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魚類になった男Ⅲ -闘争編-

島本和彦『アオイホノオ』巻頭より

かつて"京介"という名の一人の男がいた。
彼は人類全員の幸せを願い、ただそれだけのために己が身を捧げる心優しい人間であったが、いつの頃からか人類滅亡を願うようになり、最終的には人類を捨て魚類となったという。

連載第三回となる今回は、京介氏の社会人生活・ガールフレンド事変について記述する。

社会人となった彼は、クリエイティブ業界・IT業界、小・中・大それぞれの規模の企業での会社員、起業と様々な経歴を辿ることとなるが、今回はその中でも彼の思想に大きく影響を与えた新卒時代からの出来事を書き記そうと思う。

この時代を一言で言い表すなら闘争の時代と言えよう。
資本主義社会において、心優しく真面目な人間というのはサバンナに放り込まれた動物園育ちの草食動物も同然である。
資本主義社会の餌食となりかけた彼はボロボロになりながらも戦い続け、作品を作ることで生き延びていく。
この物語は、そんな彼の闘争の記録である。

過去連載はこちら↓
第一回「立志編」
第二回「青春編」

新卒時代 - クリエイティブなハイパーブラック企業

大学を卒業し、東京での生活を始めた京介氏はまず、大学時代のクリエイティブスキルを活かせる制作会社に技術職として入社した。
会社員として規模の大きな作品を作れるようになれば、自分ひとりでは出来ないようなより優れた作品が作れるだろうと考え、大きな夢を抱きながら選んだ企業だった。

そして、この会社で彼が学んだことは、クリエイティブ業界は滅ぼすべき存在であるということである。

補足:
クリエイティブ業界といえど一枚岩ではないので領域により内情は異なる。
京介氏のスキル特定を避けるために便宜上このnoteでは広い範囲で「クリエイティブ業界」としているがクリエイティブ業界全体のことを指しているわけではない。

クリエイティブな仕事に対する絶望

夢を抱き入社した彼を待ち受けていたのは現実である。
彼が直面した現実を下記に記述したい。

  • 二日徹夜は当たり前の長時間労働(残業代・手当等なし)

  • マニュアル無し・教育無しで最初から現場で動く

  • 上司・先輩から毎日激詰めされる

  • 月に1~2人はうつ病で会社を辞める

  • 上流(エンドクライアント・代理店)が全てであり制作側はその奴隷である

  • 予算の都合上、作れるものはゴミばかり

  • 高校時代からの病気の症状が悪化してきてその症状に対して日常的に嫌味を言われる

労働環境に関しては今ほど規制がしっかりしていなかった時代なのでひどい有様である。
筆者が知人から聞いた話によると、電通事件が起きてからは多少はクリエイティブ業界の浄化も進んだという。

筆者を含め、ビジネスを理解している読者から見ると当時の京介氏をことを実に若いと思うことだろう。
京介氏が当時作っていたものはマーケティングのためのクリエイティブである。
マーケティングにおけるクリエイティブなどというものは、(製作目的にもよるが)いかにユーザーの購買欲を誘うかにフォーカスし費用対効果が見合うように作成される。
作品として優れているかなどどうでもよく、大きなお金の流れのために、金のためにクリエイティブがあるにすぎない。

当時の京介氏はそんな基本的なことも理解できておらず、わずか半年で抑うつ状態となり当時の会社を辞めることになるのだが、退職に際し彼が日記に書き残した一人の純粋な作り手として叫びは一考の余地があるものに思う。

作ることが大好きだから作る仕事を選んだのに、そういう人が作れなくなってしまう世界なんて絶対に間違っている。
この業界は一度滅ぼさなくてはならない。

当時の京介氏の日記より引用
社会という大海原を航海するイメージ

家族に対しての絶望

退職を検討するようになって、自分が危険な状態にあることを察した京介氏は、やむを得ず家族を頼ることを考えた。
入社後は毎月給料の一部を母に送るだけで大学卒業の頃から連絡を取っていなかった京介母に連絡をし、現在の悩みを相談したところ「その会社はおかしいから辞めて休みなさい。生活費は私がなんとかするから」と言ってくれたため、退職を決断することが出来た。

