れたのか・・・」
これは自意識過剰なのではなく、事実として"当時の学内基準"で見るとかなりすごいものが出来てしまったのだ。

卒業制作作品発表では一人ずつ作品発表していき、教授陣からかなり厳しい講評を受ける。
講評内容があまりに辛くて泣き出すのは当たり前で、みんなの前で手首を切る人が出てくるほどに辛い講評を受けるのだ。

京介青年は学年で一番最後の発表であった。
作品を見た教授陣からは、

  • 学科設立以来の傑作。このレベルのものを待っていた。(学長)

  • 間違いなく世界で通用する作品。(普段めったに人を褒めない教授)

などと非常に高い評価を得ることが出来た。
京介青年は褒められて嬉しいという感情は特になく、「ああ、見る目のある人が教授でよかった」と安心したという。
偉そうに見えるかもしれないが彼の視座はすでにこの大学にはなく、世界を見据えていたのだ。

完成した卒制のイメージ

武器を手に入れる

こうして、最高評価を得て首席で卒業することになる京介青年であったが、この結果によって彼に大きな変化が訪れた。

彼は世界と戦うための生まれて初めての武器、芸術という名の武器を手に入れたのだ。

卒制は複数のコンペで入賞し、その噂は地元にも人伝に伝わった。
それまで目立った結果がなかった京介青年は、地元の田舎者ども(京介母含む)からは「まともな大学に行かず美大で遊んでいる」などという評判を得ていたのだが、結果を残した途端彼らは手のひらを返すようになり「俺は最初から信じていたぞ!」「ずっと応援してたんだよ」などとすり寄ってきた。
高校時代に感じた関係性に対する絶望の通り、彼らは京介青年の能力・属性にしか興味がないのだ。
京介青年は呆れ果て、以後彼ら(京介母含む)との接触を極力断つようになったという。

しかしその一方で、この出来事により芸術が自分の武器になるということを彼は自覚するようになった。

「これから先の社会で生きていく中で、芸術さえあれば僕は戦える」

そして京介青年は初めての自信を手に入れ、大好きな大学を旅立ち、ガールフレンドとともに社会人として東京での生活を始める。

東京へと向かうイメージ

終わりに

高校時代・浪人時代は京介青年にとって地獄と言っていい時期だったに違いない。
特に彼の病気は彼の人生そのものにあまりにも大きすぎる影響を及ぼした。

筆者が分析するに、発症の原因となったストレスは彼自身が他人の人生を生きていたことに起因するのではないだろうか。
幼い頃から大きなものを背負いすぎた彼にはきっと、心の中に封印したやりたいことがたくさんあったと予想される。
恋の話ひとつとっても、彼は恋愛をしたかったが母の監視の目があり出来なかった。
やろうと思えば出来たのだろうが、そうしなかった。
彼は心優しく真面目な男であったため、母の意向を裏切ることは母に迷惑をかけることになると考え、自分の気持ちを封印することになったとしても裏切れなかったのだろう。
そういった長年押さえつけてきた様々なことが病気という形で爆発してしまったのが彼の高校時代だったように思う。

愛については、通常子供というものは幼少期に親からの無償の愛を受けて育つ。
しかし彼にはその期間がなかったのだ。
幼いころからむしろ与える側として生きてきた彼は愛に飢えていたのかもしれない。

これまでの彼の過去を知っているからこそ、大学時代の彼が心から楽しい時間を過ごし、愛を知り、自信を取り戻すことができたことには筆者もまた心から嬉しく思う。
「自分のための人生を生きる」浪人時代のその決意が彼の運命を一気に変えたのだ。

連載第三回では彼の社会人生活・ガールフレンド事変について記述する予定だ。
社会に出て真の"社会の仕組み"を知った京介氏がどう変わっていくのか。
愛を知るきっかけとなったガールフレンドとの生活に何が起こるのか。

次の第三回で終わりにする予定が、今回のように長くなってしまいそうなので第四回まで続くことになってしまったことを読者諸兄にお詫びする。

最後の行まで読んでくれた君だけに、この言葉を贈りたい。
魚類 is the future.

第三回へ続く


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