しかしこの言葉は最初の1ヶ月で裏切られることになる。
1ヶ月経ったころから「社会人なんだからそろそろ自分の力で生きなさい」と言われ、一切の援助をしてくれなくなったのだ。
抑うつ状態の病人が一ヶ月で回復するわけがないのだが、どれほど辛い状態になっても家族ですら助けてくれないのだなと京介氏は理解した。

そうして彼は会社を辞め、一人で生きることになったが、やむを得ず抑うつ状態のままフリーランスとなる。
詳細は省くが、行政の支援を受けるという選択肢や、バイト・転職などは高校時代からの病気の症状の関係上叶わず、自分一人で稼ぐ他に生きるすべがなかった。

一人で生きると書いたがこの頃の京介氏にはガールフレンドという唯一の心の支えがあった。
そしてしばらくした頃、ガールフレンド事変が起こる。

理想的な家族のイメージ

フリーランス時代 - ガールフレンド事変

同棲生活

新卒企業時代から同棲していたが、さきほど記載した通り酷い労働環境だったため、同棲しているにも関わらず会うことができない日も多かった。
入社してすぐの頃こそは多少はマシな状態だったので一緒に家具を選んだり近所の公園を散歩するだけでも楽しく、新しい日々にワクワクしたものだった。

京介氏がフリーランスになってからは、彼はずっと家で仕事をしていたので家事も全て行い、彼女が仕事から帰るころには毎日手料理を作って彼女を待っていた。

ただし、フリーランスの京介氏はなかなかお金が稼げずにいた。
技術力はあったもののコネも無ければ経験も浅く、ビジネスの知識は皆無であり営業は苦手だったのでなかなか仕事にありつけなかったのだ。
この頃の収入としては月の売上は10万円程度で、生活に足りない分は貯金から切り崩していた。

四苦八苦しながらなんとかお金を稼ごうとしていたがうまく行かない日々であった。
また、この頃から彼女の帰りが0時を超えることや、仕事が忙しくて家に帰れないことが多くなった。
手料理を作って彼女の帰りを待っていても突然「今日は帰れない」と言われることも多く、彼はとても悲しい思いをしていたが、彼女もまたブラックな環境で大変なのだろうと京介氏は応援していたという。

同棲生活のイメージ

ガールフレンド事変

そんな日々の中、ある時彼女の浮気が発覚した。

とあるきっかけでたまたま京介氏はその事実を知ってしまい、彼女に問い詰めたところ「もうあなたのことは好きではない。もっとしっかり社会人として生きている人がいい。あなたは色々言っているけど社会が怖いだけでしょ」と言われたという。

聞くと、浮気相手のプロフィールは、

  • 彼女の会社の先輩で既婚者(彼女曰く「近々離婚する予定と言っていた」)

  • 年収1,000万円ほど

  • 趣味はラグビー

とのことで、筆者の立場からするとツッコミどころが色々あるのだが、当時の京介氏(月収10万円、ガリガリ体型、趣味はパソコン)にとって自分とは正反対の「社会的強者」に彼女を奪われたと感じたという。

「社会が怖い」というのは当時の京介氏にとってはその通りで、主に高校時代からの病気が原因である。
新卒企業でもこの病気が原因で嫌味を言われることが多く、心優しく真面目な京介氏にとっては、自分がなにかをしようとしても病気が原因で相手に迷惑をかけてしまうかもと考えてしまい、どうしようもなく社会生活が怖かったのだ。
彼はこの時、「社会に負けた」と感じたという。

そうして、彼に残った唯一の心の支えであったガールフレンドは、京介氏の身には覚えのない使用済み緊急避妊薬3回分のカラをゴミ箱に残して、彼のもとを去った。

身に覚えのない使用済み緊急避妊薬3回分のイメージ

人類に対しての絶望と作家としての成熟

ガールフレンド事変を経て、京介氏は壊れた。
自分に生きる意味を与えてくれた人であり、大学時代から結婚を考えていた人ですらも自分の元を去ってしまった事実を受け、彼は生きる意味を失ってしまったのである。

この頃の彼は下記のような様々な奇行を行うことになる。

  • 一睡もせずに椅子に座ったまま延々と朝まで『上を向いて歩こう』を歌い続ける

  • 東京の端から端までひたすら歩き続ける

  • 道端のカエルと話し、友達になろうとする

  • カバンに常に10箱(10銘柄)のタバコを入れておき気分で吸い分ける

壊れてからの京介氏のこれ以上の行動の詳細は彼の名誉のために記述することは避けるが、一言で言えばこのあと終焉へと邁進したのである。

人類の全てが敵に感じ、人類そのものに対して彼は絶望したのだ。

終焉を迎える前に、この苦しみそのものを表現した作品を残そうと考えた京介氏は大学の卒制以来となる新作の制作を行った。
卒制と同じ技法を用いて制作された血の匂いに満たされたその作品は、結果的にはヨーロッパを中心とした世界7ヶ国のコンペで入賞し、その中でも特に大きなコンペでは日本人史上最年少での入賞という大きな成果を残し、「現代のウィリアム・ターナーと呼ばれ海外メディアで特集されるなど、作家としての京介氏の成熟へと繋がった。

しかし彼は全く喜ぶことなく「人の不幸を高く評価しやがってクソったれどもめ!!!」などと絶望が深ければ深いほど評価される理不尽さに憤っていたという。

血=赤という安直な作品のイメージ

生きるために作品を作る

血の匂いに満たされた新作は評価される一方で京介氏にも変化をもたらした。
作品を作ったら心が楽になったのだ。

自身の苦しみを作品として自分の中から出すことによって救われると気付いた京介氏は、ガールフレンドと同棲した家を引き払うのに伴い、もうひとつ作品を作った。

輝かしいその場所での日々をテーマに制作されたその作品は、哀愁に満ちた美しい作品となったという。
この頃毎日泣きながら過ごしていた京介氏は、この作品を制作したことによって泣くことはなくなったそうだ。
この頃から、京介氏にとっての作品制作は自分が生きるための作品作りとなり誰かに見せる必要がなくなったためコンペに出すことはなくなった。
絶望しかない世の中だけれども、芸術だけは自分を裏切ることなく自分に生きる理由を与えてくれる最後の存在だと感じたという。

作らなければ生きることが出来ないこの頃の京介氏の制作物は生命の輝きそのものを感じる作品が多い。

輝かしい日々=金色という安直な作品のイメージ

ITスタートアップ時代 - ハイエンドブラック企業

作品を作ることで生きる理由を見つけた京介氏であったが、相変わらずお金の問題はつきまとう。
彼が得意とする作品の領域はお金に変えることが難しく、貯金もつきかけていたため別の方法でお金を得なくてはならなかったのだ。

そんな時、フリーランスとしてクリエイティブの仕事を受けた、あるITスタートアップ企業の社長が京介氏の仕事ぶりを大変気に入り、スカウトしてきたのである。
スタートアップ企業とは言うなれば吹けば飛ぶような小さな会社である。
少数メンバーで業務を行う必要があるため、クリエイティブ関係の仕事だけでなく様々な業務を手伝ってほしいとのことだった。

社員としてスカウトされたが、IT業界は未経験なことや、やはりフリーランスの仕事を続けたかった京介氏は週3日稼働で月12万円という内容で業務委託契約を結ぶことにした。
筆者の立場からすれば安すぎて受ける価値もない仕事ではあるが、これでフリーランスとしての10万円と合わせて月22万円ほどの売上が確保できることになり、ひとまず最低限の生活が送れることに当時の京介氏は安心したという。

ここまでこの連載を読んできた読者諸兄はもう察しているかと思うが、言うまでもなくこの京介氏の気持ちは勤務初日で裏切られることになる。

この会社での経験は [外伝] にて

京介氏はその半生において長くこの会社に在籍した。
「こんな会社が日本にあるはずがないと言われてしまい誰も話を信じてくれないほどのブラック企業」と京介氏が語るこのスタートアップ企業での話は、あまりにもエンタメとして完成されすぎていてこの話だけで映画が作れてしまうと筆者は考えた。

自身が「ハイエンドブラック企業」と呼ぶこの会社で京介氏は、後に魚類となってからも戦闘時に使用する対人類用戦闘術を習得し、従業員から搾取の限りを尽くす社長(イ◯ハヤ崇拝者)に反旗を翻し、会社そのものを事実上制圧することになるのだが、本連載の本筋とはいささか外れてしまうため、連載本編とは別に『魚類になった男[外伝] -制圧編-』という形で記述することを筆者は考えている。
この話は、エンタメとしての面白さのみならず、「うちの会社、ブラック企業かも・・・」と悩むサラリーマンのみなさんに、「下には下がいる」という安心感ブラック企業を制圧し悠々自適な会社員生活を送るための一例を示すことになるだろう。

現段階で読者諸兄に覚えておいてほしいことは、この会社において京介氏にこれらのことが起きたという事実である。

  • 対人類用戦闘術を習得する

  • この世には真の悪が存在することを知る

  • 資本主義社会においては「心優しく真面目な人=搾取対象」であることを知る

  • 少しでも優しさを見せれば骨の髄まで搾り取られることを知る

  • 人類を絶対に信用してはならないことを知る

  • どれほどの絶望が襲ってこようとも闘うことを決して辞めてはならないことを知る

会社に寝泊まりするためのブラック企業式寝床のイメージ

終わりに

楽しい大学生活を終えた彼に待ち受けていたのは現実であった。
京介氏の人生から我々が学べることとしては、「就活はちゃんとやろう」ということである。
徹底的に制作にしか興味がなかった京介氏は、大学時代に就活と呼べることを一切やらなかった。
「就活している暇があるなら作れ」口癖のように彼は言っていたという。
その後の人生を左右することになる最初に入社する企業は慎重に選ぶべきであると筆者は考えている。

彼にとっての初めてのガールフレンドとの日々は間違いなく彼の人生に大きな影響を及ぼした。
今回記述した範囲を超える内容を取材を通して知った筆者の立場からすると、ガールフレンド事変の一因は京介氏にもあると思うのだが、当時の若い京介氏にはそれが理解できていなかったのだ。
このあと何年も、彼は初めてのガールフレンドのことを忘れられない日々を送ることとなる。

作品制作については、彼の中での芸術に対しての向き合い方が決まった時期でもあった。
この時期の彼にとっては芸術こそが全てであり、素晴らしい作品を作ることは自らの命よりも優先すべきこととまで考えていたという。

連載第四回では、彼のクリプトとの出会い・人類として最後の作品・魚類になった日について記述する予定だ。
物語はいよいよ佳境を迎える。
連載は外伝を除くと、魚類になってからの彼を描く第五回-魚類編-まで続く予定だが、第四回にてついに大きく動き出す京介氏の運命を読者諸兄とともに見守りたい。

2017年、バブルに湧くクリプト業界を知った彼は何を思い、2018年、クリプトによって何を得て何を失ったのか。
制作期間1年を費やし彼は人類生活最後にどんな作品を作ったのか。
そして、2020年某日、彼は魚類となる―――

最後の行まで読んでくれた君だけに、この言葉を贈りたい。
「天は魚類の上に人類を造らず、人類の下に魚類を造らず」

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